表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鯨の歌、君の色彩  作者: 四ノ明朔
第二部【変奏曲/流れゆくとき、波風とともに】
15/31

温度差

 ようやく己の心を噛み砕き、飲み干したであろう少女が僕に問い掛ける。



「……ねえ、話通りなら、さ。

 きみは、ずっとわたしの隣に居てくれるのかい?」

「……絶対、とは言えないな」



 濡羽色が伏せられる。少し、答え方を間違ったかもしれない。



「それは、わたしと一緒に居ることが嫌だから?」

「いや、違う。

 僕が先に……『遠く』に行ってしまう可能性を否定しきれないからだ」



 ぱちり。そんな音が聞こえるほど、彼女の目は大きく見開かれた。



「……なら、そうならない限りは──」

「──一緒に居てやるよ。例え、どんなことがあったって」



 未来はわからない。

 どれだけ生にしがみつこうとも、死ぬときは死ぬ。

 また、彼女が一人遺されてしまうこともあるだろう。


 勿論、死ぬ気はない。彼女を死なせる気もない。

 だからこれは、『もしも』の話でしかないのだ。


 少女が、ずいと身体を乗り出した。



「本当に、本当かい? 命に誓って、約束するかい?」

「重すぎるだろ……まあ、同じものか。ああ、約束する」



 息が当たるほど近い距離、僕らは小指を出し合った。

 小指、約束。

 これからすることは、古典的な契約方法だ。



「指切拳万、嘘吐いたら針千本飲ます。

 指切った……って、今考えれば相当物騒だよね。

 私はやるけど」

「今のは否定する流れだっただろ」



 生涯を添い遂げるという、結婚によく似た契りを交わした後とは言えない軽さだ。

 僕ららしいといえば、らしいのだが。



「約束を破らない限りは大丈夫なんだろう? 問題無いさ」



 そう言って、僕の上で寛ぎ始める少女。

 今までの不貞腐れ具合はどうした。

 もう少しくらい、大人しくしてくれても良いんだが。


 そんな不埒な考えをしていたせいか、忘れていてほしかった『罰ゲーム』を、彼女は思い出してしまった。



「そういえば……面白くなかったら、くすぐるって言ったよね?」

「……面白かっただろ」

「嬉しくはあったけれど、面白くはなかったかな。

 ということで、覚悟しろ!」

「嘘だろ、おい!」



 つうと、少女が僕の脇腹を指でなぞった。

 夏服で薄着になっていたことで、なぞられた感覚が直に伝わる。

 『くすぐり』というものを受けたことがない僕にとっては、それだけのことでも過剰に反応してしまうものだった。


 自分でも聞いたことの無いような声を出した。

 悲鳴と、笑い声が混じった声である。

 その意味のわからなさに、ぞわぞわと肌が栗立つ。

 感じたことのない感覚が腹の奥から湧き上がる。


 このままじゃ、やばい。

 身を捩って、そのおかしな感覚から逃げようとするが──。



「逃がすと思うかい?」

「……ですよね」



 悲しいかな。

 体勢と手の位置的に、僕は絶対彼女から逃げられないのである。


 覆い被さるように捕らわれ、彼女の髪で視界が塞がれた。

 今、僕が見えるのは、彼女の顔くらいだ。


 そういえば、タカアシガニなどの一部の甲殻類のオスは、脚を檻のようにしてパートナーを閉じ込めるとか何とか言っていたな。

 守るためだったか、独占するためだったか、理由は忘れてしまったが。


 なんて、それた思考を引き戻すかのように、一際強くくすぐられる。



「他のこと考えている暇があるとでも?」

「……そろそろやめろよ、マジで。本当に、無理だから」

「あとちょっとだけ」



 馬鹿か、君は。やめろって言ってるだろ。


 そう言おうとしても、禄に呂律が回らなかった。

 もしや、僕が知らないだけで、こういう拷問があるのかもしれない。

 普通に苦しいし。


