その1
「お待たせいたしました」
私は水色のドレスの裾を持ち、お辞儀する。
髪の毛は一つにまとめられ、アップされている。小さな真珠の髪飾りを付けられ、耳にもイヤリングを施された。真珠のネックレスが慣れなくて重いが我慢する。そもそも、こんな格好でダイニングへ向かうつもりはなかったのだ。私は町娘なのだから、それなりに身綺麗ならば、それでいいはず。などと、散々ルナに懇願したのだが、
「いいえ。それ以前にエミリー様は今シチュワート王子に求婚された婚約者候補であり、また宮廷巫女でもあります。そんな方が街着で会食に向かわれたら、シチュワート王子はともかくワイアード王が気分を害されるでしょう。それでは困るのではないですか?」
と、きっぱりと正論で否定され、私はしかたなく折れるしかなかった。シチュワート王子に嫌われるためには街着の方がいいかもしれないが、同時にワイアード王の機嫌を損ねて締まっては意味がない。
(拾ってもらった命を粗末にはできないものね)
こっそり溜め息を吐きつつ、用意された席に座ると、シチュワート王子と目が合った。
瞬間、シチュワート王子が優しく緑色の瞳を細めてくる。蕩けるような笑みっていうのはこういうのを言うのだな、と関心してしまうほど甘さを含んだ表情に、私はついつい体温を上昇させてしまった。
(これから嫌われようとしているのに……)
我ながら情けない。密かに落ち込んでいるのをよそに、食事が始まった。
食事は和やかに進められた。アリシア王女はほとんど口をきいてはくれなかったが、その代わりシチュワート王子とワイアード王が互いの国の文化についての会話を始め、私も少なからず参加させて貰った。
「市井の暮らしもなかなか興味深いものだな」
ワイアード王がしみじみと告げる。出されていく料理も、いつの間にか後半戦となっていた。私はルナへ視線を送ると、ルナが視線で肯定してきた。準備が整ったということだ。
(いい流れだわ!)
私はワイアード王の言葉に感謝して、おもむろに口を開く。
「皆様。次のお料理なのですが。実は我が家の料理をぜひ食べて欲しいと思いまして、勝手に一品ご用意させていただいたのです」
私の言葉に、ワイアード王が小さく首肯する。
「なるほど、市井の料理か」
「それは楽しみですね」
シチュワート王子が嬉しげに声を弾ませる。アリシア王女だけが、少し顔を俯けた。
(大丈夫よ、アリシア王女。これで私はシチュワート王子に嫌われる手筈だから)
内心で語りかけながら、ルナに合図を送ると、給仕の男性たちが入ってきた。
目の前に皿が置かれていく。その上に乗せられた料理を見て、三人は目を丸くした。
「スギハと言います。発酵させた肉の細切れを固めたものです。北の地方の郷土料理なのですが、我が家でもご馳走としてよく食べられています」
もちろん嘘である。北の地方の郷土料理なのは間違いないのだが、相当癖のある珍味であり、我が家で食べられるのは父だけだった。
要は、それほどに臭いのである。発酵と言えば聞こえはいいが、腐ったような臭いがするという、そんな料理だ。
(さあ、あなたが婚約者にしたい娘はこんな料理を平気で食べる家で育ってるのよ)
内心で得意になりながら、私はわざと平気そうにどんどんスギハを口に運んでいく。
食べていて気づいた。臭いさえ我慢してしまえば、そんなにマズイ料理ではないのだということに。
(結構食べられちゃうかも?)
