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鯨の歌、君の色彩  作者: 四ノ明朔
第三部【海のノクターン/刹那の終わりへ】
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神様って、身勝手だ

 走り抜けた勢いそのままに、僕は乱暴に病室の扉を開ける。



「先生、容態は!」

「……わかってる。だから、一回落ち着け」



 どこかあの少女と似た雰囲気を持つ、黒髪の男性教師。

 美術部の顧問でもあった彼は、彼女の叔父でもあった。

 

 僕がそれを知ったのは、クリスマスの日。

 二人で彼への感謝を伝える料理を作った日のことだった。


 生徒には基本秘密にしているということもあり、特に触れることはなかったのだが、今は違う。

 今は、彼はただの叔父でしかないのだ。


 息を整え、僕は再び問う。

 彼女の容態はどうか、と。

 彼は言い淀み、ちらりと少女の顔を伺った。


 彼女の顔には人工呼吸器が付けられており、体中から沢山のコードが伸びている。

 それは、病院に馴染みのない僕でも、一目で危険な状態であることがわかった。



「……状況は、芳しくない。

 日付を超えられるかすら怪しい」

「……なんで、何でそんなことになってるんですか。

 だって、病気は……!」



 そこで、僕は大きな間違いに気が付いた。



「……治って、なかったんですか……?」



 叔父は、ゆっくりと頷いた。



「……なんで、そんな嘘」

「お前に知られたくなかったから決まってるだろ。

 同情は、あいつが一番嫌いなものだ」

「……貴方は、知っていたんですよね。

 なんで教えてくれなかったんですか」

「口止めされていた。『言ったら家出する』と脅し付きで」



 そこまでして、彼女は僕に隠したかったのだろうか。

 僕が君の事情を知ったとして、対応が変わるわけがないというのに。

 そこまで、僕の信用は無かったのだろうか。


 指の爪が白くなるほど、強く手を握る。

 彼は、そんな僕の頭に手を置いた。



「決して、お前のせいじゃない。

 これは、紛れもなくあいつのエゴだ」

「……でも、もっと早く知っていたら、僕はもっと──」

「そういうところだ。

 あいつが望んでいたのは何も特別なことじゃない。

 お前と共に過ごせる時間が、何よりも大切だったんだ」



 そう、言われても。

 行き場のない後悔は吐き出せる場所もなく、心の底に一つ一つ積み重なっていく。


 今思えば、いつだって気付けるタイミングはあった。

 春のあの日も、夏のあの日も、秋のあの日も、冬のあの日も。

 今日に至るまで、何度も何度も、その片鱗はあったじゃないか。

 気付なかったのは、偏に僕の注意不足だった。



「……助かりますか。助けて、もらえるんですか」



 滲む視界で、僕は叔父を見上げる。

 どうか、どうか肯定してくれ。

 助かると言ってくれ。


 しかし、彼の首が縦に振られることは無い。



「……もう、遅いんだ」



 そうして語られたのは、彼女の病気についてだった。


 ──『慢性骨髄性白血病』。

 白血病とは、一般的に、血球をつくる細胞ががん化し、無秩序に増殖する病だ。

 中でも慢性となると、数年の経過の中で、ゆっくりと増殖していく。

 白血病には、骨髄性とリンパ性の二種類があるのだが、彼女は骨髄性の方だった。


 症状としては、骨の痛みや発熱、倦怠感や出血などが挙げられる。

 慢性だと、急性と違って初期の症状は軽い。

 しかし、進行が深まるとと、急性と変わりなくなっていくという。


 彼女がこれを発症したのは、丁度両親を喪った直後だった。

 病弱であり、健康診断を常に受けていたこともあり、発見自体は早かったのだが、薬物投与による治療は上手くいかず、ドナーも見つからなかったらしい。

 そもそも、過酷な治療に耐えられる身体でなかったのも一因だった。



「余命宣告を受けたのは、去年……いや、一昨年の十一月頃の話だった。

 あと、『半年も生きられれば良い方だろう』と」

「……つまり、は」

「ああ。本当なら、あいつの生涯は文化祭前後で終わるはずだった。

 だが、そうはならなかった」



 それは、何故。

 なんて、答えがわかりきった質問をする気にはなれなかった。

 彼も、僕にそれを言うことは無かった。



「……だから、な。もう一度、俺はお前に礼を言おう。

 あの子と一緒に居てくれて、ありがとう」

「礼を言われる筋合いはありませんよ。

 僕が、じゃなくて、彼女が僕と一緒に居てくれたんですから」



 これは、照れ隠しでも何でもない。

 心からの、本心だった。


 僕らの始まりは、彼女が僕を連れ出してくれたからだ。

 彼女が居なければ、僕は一生独りぼっちで、灰色の世界で過ごしていただろう。

 色鮮やかな世界を知らぬまま、世の中を憂いて、羨んで。

 そして、空を見上げながら、屋上(あそこ)から飛び降りていたはずなのだ。


 あの時、僕が『自殺志願者じゃない』と答えたのは、半分本当で半分嘘だった。

 あの時点では何の準備も終わらせていなかったし、飛び降りる決意もできていなかった。

 精々、夜中学校に侵入する方法を考えたり、落下速度を計算したりしたくらいだ。


 それでも、確実に頭の中に『死』という文字があった。

 死にたいという思いがあった。

 だから、僕は突然現れた彼女に、とても驚いたのだ。


 音もなく背後に現れたと思えば、心を見透かしたような問いをされて、どうにか隠しながら口八丁で話題をずらして。

 これ以上追求するようなら、走って逃げてやろうとも考えていたのに。

 逆に、彼女のテリトリーに連れ込まれてしまった。


 ああ、もう。改めて考えれば、散々だ。

 成り行きで美術室で過ごすようになり、何だか居心地が良くて居座ってしまって。

 相変わらず学校生活は一人だけれど、放課後には二人で駄弁り合って。

 挙げ句の果てには、名誉部員なんて称号を与えられて。

 二人きりで過ごすのが当然のようになって。

 

 そして、ずっと二人で居る約束までした。


 なのに。



「……どうして、置いていくんだよ」



 涙とともに零れ落ちたのは、何の混ざりものもない、心からの言葉だった。


 本当に神なんてものがいるのなら、どうして彼女を連れて行くんですか。

 彼女じゃなければ、駄目なんですか。

 彼女を一人の芸術家ではなく、唯の人間として殺す必要が、どこにあるんですか。


 どうして、僕じゃ駄目なんですか。

 本当に死ぬ(きえる)べきなのは、僕のはずなのに。


 『神』とやらへの恨み言と、無力な自分ヘの後悔と、この世の不条理に押し潰されそうになる。

 もし、歩んだ道が異なれば、彼女は己の赴くままに絵を描き続けられたのだろうか。

 絵空事だとわかっていても、考えずにはいられなかった。


 ああ、どうしよう。

 呼吸がままならない。

 息が上手く吸えない。

 涙が止まらない。

 

 なんで、僕は哀しんでいる。

 悪いのは僕のはずだろう。


 救うこともできず、代わりにもなれず。

 常に被害者面をして何になるというのだ。

 彼女は、どれだけ辛くとも笑っていたというのに。



 ──ぴくり。


 酸素の足りない身体が崩れ落ちかけたとき。

 小さく細い指が、震えたような気がした。

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