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鯨の歌、君の色彩  作者: 四ノ明朔
第一部【ヴォカリーズ/刹那の始まり】
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ストレンジガールと死生観

 煩わしげに、僕は横を見る。

 肘を掛けた柵がぎりりと悲鳴を上げた。

 年季の入ったそれらは、無理に力を入れれば、瞬く間に壊れてしまうだろう。

 だからこそ、屋上は立入禁止とされるのだ。


 けれど、僕は──否。

 僕と、僕の目の前に佇む少女はここに居る。

 この禁じられた空間にただ二人、言いようのない微妙な空気に包まれていた。


 濡羽色の長髪。

 それに隠されるように嵌め込まれた、同色の瞳。

 紺と白のセーラー服と、学校指定の上履き。

 上履きの赤いラインは、彼女が己と同じ一年生であることが示されている。


 彼女は何者か。なんて聞かれても、僕だって知らない。

 この不思議な少女は、気付けばそこにいたのだ。


 突然背後に現れた彼女は僕を見るなり、「きみにとって、『死』とは何だい?」なんて問い掛けて来た。

 今まで僕が垂れ流していた、『死』への講釈。

 それは自分から語り出したのではなく、あくまで彼女が原因であったのだ。


 しかし、顔を見たことのない少女の言葉に、聞く耳を持つ理由がない。

 第一、こんな変な質問をしてくるなんて、少しおかしい奴しかいないだろう。

 無視が安牌だ。


 と、聞こえなかった振りをして、黄昏れていたところ──なんと、彼女は僕の隣に近付いてきた。

 そしてまた、同じ質問をするではないか。

 そうまでされれば無視は出来ず、彼女の思惑通り、答えを出さねばならなくなってしまったのだ。


 実は、結論に至るまで長々と話していたのは、思考の整理も兼ねていた。

 当たり前だろう。

 どこにでも居るような男子高校生に、『死』とは何だと聞いても、速攻答えが返ってくるわけがない。


 ましてや、僕はかなりの理論派だ。

 屁理屈だとしても、主張をするならば、それ相応の理由がなければいけないと考えてしまう。だから、あのような答えなっていたのだ。


 しかし、彼女が欲しているのは、その実、あの問いの答えではない。

 あれは僕に真意を勘付かれないよう、本来の形から歪め、間接的に推し量るためのものだ。


 『死』への考え方、即ち死生観。

 心と深く結び付いたそれは、心そのものが歪めば、同じように歪んでしまう。

 鬱病は、その代表例だ。


 死への恐怖があるというのに、現実から逃避したくて死を望む。

 己の理性と反して、死が思考を支配する。そうして、果てまで呑み込まれてしまえば──その先は、想像に容易い。

 絞首、溺死、薬物摂取。

 例を上げ始めればきりがないほど、死に至る方法は多い。己の場合は、飛び降りだろうか。


 彼女は危惧したのだろう、僕がここから飛び降りることを。

 この学校の屋上は、地上から約十五メートルほど。

 落ちれば重傷を負うことは確実だ。

こんな場所で、こんな顔でいれば、彼女が勘違いしてしまうのも仕方のないことだった──あながち、間違いでもないのだが。



「……そうさ。

 わたしは、きみがここから飛び降りてしまわないか心配で声を掛けた。

 もし飛び降りようものなら、引き摺っても止めようと思ってね」



 僕の質問に答えるように、ようやく彼女が口を開いた。

 どうやら、どう答えるべきか逡巡していたようである。

 一歩間違えば、すぐに飛び降りることの出来る場所だからだろう。

 ただ、止めようと思った時点で、僕と彼女の思考は平行線であることには気付かないようだが。



「とんだお節介だ。

 死にたいと思う奴を止めるなら、救う手を用意してから止めるんだな。

 どうせ、正義感から止めるだけ止めて、そのまま無責任にぽいっと投げ捨てるんだろ?」



 僕は、意趣返しにそう言った。このような言動をする奴は、大抵身勝手だ。

 『止めなければならない』なんて、衝動的な考えで無理矢理現実に縫い付け、その後のことなんて考えやしない。

 彼ら彼女らからすれば、最大限勇気を振り絞ってその選択をしたというのに、その意志すらも踏み躙るのだ。

 自分の『正義』のためだけに。


 黒髪の少女は俯き、錆び付いた柵を力強く握る。



「……そうか。すまない、わたしはきみのことを考えられていなかった」



 はっと、口を抑えた。

 何を言っているんだ、僕は。


 仄暗い感情が首に巻き付いていることを自覚する。

 どろりとしていて醜く、全く人に見せられるものではない。

 けれど、僕は見せてしまった。

 それも、今日出会ったばかりの、初対面の人に。


 こんなこと言うつもりなかったのに。

 そんな後悔をしながら、僕は彼女にフォローを入れた。



「……いや、まあ。

 僕は自殺志願者じゃないよ。

 ただここの景色を気に入って入り浸っているだけ。

 人も来ないし、丁度良いんだ。

 ……言い訳がましいな。

 ごめん、今のは八つ当たりだった。

 全部忘れて、気にしないでほしい」



 視線を外し、そっぽを向いて軽く首に触れる。

 今日は何とも上手くいかない日だ。

 ここに来たのも、そんな現実から逃げるためだというのに。


 一頭身ほど下にある瞳が一瞬見開かれ、伏せられたかと思えば、じっとこちらを見つめた。

 獲物を狙う烏のような、鋭い視線である。



「……そうなのかい? なら、どうしてここへ?」

「……答えなきゃ駄目か。駄目なんだな、その目は」



 咄嗟に捻り出した励ましの言葉は、触れてほしくない己の本心を感じ取らせてしまっていた。

 「自殺志願者じゃない」と言えば、わざわざ屋上を訪れていることを疑問に思われるのもわかるはずだが、それすらも思考が及ばなかったのだ。


 ああ、今日はとことん上手く行かない日だよ、くそったれ。



「僕が何と言おうと笑うなよ」

「笑わないさ、信じてくれ」

「……そう言う奴こそ笑うんだ」

 


 溜息を吐いて、僕は経緯を語る。

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