その5
魔女が作業台と呼ぶ長方形のテーブルの前で、私は魔女へ尋ねる。
「あの、今更なんですけど……」
「なんだ?」
魔女が明らかに面倒くさそうに表情を歪める。私はそれでも質問を重ねた。
「魔女さんのお名前は?」
「チェレルだ」
案外あっさり答えてくれる。正直拍子抜けしながらも、私は本題に入った。
「あの、チェレルさん。私は何をすればいいですか?」
「ふむ。そうさな。見ていろ」
魔女、チェレルの言葉に、私は目を点にする。
「見てるだけでいいんですか?」
だが、チェレルは眉間の皺を深くして私を見た。
「それこそが重要なのだ。では始めるぞ」
「はあ」
ぞんざいに手を振ってくるチェレルへ曖昧に頷くと、チェレルが目を閉じた。
「月の女神よ。我が前にいるこの者たちの力を依り代に、この者たちの求るものを与えたまえ」
チェレルの紡ぐ言葉に呼応して、月のように光る液体が宙に浮かぶ。ふわふわと浮かぶそれに内心で感嘆していると、チェレルがおもむろにポケットから小瓶を取り出した。それから、また言葉を紡ぎ始める。
「月の女神の子よ。永遠の輝きとともにしばしここで眠りたまえ」
チェレルの口が閉ざされると、光が小瓶に一瞬にして収まった。
「夜の王よ、我が前にいるこの者たちの力を依り代に、この者たちの求るものを覆い隠し給え」
チェレルが言葉を切るやいなや、小瓶を黒い煙が覆っていく。
「二人とも、両手を出すがよい」
『はい』
チェレルが厳かな口調で告げ、私とシチュワート王子は素直に両手を差し出す。
すると、黒い煙が私とシチュワート王子の両手の中へ吸い込まれていき、やがて消えた。
「さて、終わったぞ」
チェレルが小さく吐息するのを見て、私はチェレルに尋ねる。
「これは、一体何が起こったんですか?」
「解毒薬を作っただけだ。時が来れば封印は解かれ、お前たちの望む効果が得られるだろうよ」
チェレルは面倒くさそうな表情を隠しもせず、だがそれでもごく短く説明してくれた。
「そうなんですか……」
私はもう少し詳しい説明が欲しいな、と思いつつも、気を取り直す。姿勢を正し、改めて礼を言った。
「ありがとうございます。突然来て無理なお願いをしてしまってごめんなさい」
「よい。これが我らの運命だからな。さ、用は済んだだろう。帰るがよい」
「は、はあ……」
チェレルが軽く口許を綻ばせ、私は曖昧に頷く。私の答えが不服だったのだろうか。チェレルの片眉が跳ね上がった。
「まだ何かあるのか?」
チェレルの言葉に、私はぶんぶんと首を左右に振る。
「いえ。じゃあ、帰ります。お邪魔しました、チェレルさん」
一礼すると、それまで成り行きを見守っていたらしいシチュワート王子が初めて口を挟んだ。
「ありがとうございました、チェレル殿」
丁寧にお辞儀を施すシチュワート王子に対し、チェレルが目を細める。
「うむ。努ゆめ、己の想いを疑うことのないように、な。シチュワート王子」
「はい」
重々しく告げるチェレルへ、シチュワート王子がしっかりと首肯する。そんな二人を見つめながら、私はこれから訪れるだろう試練について考えを巡らせていた。
***
私たちは魔女、チェレルの家を出て、元来た道を歩く。
森に入った時、木立の先に見える湖畔を見ながら思った。これから返ったら試練が待っている。どんなことになってしまうのか、想像もつかない。だから、その前に、告白してしまった方がいいんじゃないだろうか。私は馬を引き前を歩くシチュワート王子の背中を、しばし眺める。
(やっぱり告白しよう)
城に着く前に、この想いをきちんとシチュワート王子に知っていてもらうのだ。私は拳を痛いほど握り締め、愛しい人の名を呼んだ。
「シチュワート王子!」
くるりと振り向いたシチュワート王子はなぜか不機嫌そうだった。
「王子、ですか?」
「あ、ご、ごめんなさい」
ひたと目を見据えられ、私は縮こまる。だが、ここで怖気づいている場合ではない。私は自分に叱咤して、シチュワート王子を見つめ返した。
「し、シチュワート様」
「はい、なんでしょう?」
ふわりと微笑むシチュワート王子を前に、私はまたしても言葉を見失いそうになる。でも負ける訳にはいかないのだ。私はもう一度拳を握り締め、声を上げた。
「す、好きです」
「は……」
「私、シチュワート様のこと、す……」
き、と続けようとした時だった。眩いばかりの光がシチュワート王子を包み込み、見えなくなった。
「な?!」
「シチュワート様!」
小さく叫ぶシチュワート王子の名を呼ぶが、返事はない。
「シチュワート様!」
早く助けなくちゃ!
私は叫びながら光の中へ飛び込もうと試みる。しかしその瞬間、なんの前触れもなく光が消えた。
「シチュワート様?」
シチュワート王子の姿が見えない。目の前にいるのはシチュワート王子の愛馬だけである。
「シチュワート様! 返事をしてください! シチュワート様!」
叫びながらも、本当はもう理解していた。あの光だ。あの光がシチュワート王子を連れて行ってしまったのだ。
(どうしたらいいの?)
両手で顔を覆っていると、何かが髪を掠めるのがわかった。視線を上向けると、光り輝く小さなものが見える。手を光の点へ伸ばすと、私の人差し指に光がとまった。
(この光は何?)
戸惑いながらも光を見つめる私をよそに、徐々に光が弱まっていく。
「え……」
やがて光が収まると、意外なものが現れた。
それは、赤地に黒いドットを宿した丸いフォルムのてんとう虫だった。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
気に入ってくださいましたら、ブクマ、評価などしていただけますと、
大変嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。