まっくらやみの袋の中で 〜クマのぬいぐるみがプレゼント袋から外へ出るまでのお話〜
クマのぬいぐるみが、プレゼント袋から出してもらえるまで、まっくらやみの袋の中であれやこれやと呟いています。少々口が悪いのですが、このクマのぬいぐるみを作った職人の口調がそのまま移っているんじゃないかと思います。 ※1/8 体裁、漢字の量など少し改稿しました。
毎日毎日、大勢のざわめきに混じって同じ音楽が聞こえてくる。延々と、一日中。
メリーメリークリスマス。ホーリーナイトにサンタクロース。
さすがに気がおかしくなりそうだけど、オレはここから動けない。
まっくらやみの袋の中で、光が入るのをずっと待っている。
オレは高級品の、茶色いクマのぬいぐるみ。
自分で言うのもなんだが、マジで仕立てがいい。ふかふかのさわり心地に、確かな縫製。
北極の工房で作られて、上品な薄桃色の布袋につめ込まれ、サテンのリボンで出口をふさがれて、どっか知らねえ遠い国まで飛ばされた。
行き先は別にどこでもよかったけど、北極地方の工房よりずっと暖かい場所だったので、それはちょっとありがたい。
「クマのぬいぐるみ、8万だって。たっか」
通りすがりの誰かがつぶやいた。
高いのかなんだか知らないが、オレはなかなか売れそうにない。
しかも、ディスプレイされてりゃまだマシなんだが、展示用と販売用が分けられてて、オレは販売用。
ご丁寧にディスプレイ台の奥に隠されていて、袋から出してもらえない。
包装に使われている袋もなまじ質が良い布で作られているもんだから、光一筋も通さない。袋の中はまっくらやみだ。
誰でもいいから、早くここから出してくれねえかな。
毎日退屈で仕方ない。
あと、音楽な。
まっくらやみの袋の中で、同じ曲を一日中聞かされるのって、かなりキツイ。
毎日聞こえる音楽は、クリスマスの曲だと自然にわかる。
オレはクリスマス仕様のクマだから、誰に教わらなくても知っている。
ぬいぐるみの本能、ってやつかもな。
となりあう感触は、オレと同じようにふかふかしてる。
まわりにも似たような奴らがいて、ひとつ、ふたつと減っていく。
子供にせがまれていったやつ、
老夫婦らしき二人が吟味して連れて行ったやつ、
毎年限定品を楽しみにしてると言ってたコレクターに買われたやつ。
オレを買うのは、どんな奴だろうと想像した。
とってもかわいいクマ、だしな。ぬいぐるみだしな。そんで、ちょっと高いんだろ。
金持ちのジイさんが孫にプレゼントするとか、そういうんだろうか。
そこまで愛されたいとも願ってないが、乱暴にあつかわれるのはちょっとごめんだ。
いらないなんて言って、引き出しにしまわれたりしたら最悪だ。
オレは作りが高級な割に、あんまり上品な中身じゃねえから、かざりっぱなしになるのも苦手だな。
そうだな、おだやかな持ち主で、あちこち連れ出してくれたら最高だ。
こっちも持ち主を選べたらいいのにな。関係性として、不公平にも程がある。
まあ、自分で何ともならないことに、あんまり期待しない方がいい。
ただ待っているのもめんどくせえなと、毎日うとうとしていたら、その日は突然やってきた。
なんの前ぶれもなし。
急に袋ごと持ち上げられて、なんだなんだとあわてているうちに、
「それ、ください」
聞こえたのは、少しそっけない年老いた男の声。
予想通りすぎて逆にびっくりだが、やっぱり金持ちジイさんか?
いつもの店員の、丁寧で上品なお礼の声が聞こえてくる。
ガサガサと聞こえる紙袋の音。
オレの入っている薄桃色の布袋は、さらに上等な紙袋に入れられるらしい。
どんだけ閉じ込める気だよとちょっと思ったが、もうそんなことはどうでもいいか。
いよいよお買い上げだ!
まっくらやみとも、もうすぐおさらばだ。
ようやくだって、盛り上がったね。オレ一人で、心は大興奮。
楽しみというか、やってやろうじゃねえのって挑戦的な気分で運ばれていく。
まあ、何をやるってわけでもないけど。ぬいぐるみの心がまえ的に、だ。
オレを買ったジイさんは車に乗り込んだ。
オレの入った紙袋を、丁寧な感じで座席にそっと置く。よし、悪くない。
バタンとドアの閉まる音。エンジンの音がひびき始める。ガソリンの匂い。
発進と停止はとても丁寧で、乗り心地がいい。
ラジオから聞こえる音楽は、やっぱりクリスマスソング。
でも初めて聞く曲だ。店で聞いてた曲と全く違う。最高だ。
これだけでも、外に出たかいがある。新しいものに心がわくわくする。
いや、本番はこの袋を出てからだ。
オレはまだ、まっくらやみの袋の中で、光が入るのをずっとずっと待っている。
目的地に着いたのか、車が止まる。車のドアが静かに開く。オレは紙袋ごと持ち上げられた。
コツコツとひびく靴音。しばらく行ってガチャガチャと鍵を取り出す音、玄関のドアを開ける音、電気のスイッチをつける音、ドアの閉まる重い音。
プツッという、かすかな電子音のあと、急ににぎやかな音が聞こえ始めた。スピーカーから聞こえる音質、やけに反響してる。この家は何だか広そうだが、ジイさんしかいないみたいだ。ただいまも、おかえりも聞こえない。
――クリスマスまであと一週間! あなたは誰に、どんなプレゼントを用意しましたか?
