その2
夜、私は中庭にいた。どうしても夕食の時のことが思い起こされて、眠れなかったのだ。
一人、庭園を見てまわる。整えられた木々にささくれだった心が少しだけ癒される。
「今日は大失敗だったなあ」
我ながら突っ走り過ぎた。まずはアリシア王女とじっくり話をしなければならなかったのに。
「次はあんな失敗しないようにしなくっちゃ」
決意して、気合いを入れ直す。
ついでだから礼拝堂も見てみようか。などと考えていると、前方から声をかけられた。
「エミリー様」
驚いて目を凝らすと、庭に設置された白い丸テーブルに佇む影があった。
「お茶でもいかがですか?」
誘ってくる影を不審に思いつつも近づくと、お茶を片手に微笑むシチュワート王子が見えてくる。
「ありがとうございます。でも、今は喉も乾いていませんので」
今一番会いたくない人物だ。私はテーブルの前まで来ると首を左右に振った。
「では、少しお話でもしませんか?」
食い下がってくるシチュワート王子の言葉を、私はもう一度否定する。
「え? あ、いいえ。もう戻るところでしたので」
すると、シチュワート王子が愉快げな表情で、左眉を上げた。
「そうですか? 今来たばかりのようにお見受けしましたが」
「う……」
図星をさされ、私は呻く。
「迷ってしまっただけですので」
苦し紛れの言い訳に、だが、シチュワート王子は表情を改め、心配そうな瞳で問いかけてきた。
「そうですか。なにやら落ち込んでいらっしゃるようですが。何を失敗されたのですか?」
シチュワート王子の質問に、私は文字通り飛び上がった。
「き、聞いてらしたんですか!?」
「私は先ほどからここにいましたから。耳に入ってしまっただけです」
小さく肩を竦めるシチュワート王子を前に、私はすぐさま踵を返す。
「な、なんでもありません。では」
「約束は」
シチュワート王子が囁くように言葉を紡ぎ、私は足をとめる。
「え?」
振り返ると、シチュワート王子が淋しげに両頬を上げた。
「一緒に出かけるという約束は、まだ有効だと思っていていいのでしょうか?」
「あ……」
シチュワート王子の密やかな声音に、私は言葉を詰まらせる。
「やはり、駄目ですか……」
自嘲気味に告げられた言葉に、私は慌てて頭を振った。
「い、いいえ! いいえ! 有効です!
あの時は私たち家族のために心を砕いてくださり本当にありがとうございました」
姿勢を正して一礼すると、深い吐息が聴こえてきた。
「なんだ。気づいていらしたんですか。それは残念だ」
シチュワート王子の発言に、私は目を瞬く。
「なぜですか?」
「だって、それをわかっていて尚、私のことを特別に見てくれてはいないからですよ」
「シチュワート王子……」
悲しげにくすりと笑むシチュワート王子を前にして、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だが、私が彼の気持ちに応えてしまったら、火あぶりになるしかなくなってしまう。
(ごめんなさい)
あなたに合う方はもう別にちゃんといるから。だから、そんなに悲しげな顔をしないで欲しい。
駆け寄りたい気持ちを抑えていると、シチュワート王子が天を仰ぐ。
「アリシア殿も今ごろ、このような辛い想いを一人抱えていらっしゃるのでしょうね」
シチュワート王子の言葉に、私は同意する。
「そうだと思います。そして、救って差し上げることができるのもただ一人です」
思いを込めて告げた私に、だが、シチュワート王子が気づいた様子はなかった。
その証拠に、シチュワート王子は何かを思い出したかのように苦笑する。
「今日はアリシア殿、さぞかしショックでしたでしょうからね。
何しろワイアード王があのような感想をおっしゃられたのだから」
意味のわからないことを言い出したので、私は軽く混乱した。
「なぜそこでワイアード王の名が出るのです?」
疑問符を浮かべ尋ねると、シチュワート王子が私を見遣った。
「ああ、エミリー様はご存知なかったのですよね。
ワイアード王とアリシア王女は血の繋がりがまったくないのです。
アリシア王女は先代のエルシル王が親友から託された子どもなのですよ。
ですから、ワイアード王はどんな時でもアリシア殿の味方でいようとし、
アリシア殿もそのことのみを頼りに生きているのです」
シチュワート王子が厳かな口調で語る。あの兄妹にそんな深い事情があるとは思わなかった。
私には兄弟がいないからよくわからないけれど、血の繋がりなんて、互いを思い合う心さえあれば関係ないのかもしれない。
「強い絆で結ばれているんですね」
私が感嘆の声を上げると、シチュワート王子も首を縦に振る。
「そうです。家族以上と言ってもいいほどに、ね」
家族以上? あれ? なんだろう。何かが引っかかる。
私はシチュワート王子の顔を見て、疑問を口にした。
「あの……。では、ブスワルス王国のテスラ王子は、
厳しいワイアード王のお眼鏡に適ったというわけですか?
