その6
「エミリー様、とりあえずまだ夕食までには時間がありますが、お茶でもご用意いたしましょうか?」
ルナの提案に、私は首を左右に振る。
「いいえ。それよりやることがあるの」
「と、おっしゃるということは、思いついたのですか? シチュワート王子に嫌われる方法を」
再度尋ねてくるルナに、私は微笑む。
「そうよ。だから急いで準備しなくちゃ」
「わたくしにできることはありますか?」
「うーん……」
ルナに訊かれて、私は小首をかしげる。本当のところ、ルナの助けは特に必要ないのだけど、そう言ってしまうのも申し訳ない。
「そうね。じゃあ、小さな瓶を用意してもらえる? そしたら、そこで見ていてくれるかしら? 十五分くらいで終わるから」
私の要望に、今度はルナが小首をかしげた。
「何をなさるのです?」
「聖水を作るのよ」
軽い口調で告げたのだが、ルナの表情が少しだけ曇った。
「本当になさるのですね?」
「ええ」
念押ししてくるルナに頷いてみせると、
「かしこまりました」
ルナは踵を返した。
待つことしばし、小部屋からゆっくりとした足取りでルナが戻ってくる。
「お待たせいたしました」
小瓶を手渡され、私は礼を言う。
「ありがとう」
一礼したルナは私から離れ、小さな椅子に座った。私は首を縦に振ってみせた後、丸テーブルの上に小瓶を置き、目を閉じて両手を翳す。
「水よ、人と人の縁の真実を見せし水よ。我の声に答え姿を現したまえ」
言葉とともに深呼吸を続けていると、ふと、頭に初めてこの聖水を作った日のことが脳裏を過ぎった。
そうだ。私がこの水を作り出したのは、この城の中でのことだったっけんだっけ。
商人である父について城を訪れた時、裏門で城の人たちと話をしている父を待っているのは退屈で。父の手を離してしまった後、入り込んだ庭園内で迷ってしまったんだ。その時、確か、そう、庭木で造られた迷路の中で不機嫌にしゃがみこんでいる男の子を見つけて、それで……。
その時、キンッと澄んだ音が耳に響き、私は我に返った。聖水ができた合図だ。
私は目を開ける。
栓をされた小瓶の中に、たっぷりと水が入っていた。
私は安堵して、深く吐息する。
「何もないところから水が。精霊の加護もないのに。やはりエミリー様の力は魔法とは違うもの、まさに奇跡というべきなのですね」
「そんな大層なもんじゃないわよ。この水の効果だって、元から紡がれている縁を強化してるだけなのよ。だから強い縁はより強く、弱い縁はよりマイナスに強化されて弱くなっちゃうわけ」
種明かしをしながら肩を竦めてみせると、ルナが肩で息をした。
「そういうことだったんですね」
「そういうこと」
しみじみとした調子で言葉を紡ぐルナに、私は苦笑する。
すると、ルナが、あの、とためらいがちに訊いてきた。
「聖水を作っていらっしゃる時は、特に何を思っていらっしゃるのですか?」
ルナの問いかけに、私はきょとんとしてしまう。
「え? ああ、なんだか映像が浮かぶのよ。その人がこの水を必要としてるきっかけだったりとか、願っている場面とかが。……そういえば……」
不意に先ほどのことが思い起こされた。あの映像は、間違いなく私の過去だ。
「いかがしたんです?」
心配げなルナに、私は口を開く。
「さっき水を作った時は、私が昔初めて水を作った日の出来事だったわ」
言葉を切ると、ルナが話を促してくる。
「どのようなことがあったのかお聞きしても?」
真剣な表情で尋ねてくるルナに、少々気後れしながらも、私は記憶を思い出してみた。
「うんと、この城で裏門から親とはぐれて迷子になっちゃって。庭園の迷路に迷い込んだらそこに男の子がいてね。ここからはあんまり覚えていないんだけど、なんだかふてくされたようにしゃがみこんでいて。私はなぜだか知らないけれど、その子の笑顔が見たくなったの。それで、んーと、そこからが曖昧なのよね。あれ? そういえば、その時私あの子と水を……」
次の瞬間、突然ノック音が響き渡り、私の思考はとぎれた。
「はい」
ルナが立ち上がり、即座に応対する。
「夕食の時刻が近くなって参りましたので、ご準備をよろしくお願いいたします」
扉の前に侍従の一人が立っていて、一礼してきた。
「かしこまりました」
「夕食は十八時からです。それでは」
去って行こうとする侍従を、私は呼びとめる。
「あの! ちょっと待ってください!」
私は侍従を呼びとめる。
「何か?」
不愉快な様子を隠しもせず眉根を寄せる侍従に、私は頼み込む。
「実はどうしても、食事の最後に一品加えていただきたいものがあるんです。すぐにメモするので待ってください」
私は言い置いて、急ぎ机で紙に筆を走らせ、その紙を侍従のもとに持っていった。
「これ通りに作って貰ってくださいお願いします」
紙を渡して頭を下げると、侍従は目をしきりに瞬いた後、姿勢を正した。
「……かしこまりました」
侍従は再度一礼して去っていった。ルナが扉を閉めながら、怪訝そうな顔で私を見遣る。
「エミリー様? 何を?」
「まあ、後でのお楽しみってことで、ね?」
私は目配せをして話を濁す。
「エミリー様ったら」
ルナが呆れたような声音とともにくすりと笑んだ。
さあ、これからが勝負時よ、エミリー。
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