――子供に人気の最新プレゼントランキング!
――恋人と行きたいイルミネーションスポット紹介!
――6時間生放送! 懐メロ&最新クリスマスソングをたっぷりお届け!
がさり、とオレはどこかの台の上に置かれたようだ。
そしてそのまま。
そのまま。
はじめに置かれた場所から一度も動かされることなく、何日もそのままだった。
オレはまだ、ずっとまっくらやみの中にいる。
ジイさんは時々、オレに向かって独り言を言う。
「すまなかった」
「今さら会いに行ったところで」
「元気になってくれ」
「神様、どうか」
知りたくもなかったが、ジイさんは勝手に事情を打ち明けてくる。
けんか別れした娘が子供を産んで、その子が重い病気にかかっていると。
もうすぐ二歳の、一度も会ったことのない小さな女の子。たった一人の孫娘。
会いに行きたくて、プレゼントに立派なぬいぐるみを買ったはいいものの、勇気が出ないと。
正直、後悔話を毎日聞かされるのは結構きつい。
その話はさ、クマのぬいぐるみの入った袋なんかに向かって言うんじゃなくて、自分の娘に直接言えばいいんじゃねえの。オレに謝ってどうすんだって話だよ。せっかくクリスマスプレゼントまで買ったのに、袋の中に入れっぱなし、手元に置きっぱなしじゃ、どうにもならない。伝わるわけがねえんだよ。
「金の使い方がわからない」
「こんな高いものは、当てつけのようだろうか」
「いくらだって使ってやりたい、もう金などいらない」
「神様、どうか」
金に物を言わせたようなもん買うんじゃなかった?
手作りの方が、気持ちを伝えられそう?
よろこんでもらえるかわからない?
知らねえよ。
でも、真心こもっているんだろう。
こんなバカみてえに高いクマのぬいぐるみなんか、買ってしまうくらいには。
聞こえる曲がクリスマスソングじゃなくなって、聞いたことのない異国の音で新年を祝う言葉に代わっても、オレはまだ袋の中に入ったままだった。
――明けましておめでとうございます〜〜
――今年大人気の福袋。わっ、これ、普段の倍以上のお値打ちですよ!
――紅白出場の人気バンドの皆さんが特別出演です!
――いつもよりっ、多く回しておりますっ
知らない誰かの笑い声と知らない曲が、たくさんたくさん流れていく。
オレはまだ、まっくらやみの袋の中で、光が入るのを待っている。
ずっと、ずっと待っているんだ。
クリスマスにわたされない、開けてもらえない高価なプレゼントなんて、まったくろくなモンじゃねえ。
大体、オレはクリスマス仕様だっつってんだろ。ジイさん、忘れてねえだろうな。
身につけた服は、赤と白のサンタ服。
それこそ今さら、どうやって渡しに行くっていうんだろうな。
置きっぱなしでいいからさ、もう袋、開けてくんねえかな。
わたさねえなら、そうと決めちまえばいいのに。
いつか渡しに行けるんじゃないかって、未練がましくプレゼント用の袋に包んだまま取っておいたりしないでさ。
ジイさんとの二人ぐらしでも、オレは全然かまわねえよ。うん、全然いい。
あんたがどんな顔をしてるかさえ、オレは知らない。
まっくらやみは、もう、うんざりだ。
そしてまた、その日は突然やってきた。
何の前ぶれもなし。
いくらぬいぐるみが受動的だからって、ちっとは情報共有してほしい。
ジイさんが珍しく誰かと電話していたかと思うと、急にバタバタと外出の準備をして、いきなりオレの入った紙袋を持ち上げた。
えっ、うそ、なに、マジで?
早く変化来ねえかな〜なんて思ってたが、いざとなるとパニックに近い。
なんで、どこ行くんだ?
