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鯨の歌、君の色彩  作者: 四ノ明朔
第三部【海のノクターン/刹那の終わりへ】
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ノーリスク・ノーリターン

 手には荷物、背にも荷物。

 傍から見れば、多分僕は荷物まみれの荷物人間だ。

 旅行道具と土産が、想像以上に嵩張っている。

 二人分持っているからかもしれない。



「……やっぱり持とうか? 軽いものなら、何とか……」

「いや、別に質量的には問題ない。

 見た目だけだ、見た目だけ」



 不安そうに僕を見る少女。

 その手には、何も持っていない。


 すべて真実なのだが、どうにも信用されていないらしい。

 一つ一つが軽いから、本当に問題ないのだ。

 強いて言えば、キャリーケースくらい。

 それもキャスター付きで、地面を転がしていけるのでそう重くはなかった。


 時刻は午後十二時四十分頃。

 ホエールウォッチングを終えた僕らは、帰りの飛行機に乗るために八丈島空港へ移動していた。


 海の見える道路は、潮風が吹き、潮の香りを運ぶ。

 嗅ぎなれなかった臭いは、三時間の航行の中ですっかり慣れてしまったようで、今は何も感じない。


 昼間だからか、空の頂点から差す光は強く、冬だとしても汗をかいてしまう。

 今日は一段と暖かい日なのだ。


 海上では丁度良かった服装も、ここでは少し暑い。

 荷物が嵩張っているのは、防寒着の一部を仕舞ったことも原因だった。



「……ここからでも、鯨は見えるみたいだな」

「そうだね。

 昨日行った足湯からも見えたし、この島は見放題なのかも」



 海面に上がる水飛沫。

 一時間も経っていないはずなのに、随分前の出来事のような気がした。


 楽しかったことは、すぐに時間が過ぎるように感じるという。

 時は泡沫のように消えてしまっていて、まるで夢みたいに実感がわかない。


 楽しいなんて思わなければ、永遠のように過ごせるのだろうか。

 そんな馬鹿なことを考えてしまうくらいには、名残惜しい時間だったのだ。


 けれど、それも忘れてしまう。

 僕は、きっと忘れてしまう。

 どれだけ楽しくとも、美しくとも。

 僕には、何も残らない。


 先行していた少女が、長い髪を揺らして振り返った。



「……どうしたんだい?

 何か、思い詰めているみたいだけど」



 核心を突くように、少女は僕に問う。

 立ち止まった僕は、魚のように口を開閉させ、けれど何も話さなかった。


 波の音だけが聞こえる。

 浅い呼吸音は、多分、僕にしか聞こえていない。

 寒くないのに、鳥肌が立っていた。


 話せば、楽になる。

 そんな悪魔の囁きが、頭の中で反芻された。

 ぽっかり穴が開いてしまったかのように、空気だけが喉を通る。


 何を動揺する必要がある。

 ただのお悩み相談だろう。

 普通に、話せばいいだけではないか。


 しかし、声は出ない。

 声帯が震えることはない。

 どうして、僕は何も話せない。

 水槽に囚われた魚のように、僕の思考はぐるぐる渦巻いていた。



「……まあ、いいさ。

 話したくなったときに話してくれ。

 相談ならいつでも乗るよ」



 少女は黒髪を風になびかせ、前へ向き直す。

 気を遣わせてしまったことが申し訳なかった。


 そこまで時間もないからと、空港へ足を動かす。

 しかし、会話はない。

 僕らの間には、気まずい空気が広がっていた。


 普段なら心地良いとも思える静寂は、背筋をなぞられているように不愉快で、身体が強張ってしまう。

 

 ああ、どうしてこうなった。

 いや、こんなことになったのは僕のせいだ。

 だから、僕自身が収拾を付けなければいけない。


 勇気を出して話してしまえば、それで終わる。

 終わる、というのに。

 喉元に突っかかった言葉は、どうにも音にならない。


 相談とは、普段は隠している本音を晒すことだ。

 程度の差はあれ、どうしても本当の自分を他人に見せる必要がある。

 そうして起こる弊害は、説明不要だろう。


 つまり、怯えていたのだ、僕は。

 何も飾らない醜い己を見せて、彼女との関係が壊れてしまうことに。


 木々が生い茂る辺りに迫った時。

 そこから、カラスの群れが一斉に飛び上がった。

 ばさばさと翼をはばたかせ、かあかあと鳴く、日常的光景。

 しかし、落ち着かない僕の心を乱すには、それで十分だった。


 咄嗟に身体が固まって、左手に持っていた袋を滑り落としてしまう。

 それの中には、土産用の菓子が入っていた。


 中身が無事か、慌てて確認する。

 が、しかし。肝心の菓子は箱と紙で包装されていて、開けなければ菓子自体を見ることは叶わない。


 割れているか、割れていないか。

 二つの未確定な『結果』が重なり合う、シュレディンガーの猫のような状態だ。



「……何やってんだ、僕は」



 白く半透明のレジ袋の取っ手に指を引っ掛け、腕を上げることで、手ではなく腕で持つようにする。

 こうすれば、些細なことでは落ちないはずだ。

 もう、こんな馬鹿げたミスをするものか。


 情けない自分に呆れて溜息を吐き、顔を上げたとき。

 目の前には、夜空が広がっていた。



「やはり、どこか調子が悪いのかい?

 ずっと寒いところに居たからね。

 風邪でも引いてしまったのかな」



 白く細い指が、髪をかきあげ──そして、額と額を触れさせた。

 『冬の野外だから』という言い訳が意味をなさないほど、少女の体温は低い。

 まるで、雪のようだ。


 近付いた顔に動揺するなと心に言い聞かせながら、優しく手を払い除ける。



「……何だよ、急に」

「それはこっちの台詞だよ。

 先程から様子がおかしいのはきみの方じゃないか」



 珍しく素直に手を離した少女は、僕を指差してそう言った。



「うるさいな。気のせいだ、気のせい」

「正直じゃないなあ、もう。

 そんなことで誤魔化せると思っているのかい?

 わたしは、そこまで馬鹿ではないんだよ」



 耳を塞いで、少女の声を掻き消した。

 そんなこと、僕が一番わかっている。

 伊達に、半年以上ともに時間を過ごしていない。

 けれど、そう誤魔化してしまうほど、僕は本当の自分を彼女に隠したかったのだ。


 抵抗の構えを見せた僕に呆れたのか、諦めたのか。

 少女は一つ、指を立てた。



「わかった。きみが嫌がるなら、わたしはもう追求しない。

 けれど、その代わりに少しだけわたしの話を聞いてほしいんだ」

「……少しだけ、だぞ」



 前に居た少女が僕に並列する。

 右側に車道があるから、左側に。

 一頭身低い背丈は、見下ろすと更に小さく感じられた。


 青色のマフラーがはためく。

 岩礁で波が弾ける。

 空は海と同じ碧色で、どこまでも続いている。


 水天一碧の世界で、星のように君は笑う。



「……ねえ、きみ。『死』って、何だと思う?」


 出会った時と同じように、少女は僕に問い掛けた。

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