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御子神は聞いた。桜のお話。  作者: 倉木英知
桜は散るⅡ。
8/15

桜折る馬鹿、柿折らぬ馬鹿


10年ほど前の、年の暮れの事だったと思う。

私は記憶から抹消していた2つの名を思い出す事となった。


歴史的な事件として現在も語り継がれている『新興宗教による集団細菌テロ』が青森であった。5階建ての大型デパートの各フロアで4人から5人の教徒が待機し、計23人の教徒が差し合わせていた時刻に同時に炭疽菌(たんそきん)をバラまいたのだ。


その新興宗教の名は…。胎天理教。


細菌テロの実行犯である23人はー。

胎天理教の中でも異分子の様な存在だったらしい。


その23人の1人に…。

私の父親の名前があった。


どの様な宗教にも教義は存在する。簡潔に言うのならば『教え』である。教義とは宗教の教えを体系化したモノであり、各々の宗教を信奉する教徒が、これに則って物事を理解したり判断する助けとなるモノを云う。


そして、教理と云うモノがある。教えの論理、つまりは教えの道標(みちしるべ)だ。明確な道標が無ければ『教えの真理』へと辿り着くのには難しくなる。その道標の違いが、宗派の違いの様なものだ。


胎天理教が変わっているのは…。

明確な教理と云うモノが存在はしない。正確に云うのなら、比喩的な教理しかない。胎天理教において重要とされているのは想像力であったからだ。


よって…。

胎天理教の内には様々な宗派の様なモノがあった。通常なら宗派が分かれているのならば、統一される事は難しいのだろうが…胎天理教は統一されていた。それは、教祖の存在が大きかったのだと云う。


何故、私が胎天理教の詳細を知っているのか…。

私は、とある事柄が切っ掛けで胎天理教に入信した。

とある事柄と云っても些細な事だ。

ただ、愛した男が胎天理教の教徒になったからだ。


上村直仁(うえむらなおひと)


そしてそれが私の人生の2度目の転換期である。

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