つか、さっきの電話、何だよ、誰だよ。
ジイさんは車に乗り込んだ。
紙袋がドサリと雑にシートに置かれる。やべえ、不安になるんだけど。
急いでドアを閉める音。せわしないエンジンの音、ガソリンの匂い。発進と停止が少々乱暴で、少し酔いそう。
ずいぶん長く走った後、ようやく車が停車した。
あわただしくジイさんが車を降りる。オレの入った紙袋も引っつかむようにして持って出る。ドアを閉める音がでかい。
ガサガサと紙袋を揺らしながら、走る足音。
しばらくして足音が変わる。建物に入った音だ。
受付らしきところで名前を告げている。
ジイさんの名前は、聞きそびれた。
ツンとする消毒液の匂い。声をひそめた人々のざわめきが、かすかに聞こえる。
時折、誰かを呼び出すザラザラとした放送の音が、雑音と一緒に流れていく。
階段を登っていって、多分、三階。
進む速度がゆっくりになっていく。
足を止める。
深呼吸を吐き出す音。
深呼吸の音、深呼吸の音、深呼吸の音、何回するんだよ、深呼吸。
それから、ガラリと開ける引き戸の音。
「お父さん」
知らない女の、おどろいた声。
それから小さな子供の立てる、意味のないあどけない声。
もうわかった。ここは孫娘の入院している病院だ。
ジイさんはどういうきっかけか知らねえが、ようやく娘と孫に会いにきたってわけだ。
大人同士の小声の話。
どういうやりとりかハッキリ聞こえねえが、毎日あんだけ後悔してたんだ。しっかり伝えろよ、とオレはジイさんを応援する。
たのむ、ここでケンカすんなよ。
ちゃんと仲直りしろよ。
そんで、オレを外に出してくれ!
がさり、とおもむろに紙袋の中から、オレの入った布袋が取り出された。
いける? いけるのか!?
オレは宙に浮いたような感覚に身をまかせ、これから起こることに胸をふくらませる。
「遅くなってしまったが、これは、クリスマスプレゼントなんだ」
「本当、ずいぶん遅いわね」
そうは言っても、本気でなじる声じゃない。気やすい間で交わす言葉の雰囲気だ。
ジイさん、うまく話せたんだろうか。
ここまできたんだ。今さら引っ込めたりするなよ。
ちゃんとわたして、オレを外に出してくれ。
あと少しだ。
「すまなかった」
「ううん、私もいやな言い方してごめん。ずっと前から用意してくれてたんだね、ありがとう」
ありがとう!?
オレは、ジイさんの娘に心から感謝した。
断らないでくれて、マジでありがとう!!
「ほら、おじいちゃんからプレゼントだって」
そう言った声にうながされるように、オレは袋ごと、ジイさんの手から離れていく。
おぼつかない小さな手が受け取ってくれる感触。
きっとこの子が、オレの持ち主だ。
ああ、本当にあと少しだ。
やばい、緊張で、ないはずの心臓が飛び出しそう。
あっという間に、しゅるりとリボンが外される音がして。
そして、ためらいもなく、いきおいよく開けられた袋。
こがれ続けた真っ白い光が、一気に頭上から差し込んで、目の中いっぱいに飛び込んでくる。
胸が苦しい。少し怖い。
まぶしくて、まぶしくて、泣きそうだ。
「わあっ!」
はじけるような声がひびく。
目の前にあったのは、光よりもまぶしい女の子の笑顔。
この世で最初に夜明けを見たら、きっとこういう気持ちだろう。
かみさま、って人がつぶやく気持ちは、多分こういうことだろう。
小さな女の子は、小さな腕でオレをぎゅうっと抱きしめて、うれしそうにグリグリと顔を押し付けてくる。
ちょ、力強えな。いってえ。綿がつぶれるだろ。あと、なんかちょっとベトベトする。
感傷的な気分は一気に吹き飛んで、最高に笑いたい気持ちになってくる。
「もう、あんな高いの買ってきて。子供なんて、すぐに汚しちゃうわよ」
あきれたような娘さんの声が、頭上から小さく聞こえる。
バカだな、そんなこと言いたいわけじゃないんだろ。だって、今にも泣きそうなふるえた声。
「汚したって、かまわないんだ」
ほらみろ、ジイさんの方はボロ泣きだ。
そっか、オレを連れてきたやつは、こんな顔をしてたんだな。
オレは無表情のまま、真っ黒の瞳で、世界一かわいい小さな女の子を見つめ返す。
何だよ、外の世界、最高じゃねえか。
女の子はうれしそうに笑って、またぎゅうっと力一杯抱きしめてくる。
マジで綿、出そう。オレほどの高級仕立てじゃなかったら、糸切れてんじゃねえの。
せっかく会えたんだ。もうちょいやさしく扱ってくれるとありがてえな。
どうせなら、長く一緒にいたいだろ。
オレの説明書にも書いてあるはずだ。最高の仕立てで、丈夫で長持ち。大人になったら、ご自身のお子さんやお孫さんにもおゆずりいただけますって。
まあ、そういうわけだ。
大人どもは勝手に話させときゃいいよ。多分、もう大丈夫。
しばらくの長い間、よろしく頼むよ、おじょうさん。