その4
城に舞い戻ると、先に戻っていたワイアード王に出迎えられた。
「ついてきなさい」
踵を返すワイアード王に私たちはついていく。
右側に窓のある回廊をしばらく歩くと、シチュワート王子が、こっそり声をかけてきた。
「この先へ行った場所が私が滞在している塔です。いつでも遊びに来てくださいね」
「はい。ありがとうございます」
白壁とグレーの屋根が基調の城だが、不思議と威圧感はない。これでそこに住む方たちがもう少し柔軟性にある方たちだったら。などと考えていると、しっかりと閉ざされた白に金細工が施された扉の前で、ワイアード王が振り返った。
「ここがそなたの塔だ。昔は宮廷巫女がいてこの塔に暮らしていた。『聖なる塔』と言う。見張りはつけるが自由に出歩いて構わない」
「ありがとうございます」
『聖なる塔』と呼ばれる区間は、シチュワート王子の塔にほど近い棟だった。回廊を抜けると、中庭に出る。庭の奥には礼拝堂があった。
「出入りは自由だ。光の神ウェルデを祀っている」
「はい。ありがとうございます」
もう一度礼を言うと、ワイアード王は満足げに目を細め、次は部屋だ、と歩きだした。
庭を横切り、反対側の回廊でを少し行くとその部屋はあった。促されて中へ入ると、紺色を基調とした空間になっていた。絨毯は私が今まで経験したことないほどふかふかしている。ベッドも当然のことながら天蓋付きで、私はなぜか目眩を覚える。
(平民の私には刺激が強すぎだよ)
落ちつかないことこの上ない。ここでしばらく過ごさなくてはならないのか。
(緊張しちゃって眠れなさそう……)
思って密かに溜め息を吐いていると、ワイアード王が口を開いた。
「後で身の回りの世話をする者を来させるので、自由に使ってやってくれ」
「え? いいえ、そこまでしていただかなくても」
ずっと他人と一緒だなんて息が詰まる。
「そうですよ、ワイアード王。そんなの体のいい監視と同じじゃないですか。私はエミリー様の婚約者として却下させていただきます」
「そなたはまだ婚約者ではないではないか」
「候補ですから同じようなものです」
ワイアード王の突っ込みに、シチュワート王子が自信に満ちた表情で不敵に微笑んだ。
「シチュワート王子……」
抗議してくれたことが嬉しくて呟くと、シチュワート王子がこちらを向いた。
「あなたには、私が以前から信頼している者をつけさせていただきます」
「え? いえ、それは……」
「大丈夫。実はもうそこへ呼んでおいたのです」
自慢げに胸を反らせるシチュワート王子の言葉に、ワイアード王が叫んだ。
「いつの間に!」
「魔法を使えばすぐですから」
口惜しそうなワイアード王に対し、シチュワート王子は肩を竦めてみせる。
「でも、水の魔法だけでは……」
私は疑問を投げかける。すると、なんとも嬉しそうな顔をして、私に語りかけてきた。
「知っていますか? エミリー様。水はどこにでもあるものなのですよ。命令や伝言くらいであれば、水滴程度で十分なのですよ」
歌うように告げるシチュワート王子。
「数滴の水で? すごい!」
私が目を見開いてシチュワート王子を見上げると、シチュワート王子が一瞬動きを止めた後、長く吐息した。
「愛しい人に褒められるのは、これほどまでに嬉しいものなのですね」
真剣な目で見つめてくるシチュワート王子の前で、私はなんだか息がしづらくなってしまう。
「え……、あ、あの……」
どうにか声を発しようと苦慮していると、シチュワート王子がにこりと笑んだ。
「とにかく、ご紹介いたします。ルナ」
「はい」
高い声が聞こえ、小柄な女性が入ってきた。
「侍女のルナです。ルナ、ご挨拶を」
シチュワート王子が促すと、ルナが深緑色のドレスの裾を持つ。
「お初にお目にかかります。ルナ・エルディと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、エミリー・クラウジアです。よろしくお願いします」
私はルナと同じように挨拶をしつつ、街着が汚れたままだったことに気づいた。
気づいたけれど、今はどうにもしようがない。だが、恥ずかしさを必死で耐えているうちにも、話は進んでいってしまう。
「ルナ、エミリー様のことをよろしく頼む」
「かしこまりました」
本当は他人を傍に置くのは嫌なのだが。それを言う訳にはいかない雰囲気がある。黙っていると、シチュワート王子がワイアード王を見遣った。
「これで文句はないでしょう? ワイアード王」
シチュワート王子の問いに、ワイアード王が渋々首を縦に振る。
「いたしかたあるまい。だが、シチュワート王子。そなたも自分の立場を弁えて、滅多なことはせぬように。よろしいかな?」
「心しておきます、ワイアード王」
シチュワート王子の瞳をひたと見据えるワイアード王に対し、シチュワート王子が恭しく胸に手を当てた。それを見たワイアード王は小さく鼻を鳴らし、私へ視線を移す。
「エミリー殿。我らはこれで。詳しい話はまた夕食の時にすることにしよう」
「わかりました」
私が承知すると、ワイアード王がシチュワート王子を促し、二人は出ていった。出ていく瞬間、シチュワート王子がちらりと視線を寄こし、また後で、と口だけで告げてくる。それだけで、なんとなく特別扱いされているような気がして、身体がカッと熱くなった。
(こういうの慣れてないから困るんだけどな……)
手で頬を扇いでいると、不意に何か言いたげなルナと目が合った。
「ええっと、何か?」
尋ねると、ルナはごく真面目な表情で問いかけてきた。
「エミリー様は本当にアリシア王女に他に想い人がいらっしゃるとお考えなのですか?」