鹿と鹿
オレがスライムとして生まれたこの世界は、〖マナ〗と呼ばれるエネルギーで満ちている。地球には無かったものだ。
いや、人間時代のオレには〖マナ〗を認識できなかっただけかもしれないが、ともかく。地球の常識では存在しないエネルギーである。
その〖マナ〗だが、場所によって濃度は異なる。そして〖マナ〗の濃いところほど強い魔獣が多い。
なのでそういう場所には決して近付いてはならない、というのがスライムの群れでの教えだった。
「(けど、今のオレなら問題ねぇ)」
〖進化〗によってオレは劇的に強くなった。
昨日から少しずつ〖マナ〗の濃い方へ、濃い方へと向かっていたが、今日は大胆に踏み込んでみようと思う。
「(〖スラッシュ〗)」
ある程度進んだところ鞭を伸ばし、先端の刃を振るった。
落ちて来た果実をもう一つの鞭でキャッチし、体内に取り込み溶かしていく。
「(おぉっ、美味ぇ!)」
白い洋ナシみてぇなその果物は、スライムに生まれてから食べた中で断トツで美味しかった。
まず、甘い。
スライム村周辺で採れる果実は酸味や渋味九十九パーセントみてぇなのばっかだったが、今食べたコレは現代の果実のように甘く、酸味も程よく利いていた。
これも多分〖マナ〗が濃い影響だろうな。
強い〖マナ〗に中てられると栄養価が高くなり、ついでに味も良くなるのだ。
そしてそういう植物を食べて育った草食の魔獣もまた、〖マナ〗が豊富で味も良い。
以前スラ太達に押し切られ、〖マナ〗の濃い奥地に行ったことがあるから分かるのだ。
その時は運よく一匹狩れたものの、その後すぐに〖長獣〗に襲われ、二度と奥地には入らないと決意したが。
強い魔獣が高〖マナ〗帯に集まるのは、美味しい獲物が多いからかもしれねぇ。
「(ん? ここは泉、か)」
森が開けたところで水場を見つけた。
池のように広い泉だ。
「(そういや、スライムになってから喉が渇いたことねーな)」
当たり前になっていて今まで気づけなかったが、オレや他のスライムが水を求めたことは一度もない。
スライムには水分が不要なのか、もしくは植物や血に含まれる水分だけで充分なのか。
「(どっちにしろ関係ねーが、待ち伏せスポットとしちゃ上々だな)」
オレには不要でも他の魔獣はそうじゃない。
きっと水飲みに来る者はそこそこいるはずだ。
そしてノコノコ現れ水を飲み始めたところをバックアタック。重い初撃が入ればその後の戦闘も有利に進める。
完璧な作戦だぜ。
「(よし、この木なら大丈夫そうだな)」
泉の傍に生えていた他のより太い木に登る。
〖進化〗で体重も増えたが、こいつなら耐えられるだろう。
〖登攀〗を使い、ついでに体を出来るだけ広げることで重さを分散させる。
〖パワー〗が上がったので登るの自体は以前よりも楽だった。
はてさて、そんな風にして敵の訪れを待つこと何分か。
二体の魔獣がやって来た。
そいつらは鹿に似ていて、片方は赤黒く禍々しい枝角を持ち、もう片方は角が無い代わりに体に複雑な紋様が描かれている。
睦まじい様子を見るに番いのようだ。
彼らは仲良く並んで泉の水に口を付けだした。
チャンスだ。オレは〖隠密〗を使い、そろ~りと木から降りる。
鹿達に慎重に近寄って行き、鞭の先に刃を作り出したその時。
──どっぱんッ!
大きな水柱が上がった。
そちらに気を取られた一瞬の内に、牡鹿は頭を噛み砕かれていた。
「(!?)」
それを為した魔獣はすぐさま次の獲物を見定める。
血の滴る牙を剥き、無駄のない敏捷な動作でもって、逃げ出しかけた牝鹿の首に噛み付いた。
断末魔の声はか細かった。
ぐったりと地に横たわった牝鹿は、一度大きく体を痙攣させた後、大量の血を吐いて絶命する。
「(強ぇ……っ)」
〖長獣〗相当っぽかった鹿達を瞬殺しちまった。
あの魔獣もまだ〖長獣〗だろうに、自身の得意分野を活かして一方的に勝利するとは。
「シュルルルゥ……」
魔獣がオレを睨んで威嚇する。
そいつは縦長のボディをしていた。
上下に二本ずつ生えた長い牙が生えており、それらは鉄すら貫けそうだ。
ヌメリとした質感の黒い皮膚は光を照り返す。
蒸気のような唸り声を漏らすそいつは、例えるならハモが一番近そうだ。
眉間に第三の目が付いているのが地球産との違いだが。
「スラーッ!」
少しの間睨み合っていたが、痺れを切らしてオレは駆け出す。
それを待っていたかのように、ハモは小さな渦巻きを繰り出した。
「(ちょうどいい、〖回避〗!)」
直進する渦巻きに対しオレも真っ直ぐ向かって行き、当たる寸前で斜め前に進路を変えた。
〖回避〗による素早さの向上を利用し、一気に距離を詰める。
「シュルァッ」
が、躱したはずの渦巻きも向きを変え、オレを追いかけて来ていた。
渦巻きは放った後も操れるのか!
けど、これはこれで好都合。
追われているという状況を活かし、〖逃走〗を使ってさらに加速してやる。
「シュッ、シュルルゥアツ」
オレの二度にわたる加速にハモは面食らったようだったが、すぐに牙を剥いて襲い掛かって来た。
水辺から上半身を伸ばし、あっという間にオレを射程に捉える。
「(〖ブロック〗!)」
その瞬間に合わせ、攻撃を防ぐ〖ウェポンスキル〗を発動。
オレの体はより一層固くなり、それによって牙の一撃を無傷で弾き返せた。
「〖スラッシュ〗、〖コンパクトスラッシュ〗、からの〖スラッシュ〗!」
牙を受け止め、その後即座に空中に逃げ出したオレは、そこから〖ウェポンスキル〗を連発する。
ハモの顔を斬り付け、斬り付け、そしてもう一度斬りつけようとしたが空振りに終わった。
ハモが身を引いたのだ。
ざぶんと泉に潜るハモ。
出て来るのを待つオレに、背後から渦巻きが直撃した。
「(ガボボボボボ……いや、全然平気だな)」
とはいえ、ダメージはない。息苦しくもない。
高速回転する水流の中で洗濯物の気分を味わっていると、十秒ほどで消えて行った。
だが、ハモは水中で何のアクションも見せない。
ただこちらの様子を窺っているだけである。
オレは待つ。釣り人のように、待つ。
今は耐える時間だ。ここで焦っては相手に付け入る隙を与える。
そうして体感時間で二十分ほどが流れて、これはおかしいのではと気付く。
「(……あれ? おーいっ、出てこーい!)」
何度か呼び掛けるもハモは泉から出てこない。
もしやこいつ……オレが居なくなるのを待つ気か!?