家に帰ったら母に作って貰えるようねだってみよう。などと思っていると、ワイアード王が、うむ、と声を上げた。
「なかなか癖になる味だな」
ワイアード王よ感想に、私は軽く目を見開く。
「え……お兄様……」
戸惑ったような声音で兄を呼ぶアリシア王女の反対側で、シチュワート王子が感嘆の声を上げた。
「これは……。こんなに美味しい料理は、今まで食べたことがありません。エミリー様、私のためにありがとうございます」
信じられない発言へ対し、弾かれたようにシチュワート王子を見遣ると、きらきらとした瞳をぶつけられた。
「え! あ、あの、お気に召した感じ、ですか?」
「もちろんですとも」
予想外の感想に、私は言うべき言葉を見失う。
あれ? なんで? どうなっているんだろう……。
「うむ。まあ、わたしも良いと思うぞ」
スギハを平らげたワイアード王が、口周りをナプキンで拭きながら、しきりに首を縦に振る。
「あー……それは、良かったです」
困惑して苦笑っていると、一際冷淡な声が耳に届いた。
「殿方には、口に合う料理なのかもしれませんわね」
「そうなのかもしれませんね……」
不愉快げな声音に対し、私は素直に同意してしまう。すると、アリシア王女が突如立ち上がった。
「アリシア? いかがした?」
ワイアード王が目を瞠りながらアリシア王女に問うと、アリシア王女は露骨に顔を顰めた。
「慣れないお料理をいただいたせいか、少し胸苦しくなりました。お兄様たちには申し訳ございませんが、これにて失礼させていただきますわ」
告げるが早いかすぐさまダイニングを去っていく。そんなアリシア王女を視線で追いつつ、私は唇を噛み締めた。
(失敗だわ……)
怒らせる相手を間違えた。私が怒らせるべき相手はシチュワート王子なのに。幻滅させるどころか、心底嬉しげな顔で私を見つめてきている。
(これでは逆効果だわ!)
順番を間違ったのだ。まずはアリシア王女本人と話さなくてはならなかった。その上で、彼女の望むような展開で、私が嫌われるように持っていくべきだったのだ。
(まだよ! どうにかして、挽回させなくっちゃ!)
私は膝のドレスをぎゅっと握り締めながら、
「あの……」
ワイアード王へ声をかける。すると、ワイアード王が力なく笑った。
「大丈夫だ。あれにはかわいそうだが、しておきたい話があるしな」
ワイアード王は言葉とともに吐息して、お茶を、と給仕に告げる。私は片付けられていく皿へなんとなく視線を送っていると、ワイアード王が尋ねてきた。
「エミリー殿。エミリー殿は、アリシアの想い人に心当たりはあるのか?」
ワイアード王の質問に、私は頷く。
「はい。何人かですが」
「そんなに幾人もいるのか」
目を見開くワイアード王に、私は手を左右に振ってみせた。
「いいえ。今のところお二人です」
「ほう……。して、それは誰だ?」
重ねて問いかけてくるワイアード王に、私はかぶりを振る。
「今はまだ。まずはアリシア王女様ご当人とお話させていただきたいのですが。私経った今気分を害してしまったようなので……」
焦りすぎたのがいけなかった。もう少し準備していたなら、すべて上手くいったはずなのに。ドレスを握り締める手を強くしていると、ワイアード王が、ふむ、と顎に手を当てた。
「では、明日にでも直接二人で話ができるよう私が取り計らおう。それでよいかな?」
ワイアード王の提案に、私は一も二もなく飛びついた。
「はい! よろしくお願いいたします!」
「うむ。では、まあ、せっかくなのでな。先ほどの料理の礼に、我が城のデザートでも堪能していってくれ」
ワイアード王の発言を合図に、新たな皿が運ばれてくる。紅茶のいい匂いが辺りを包んだ。
「焼き菓子なのだが、生地にチーズが練り込んであってな。なかなかに美味なのだ」
ワイアード王が珍しく優しげな声音で語る。眼前には、美味しそうな三角のケーキが一つ置かれている。
「ありがとうございます。いただきます」
正直言うと、落ち込んではいるのだが、だからこそ美味しいものを食べて回復させなくては。フォークでケーキを切り、口へ運ぶ。
「本当は、アリシアも好物なのだがな」
口腔内に入れた瞬間、ワイアード王の悲しげな呟きがやけに耳へ響いた。
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