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鯨の歌、君の色彩  作者: 四ノ明朔
第二部【変奏曲/流れゆくとき、波風とともに】
13/31

※ジャンルはヒューマンドラマです。

 無論、準備も何もしていない状態で支えられるわけもなく、呆気なく僕は押し倒される。



「答えてくれ、わたしは何か重要なことを知らない気がする!」

「動けんのかよ! というか、あんまり暴れるな!」

「暴れるに決まっているだろう!

 ……さあ吐け、全て吐け!

 いったい、どういうことなんだ!」

「わかったから、一回落ち着け!」



 馬乗りになって、咳混じりに叫ぶ少女。

 このままでは危険だと、肩を抑えて引き込み、身体の上に寝かせるようにする。

 興奮したまま起き上がらないよう、抱き締めて拘束するのも忘れない。


 しばらくそうすると、やっと落ち着いたのか、彼女は抵抗することなく、僕に身体を預けた。



「手間掛けさせやがって……」

「……仕方ないだろう。きみが悪い」

「どこがだよ」



 僕の胸に顔を(うず)める少女。

 荒れていた呼吸は段々と整えられていき、数分も経てば通常時と変わらないほどまで回復していた。



「……それで、どういうことなんだい?

 どうしてきみは、苦手な人混みの中に入ってまで、わたしと文化祭デートを?」

「デートじゃない。

 というか、僕は人混みが嫌いなだけで、苦手じゃないからな。

 勘違いするなよ」

「同じものだろう」

「僕の中じゃ違うんだ」



 言い合いながらも、僕は頭を高速回転させる。

「……まあ、そうだな。

 何で昨日、君と一緒に回ったがだが……」



 しかし、しかしだ。



「……どうしたんだい。早く続きを話しておくれよ」



 ぺちぺちと僕の頬を叩く少女。

 普通ならば即座に止めさせるところだが、今はそんなことを気にしている暇はなかった。

 何故なら──理由を全く考えられないからだ。


 どこから言い始めようか、どう着地させようか。

 まとまりの良い言い回しは、納得の行く理由付けは。


 何となく理由はあったはずだが、何分感覚的過ぎて言葉にできない。

 しかも、当の本人が馬鹿みたいに近い距離にいるせいで、ただでさえ回らない頭が更に回っていない。

 どうしようか、これ。



「……おうい、反応してくれよ。

 目を開けたまま、気絶でもしているのかい?」

「してない。少し考え事をしていただけだ」



 場繋ぎにそう言えば、彼女の鋭い視線が僕を貫く。



「……まさか、理由がないなんて言わないよね?」

「……そんなわけないだろ」



 変なところで勘が鋭いな、空気は読めないくせに。


 罵倒と賞賛を織り交ぜた言葉は口から出ない。

 出てしまえば、仕返しをされることがわかっていたからだ。

 下手に動けない今、不必要な諍いは避けたかった。


 しかし、本当に何も出て来ない。

 強いて言うなら、君となら楽しそうだと思ったからとしか──。


 気付いてしまった本心に、僕はびくりとした。

 『君となら楽しそうだ』だと。

 僕は、本当に、そんなことを考えていたのか。


 思い返せば、彼女と出会ってからの日々は色鮮やかで、それまでの透明な日々が何だったのか疑問になるほどだった。

 『楽しい』なんて言葉が頭の中を幾度も過ぎるほど。

 彼女とともに居ることが当たり前になっていて、そのことをすっかり忘れてしまっていた。


 ああ、そうか。

 本当のところ、僕は文化祭が楽しかったわけじゃなかったんだ。


 少女が居なければ、ただ一人静かな場所で時が過ぎるのを待ち、ただ一人帰路に就く。

 それで終わるはずだった。


 しかし、彼女が居たからこそ、僕は無意識に足を踏み出した。

 それは多分、これまでの彼女との時間の積み重ね。

 『君となら楽しそうだ』という、信頼があったからだと思う。


 だから、あの時の僕は煮え切らない返事を返してしまったのだ。

 心のどこかで『文化祭が楽しかった』のではなく、『彼女とともにいたから楽しかった』ことを理解していたから。


 ともに在る友人も、一生懸命になれるものもなく、ただ流されるまま。

 彼女と出会う前の僕は、一言で言えば、そんな感じだった。


 今も、それほど大きく変わっていないのだろう。

 友達は居ない、一生懸命になれるものもない。

 しかし、ただ一つ違うものがある。


 僕の生活を変えた者、変わり者。

 僕の隣に居続ける、謎に包まれた少女。


 彼女が居たからこそ、僕は少しだけ変われたのだ。

 『楽しい』と、世界を少しだけ前向きに生きられるようになったのだ。


 ぐちゃぐちゃに絡まった毛糸玉を解すように、思考が整理されていく。

 だが、これをどうやって彼女に説明しようか。


 このまま伝えると、勘違い待ったなしだぞ。

 感謝の気持ちはあれど、恋愛感情なんて一つもないんだから。


 ジャンル的には、ラブコメじゃなくてヒューマンドラマなのであるし。

 そこを履き違えられると、互いに困るのだ。


 客観的に見れば、ラブコメもラブコメの状況。

 しかし、当の本人たちにとってはいつもの流れ以上のことはない。

 距離感が近いのも、割といつものことなのだ。


 考えても出て来ない答えに業を煮やし、僕はとても長い前置きをして本題を伝えることにした。



「これから伝えることは、紛れもない僕の本心なのだが……些か言葉選びが上手く行かなくてな。

 聞く人が聞けば勘違い待ったなしの言葉だ。

 しかし、君なら僕の心理を汲み取って、正しい受け取り方をしてくれると──」

「長い、一行」

「恋愛的な意味は全く無い」



 『だろうね』と呆れを含んだ声を漏らす少女。

 君だって大概だろうに。

 僕でなければ勘違いされそうな言動の数々を思い出しつつ、僕は深呼吸した。



「まあ、なんだ。

 その……君と一緒だと楽しいだろうな、と……おい、笑うな。携帯を取り出すんじゃない」

「ごめん、ごめん。もう一度言ってくれるかい?

 着信にしたいからさ」

「どこが『ごめん』なんだよ、反省してないだろ!」



 笑うなと言っておくべきだった。

 羞恥と怒りで若干顔が熱くなりながら、僕は切札を切る。



「君こそ、今日の夜に文化祭の感想を言うって約束だったはずだ。

 さあ、今すぐここで言ってもらおうか」

「良いのかい?

 わたしはきみと違って、恥ずかしがり屋でもなければ、理論派でもないけれど」



 少女の細い指が、僕の首筋に伸ばされる。

 喉仏に触れた親指が、ぐりと喉に沈み込む。

 そこまでされても払い除けないのが、僕の覚悟の証明だった。



「……そうかい。では言わせてもらうよ」



 暗闇の中でよく見えなかったけれど、少女の頬は少し紅潮していた。



「……わたしもね、きみと同じ気持ちさ。

 きみと一緒だったから、楽しく過ごせたんだ」



 しみじみと、少女は思い出を振り返るように目を伏せる。

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