その、どのようなところが、良くてお心を決められたでしょうか?」
私の問いに、シチュワート王子が柔らかな笑みで答える。
「アリシア王女のことを心から想っていらっしゃることがわかったからだと思いますよ」
「そうだったのですか」
そうか。じゃあ、テスラ王子の心はアリシア王女にあったけれど、
アリシア王女は別の、つまりは、シチュワート王子のことを……。
「ワイアード王は、肝心のアリシア王女の気持ちは確かめなかったのですね」
先に確かめていれば、すべては丸く収まっていたかもしれないのに。
小さく吐息していると、シチュワート王子が呟いた。
「焦っていたのかもしれませんね」
意味がわからない。私は眉根を寄せる。
「何をです?」
半分責めるように問いかけると、シチュワート王子が目を伏せる。
「優しい兄を演じることに限界がきていたのかもしれません」
シチュワート王子の発言に、私はムッとした。
「それって!」
「なんです?」
「なんだか相当ひどくないですか?」
ワイアード王は勝手だ。
面倒臭くなったのかなんなのか知らないが、
自分が抱えられなくなったからと言って、誰かに丸投げするなんて。
私が憤慨していると、シチュワート王子がくくっと肩を揺らした。
「なるほど……」
何かがツボに入ったらしいシチュワート王子が、ひたすら肩を揺らし続ける。
「どうなさったんですか?」
さすがに心配になって問うと、シチュワート王子が、笑い声を吸い込むかのように深呼吸した。
「いや、なんでもありません。ただ、そうですね」
と、言葉を切りながら私を見つめる。
「なんでしょう?」
小首をかしげると、シチュワート王子の口許を綻ばせた。
「私はあなたのそんなかわいらしいところが大好きなんですよ」
「だっ!」
私は言葉を詰まらせる。
だが、ぱくぱくと口を開閉させるのをよそに、シチュワート王子は大きく頷く。
「はい。もうずっとです。だから、あなたには悪いが、あの時、
あなたが登城を命じられ私たちの前に現れたことが嬉しかったのですよ。
やはり私たちの縁は繋がっていたのだ、と光の神に感謝申し上げたほどです」
「つ、繋がってなんて……」
私は上気する顔を見られぬよう顔を背ける。だが、シチュワート王子は構わず距離を詰めてきた。
「わかっています。急に私の想いを受けとめて欲しいとは言いません。
ただ、私とこうしてたまにお話して欲しいのです」
「で、でも私は……」
言い淀む私を前に、シチュワート王子が沈黙する。
それから、細く長い吐息が聴こえ、再びシチュワート王子が口を開いた。
「では、せめて約束をはたしてください。二日後、一緒に街を歩いてくださいませんか?」
シチュワート王子の問いかけに、私は一瞬ためらった後、首を縦に振った。
「わ、わかりました。必ず……」
声が若干裏返ってしまったが、気づかないフリをする。
「ありがとうございます」
シチュワート王子もこれ以上追及してくる気はないようだった。
「で、では、私はこれで」
頭を下げる私に、シチュワート王子が優しく目を細める。
「はい。おやすみなさい。良い夢を」
「お、おやすみなさい」
私は踵を返し、急いで自分の部屋へ戻った。
早く彼から離れなければ、このうるさく鳴り響く心臓の鼓動を聞かれてしまう気がしたから。
(二日後に、一緒に街を歩く)
その時こそ、私はシチュワート王子にしっかり嫌われなくては。
(そうでないと、私の心臓、もたないよ……)
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