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鯨の歌、君の色彩  作者: 四ノ明朔
第二部【変奏曲/流れゆくとき、波風とともに】
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その心は

「言ったことはないと思うけれど……実は、学校行事というものに馴染みがなくてね。

 今日が、生まれて初めてだったんだ。

 これまでの体育祭や球技大会は、体調の関係で参加出来ていなかったから」

「……小学校も、中学校も、か?」 



 彼女は、こくりと頷いた。


 彼女は生まれた頃から身体が弱く、入退院を繰り返していた。

 そんな状態でまともに学校に通えるわけがなく、いつも通信教育ばかり。

 当然、行事の参加など以ての外だった。


 そして、今年の春に、やっとのことで通学の許可が出たのだという。



「ここまで来るのに苦労したよ。皆、心配性なんだから」

「それくらい大事にされてるってことだろ」

「そうかなあ……?

 何をするにしても、ずっとわたしのことを見てくるんだよ。

 最近は、『信頼出来る奴が居るから』って、ちょっぴり放任し始めたけど」



 誰のことだよ。いや、僕のことか。

 自惚れでないなら、彼女の保護者的立場の方にまで、僕の存在は知れ渡っているらしい。

 何だか、少し気恥ずかしかった。



「照れてる?」

「照れてない」



 これ以上追求されることを避けるため、僕はそっぽを向いた。

 くすくすと笑う声は、聞こえなかったことにする。



「……やっぱり、ここに来て良かった。

 今日で……違うな、今日まででよくわかったよ。

 学校とは、こんなに楽しいんだね。

 ……きみとも出会えたわけだし。

 もう、心残りはないよ」



 先程までの空気とは一点、少女は寂しそうにそう呟いた。

 それは、病弱で学校に通えていなかったからという理由だけではない。

 別の、もっと深刻な理由があるようだった。


 けれど、僕はそれに触れられなかった。

 触れてはいけないと、肌が空気を感じ取ったのだ。

 だから、僕は明るい調子で言葉を返す。



「何言ってるんだ、今日で終わりじゃないだろ。

 明日も、明後日も……休みだが、来週もまた学校はある。

 君は秋には高文祭もあるんだぞ?

 作品を作るなら、ここに来る必要がある。

 何が『心残りはない』だ、やるべきことしかないじゃないか」

「……そうかもね。うん、そうだ。

 わたしはまだ、終わりじゃない」



 頭を突き出して、撫でろと要求する少女。

 それに従って、僕は濡羽色の髪の上で手を動かした。

 さらりとした髪が彼女の顔に掛からないよう、そして彼女が心地良く居られるよう、優しく、繊細に。



「……懐かしいな。

 昔、おかあさんにこうして慰めてもらっていたんだ」

「誰がお母さんだ」

「そんなこと、誰も言っていないだろう。

 わたしのおかあさんの胸は、こんなに薄くないし固くない」



 僕と自分自身の間に手を挟み込んで、彼女は僕の胸を揉む。

 性別が逆だったらセクハラになるところだった。

 いや、寧ろ今でもセクハラではないだろうか。

 訴えれば勝てるぞ、これ。


 そんな馬鹿げたことを考えていると、ぽつりと少女が呟いた。



「会いたいなあ……。

 会って、こんなに成長したんだねって褒めてほしいなあ……」

「なら、会いに行けばいいだろ」

「そんな簡単な問題じゃないんだよ。

 ……おかあさんも、おとうさんも、皆『遠いところ』にいっちゃったんだ」

「……そうか」



 僕はそれ以上、彼女の家族について追求することはなかった。

 他人が踏み荒らしていい領域ではないと悟ったからだ。


 数分間、風の音ばかりが聞こえる。

 だが、耳を澄ませば、流行りの曲のバンドアレンジと歓声が聞こえた。


 あちらはあちらで、どんちゃん騒ぎをしているようだ。

 あのテンションに付いていけるほど、僕の性格は丸くない。

 流行りの曲を知らない彼女も、そこまで盛り上がれないだろう。


 行かなくて正解だったな。

 なんて思っていると、僕の上のお嬢様が、唐突に無理難題を課してきた。



「ねえ、暇だから何か面白い話をしておくれよ」

「嫌だと言ったら?」

「くすぐるね」

「……面白くなかったら」

「くすぐるね」



 どの道、くすぐられるのかよ。

 腹に添えられた手は、『本当にやるぞ』と脅しをかけてきているようだった。


 後に引けない僕は、前を突き進むしかない。

 しかし、前方は落とし穴だらけの悪路。

 これをどうしろというのだ。


 悩んだ末に、僕は、面白いかは兎も角、彼女に伝えておくべき話をすることにした。



「……君が休憩に行って、長い時間戻ってこなかったときのことだ」



 語るのは、数刻前にあった男性のこと。

 右半身の自由を失い、芸術家として『死んだ』偉大な先人のこと。

 そして、彼の後悔と、僕らへの助言。

 それらを全て、包み隠さずに。



「──そうか、そんなことが……」



 何か言いたそうにした少女は、何度か口を開閉させると押し黙った。

 恐らく、あの時の僕と同じようなことを考えているのだろう。


 才能があるものは、『早死』する。

 一説によれば、神様がその力を羨んで取ってしまうからだとか。


 だが、それは科学的な根拠のない眉唾の話だ。

 因果関係なんてないし、そもそも人は急に死ぬもの。

 『そうであってくれ』と信じたい者が唱えているだけの空想論。


 だから、僕は、神なんて信じてはいない。

 しかし、もし。

 数万歩譲って、もし、居ると仮定したら。

 そんな身勝手な理由で、彼女が『死ぬ』のは困る。

 現実に姿を現さず、自分のテリトリーから出ない引き篭もり野郎に、彼女を、彼女が歩んできた人生を奪われてなるものか。


 だって、僕は多分、彼女の絵が好きなのだ。

 それが見れなくなるのは、多分嫌だ。

 実際に起こっていないし、この感情に理論的な説明が付けられていないから、多分としか言いようがない。

 けれど、この感情は紛れもなく本物だった。

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