その3
足跡を追ううちに、いつの間にか森の中に入っていた。魔女が棲むという山の麓は、この森の抜けたところにあるのだろうか。
私はひたすら続いている青い足跡を眺める。綺麗に先の小道へと伸びた足跡は、未だ終着点を示してはくれていなかった。
「おや、池ですかね?」
シチュワート王子が口を開く。私は弾かれたようにシチュワート王子を見遣り、それから彼が見つめている方角へ目をやった。
「あ、本当」
森にある木立の隙間から、きらきらと光る水面が見え隠れしていた。私たちは歩を進めつつも、その水面を眺め続ける。
「ワイアード王には悪いがこうして二人だけで歩けることに私は感謝していますよ、エミリー様」
不意にシチュワート王子がまたしても恥ずかしくなるようなことを言いだして、私は肩を落とした。
「シチュワート王子、またそんなこと言って。今は魔女の家に行って彼女に会うのが先ですよ」
軽く諌めると、ふふふ、とシチュワート王子が含み笑う。
「わかっていますよ。けれど、やはり嬉しくて」
「あ、ありがとうございます……」
爽やかな笑みで答えてくるシチュワート王子を前に、私は返事に苦慮しつつとりあえず礼を言う。これが本気で言っているらしいのだから、尚更困ってしまうのだ。何しろ、私はまだシチュワート王子の気持ちに対して、きちんと返事をしていないのである。シチュワート王子のことは好きだ。好きなのだが、それをいざ言葉にしようとすると、頭が真っ白になってしまう。
(だって、恥ずかしいんだもの……)
でも、いつかは自分の気持ちを伝えなくては。自分もシチュワート王子が好きです、と。そのためにも、今はワイアード王とアリシア王女の仲をとり持たなくては。私は決意して、拳を握り締める。それから、さりげなく違う話題を呟いた。
「んーそれにしても、魔女は一体どんな人物なのかなぁ?」
シチュワート王子は一瞬目を細め私を見た後、小さく吐息した。落胆させている。それがわかって私は少し後悔したけれど、シチュワート王子は構わず話を合わせてくれる。
「それがわからないんですよね」
私は申し訳ない気持ちを抱えたまま頷いた。
「そうなんですよ。だからなんだか不安で」
頬を掻きながら正直に告げると、シチュワート王子が破顔した。
「大丈夫ですよ。そのために私がいるんですから」
「シチュワート王子……」
シチュワート王子の言葉に本気で感動してしまっていると、シチュワート王子の眉間に皺が寄った。
「それです」
「え? どれです?」
意味がわからず尋ねると、シチュワート王子が渋面で答える。
「私のことを王子、と」
「はい。だって王子でしょう?」
それの何が問題なのだろう。目を瞬いていると、シチュワート王子が頬を膨らませた。
「それはそうですが。しかし仮にも私たちは婚約しているじゃないですか。それなのにいつまでも『シチュワート王子』では、あまりにも他人行儀ではないでしょうか?」
またしても話が変な方向に行き始め、私は焦る。
「そ、そうですか? あまり変わらないと思いますけど」
必死で視線を逸らすが、シチュワート王子の話はやまない。
「そうですよ! やはり決めた! エミリー様、今から私のことを『シチュワート』とお呼びください」
急な決定に私は目を剥く。
「ええ?! 無理ですよ、そんな急に!」
「だからこそ今から慣れておかなくては。さあ、呼んでください。ね?」
シチュワート王子はいきなり立ち止まり、馬から飛び降りた。そのまま私に迫ってくる。私は逃げることも忘れ、シチュワート王子の瞳を見つめた。シチュワート王子が、さあ、と無言で促してきて、私は覚悟を決める。
「し、シチュワートお……」
「お?」
王子と口が動こうとする寸前、シチュワート王子に咎められる。
「し、シチュワートさ…ま…」
なんとか言い切り、視線でこれでいいか、と問うと、シチュワート王子が難しい顔をする。
「できればファーストネームだけで」
「無理です! これ以上は無理!」
無理難題を言われ、私は首を激しく左右に振った。いくらなんでも無茶が過ぎる。ぶんぶんとかぶりを振っていると、シチュワート王子が大仰な溜め息を吐いた。だが、目が笑っている。
「……しかたありません。今はそれで良しとしましょう。いずれ飽きるほど呼ぶことになるのですから」
「わ、私は……!」
あなたを好きではあるけど、と言いかけて口を噤む。なぜこの先を言えないのだろう。言ってしまえば楽になれるのに。ぐっと唇を噛み締めていると、シチュワート王子が柔らかな笑みを浮かべた。
「夢を持つのは良い事です。そうでしょう?」
「……そ、れはそうですけど……」
シチュワート王子に顔を覗き込まれ、私は頬を熱くする。
「あなたがいつか私の想いに答えてくれる。それが私の夢です」
「シチュワート王子……」
「さ、ま!」
「シチュワート、様」
どうにか言葉にすると、シチュワート王子がなんとも幸せそうに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます」
しみじみと礼を言われ、私はまたしても言うべき言葉を見失う。内心でどうしよう、と思っていると、シチュワート王子がいたずらっぽく微笑んだ。
「さ、実はそんなことを言っている間に、どうやら着いたみたいなんですよ。魔女のいる山の麓とやらに」
「え?」
私が目を見開くと、シチュワート王子が、ほら、と小道の先を指し示した。
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