 数分後、本当に意識が朦朧とするレベルでくすぐられた頃。

 彼女は僕を解放した。



「ああ、楽しかった」



 すっかり元気になった彼女は、にこにこ笑顔で乱れた髪を掻き上げる。

 全く、あれほどめそめそしていた君はどこに行ったのだろう。

 嬉しさと憎らしさと、あられもない姿を晒した羞恥心を隠すように、僕はまた彼女に軽口を叩く。



「満足したなら、ほら。さっさと降りろ。重いんだよ」

「失礼な、わたしは軽いんだよ?」

「それでも、重いものは重いんだ」



 数か月前も同じやり取りをしたな。

 歴史というのは繰り返すものらしいが、こうも短い期間で繰り返されていれば──。



「……何やってんだ、お前ら」



 人間は愚かだ。本当に、本当に愚かだ。

 過去に学ぶことが出来ずに、歴史を繰り返す。

 わかりやすく言えば、『天丼ネタ』ということだ。


 上から降ってきた声は、確かにあの時と同じ、低い男性の声。

 ゆっくり顔を上げれば、そこに居たのは見覚えのある男性教師。

 我らが美術部顧問、その人であった。


 僕は大きく息を吸い込み、はっきりとその言葉を紡ぐ。



「……弁明を。先生、弁明をさせてください」

「……この状況で、弁明出来る言い訳があるのか?」



 だが、彼の視線は僕らを哀れんでいた。

 逡巡、天を仰ぐ。頭の中は真っ白であった。



「──僕は、身の潔白を訴えます」

「諦めんなよ……」



 仕方ないだろう、何も考え付かなかったのだ。

 これはもう、先生の良心を信じるしかない。

 やましいことなんて、何一つとしてないわけであるし、未だに僕の上に乗り続けるこの馬鹿が、あの時のように余計なことを言わない限りは、先生だって僕のことを信じてくれるはずだ。


 だから、余計なこと言うなよ、君。

 僕は視線でそう訴えた。



「……なるほど。先生、わたしたちはお楽しみ中だったんです。邪魔しないで──」



 僕は手刀を落とす、思いっ切り。

 彼女の口を塞ぐために。



「『余計なこと言うな』って流れだったろうが!」

「何と。今のは『ボケろ』という流れではないのかい?」



 そんなわけ無いだろ。

 再三言うが馬鹿か、君は。


 呆れるほど空気が読めない少女。

 ある意味お約束の流れとするのは誠に遺憾ではあるが、彼女が空気を読むことを期待した僕も馬鹿だったのかもしれない。

 馬鹿ばっか、というわけだ。


 駄目だ、僕も彼女のボケの空気に呑まれている。

 くだらないオヤジギャグが頭を過るくらいに。


 混乱しっぱなしの脳味噌を落ち着けるため、僕は深く息を吸った。



「……まあ、大体事情は把握した。

 どうせいつもの通りのおふざけの延長線なんだろ?」

「流石です。よく見てるね、先生」

「そりゃあな」



 やっとのことで僕の上から退いた少女は、ソファに寄りかかりながら顧問と話し出した。

 彼女が小柄で軽量だと言っても、やはり人間一人分は重い。

 これでも、前よりは筋力が付いているはずなのだが。

 曲げても力こぶ一つ出ない腕を眺めていると、騒がしい生徒諸君の声が聞こえてきた。



「……聞こえただろ。

 皆が戻ってくる前に、お前は帰った方がいい。

 見つかると面倒臭いからな」

「わかりました。……じゃあ、ここでお別れだな」



 ぐっとソファを押した反動で立ち上がると、僕は少女に向き直る。

 見上げた少女の目元は、少しだけ赤かった。



「寂しくて泣くなよ、あと体調には気を付けろ」

「泣かないよ、そこまで子どもじゃないさ。

 ……ご忠告ありがとう、善処するよ」



 濁した答えを返す彼女に文句を言おうと思ったが、一層騒がしくなってきたため、喉元まで出かかったそれを押し留める。

 パーテーションの裏に置いておいたリュックサックを肩に掛けると、僕は二人に振り返った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