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鯨の歌、君の色彩  作者: 四ノ明朔
再演【鯨の歌、君の色彩】
29/31

鯨の歌、君の色彩

「……多すぎません、それ?」

「俺は知らん。あいつに言え」



 彼が持ってきたのは、巨大な段ボールだ。

 中を見ると、様々な画材が所狭しと並んでいる。

 記名欄には『一色唯』と書かれていた。



「中を見る前に……これを見ろ」

 


 差し出された、一通の封筒。

 それが何であるかを察した上、僕はそれを開けた。


 予想通り、それは遺書だった。

 僕専用のようで、今までの思い出と、隠していたことへの謝罪、僕自身の未来への応援。

 そして──。



「これ全部が、ですか」



 先生は、頷いた。


 彼女の遺書には、『わたしのものを全部きみにあげる』と書かれていた。

 どうせ、きみのことだから、わたしを驚かせようと、来年度になって急に入部してくるんだろう。

 なら、画材が必要になるはずだ。

 そう、僕の図星を突くように。



「……作品自体は、俺が引き取ることになっている。

 だが、どうしてもその画材はお前にあげたいんだと。

 嫌なら、それも俺が──」

「いえ、いいえ。僕にください」



 食い気味に彼の言葉を否定する。

 あの時も、この手紙でも伝えられていないけれど、確かに彼女は願っている。

 僕が絵を描くこと──魔法使いになることを願っている。


 多分、一度は書いて、でも消した。

 それが(まじな)いではなく、(のろ)いになってしまうとわかっていたからだろう。


 死の間際の言葉は、否が応でも力を持つ。

 彼女は、優しかった。

 だから、呪いになることは避けたかった。

 最期なんだから、少しは自分勝手になればいいのに。



「先生、僕決めました」

「……何を、だ」

「進路です」



 彼女に出会うまで、僕は進路を決めかねていた。

 どうせいつか死ぬつもりであったし、決めたところで無駄になると思っていたからだ。


 けれど、今は違う。

 今は、進むべき(みち)が見えている。



「僕は、芸術家になります。

 唯が辿るはずだった道を、進みます」

「……それは、同情か?」

「いいえ。紛れもなく、僕自身の意志です」



 あの日誓った、一心同体の契約。

 それに則った、僕自身の意志。


 たとえ、彼女が居なくても、僕はその道を進む。

 彼女とともに辿るはずだった道を進む。


 そこに、同情なんて想いは一切ない。

 けれど。



「……強いて、言うなら。

 僕は、彼女のおかげで救われました。

 でも、この世界のどこかには、『彼女と出会えなかった僕』のような人が絶対に居る。

 なら、僕はそういう人たちを救いたい。

 あの時、僕を救ってくれた唯のように。

 今度は、僕が救いたいんです」



 見上げた瞳は、彼女と同じ濡羽色。

 呆れたように瞬きをして、溜息を吐いて。

 そして、彼はこう言った。



「やっぱり似た者どうしだよ、お前ら」



 ────わたしは、ね。芸術に救われたから。

 同じように、芸術によって誰かを救いたい。

 駄目、かな。



「……絶対、言いますね。唯なら」

「だろう? だから似た者同士なんだ」



 開けた窓から風が吹く。

 穏やかで優しい春の風。

 散った桜の花弁が一片、僕らの元に舞い込んだ。


 それは、幸せだった日々の終わりを告げるように。

 夢から醒ますように。


 いつかの少女の言葉が、頭を過る。

 


「鯨はね、歌を歌うんだ。

 理由はまだ、よくわかっていないらしいけれど……一説によれば、求愛のためなんだそうだ」



 ──なんだか、人間みたいだね。


 泣きたいほどに澄んだ空と海。

 水天一碧の世界で見た君の笑顔を、僕はもう忘れることが出来ない。

 忘れたいとは思わない。


 大きく息を吸えば、嗅ぎ慣れた油の臭いが鼻につく。

 良い匂いとは決して言えない。

 しかし、心地良い匂いではあった。

 君と過ごした日々を、どうしようもないほど思い出させてくれるのだから。


 窓から陽光が差し込み、爽やかな風が吹いた。

 君と出会った日と同じ、春の暖かな光と風だ。

 けれど、少しだけ冷たい。

 これは、隣に君がいないからなのだろうか。


 問おうにも、この空間には僕一人。

 答えてくれる者は、誰一人としていない。


 当然だ。

 二人ぼっちの世界が、独りぼっちの世界になってしまったのだから。


 だが、いずれまた、人が訪れるだろう。

 いや、訪れさせなければいけない。

 そうでなければ、僕と君が過ごした世界がなくなってしまう。


 忘れないように、憶え続けるために。君が歌った魔法(うた)が、どこまでも響くように。


 そうだ、君の骨は海へ散らそう。

 君は、海が好きだった。

 あの世界でなら、ずっと伸び伸び暮らせるはずだ。


 そうしたら、いずれ。

 僕も、同じ場所で眠れるだろうから。


 右手にはパレット、左手には絵筆。

 真っ白なキャンパスに向かって、今日も明日もまた描き続ける。

 (きみ)の色彩で。

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