桜折る馬鹿、柿折らぬ馬鹿
10年ほど前の、年の暮れの事だったと思う。
私は記憶から抹消していた2つの名を思い出す事となった。
歴史的な事件として現在も語り継がれている『新興宗教による集団細菌テロ』が青森であった。5階建ての大型デパートの各フロアで4人から5人の教徒が待機し、計23人の教徒が差し合わせていた時刻に同時に炭疽菌をバラまいたのだ。
その新興宗教の名は…。胎天理教。
細菌テロの実行犯である23人はー。
胎天理教の中でも異分子の様な存在だったらしい。
その23人の1人に…。
私の父親の名前があった。
どの様な宗教にも教義は存在する。簡潔に言うのならば『教え』である。教義とは宗教の教えを体系化したモノであり、各々の宗教を信奉する教徒が、これに則って物事を理解したり判断する助けとなるモノを云う。
そして、教理と云うモノがある。教えの論理、つまりは教えの道標だ。明確な道標が無ければ『教えの真理』へと辿り着くのには難しくなる。その道標の違いが、宗派の違いの様なものだ。
胎天理教が変わっているのは…。
明確な教理と云うモノが存在はしない。正確に云うのなら、比喩的な教理しかない。胎天理教において重要とされているのは想像力であったからだ。
よって…。
胎天理教の内には様々な宗派の様なモノがあった。通常なら宗派が分かれているのならば、統一される事は難しいのだろうが…胎天理教は統一されていた。それは、教祖の存在が大きかったのだと云う。
何故、私が胎天理教の詳細を知っているのか…。
私は、とある事柄が切っ掛けで胎天理教に入信した。
とある事柄と云っても些細な事だ。
ただ、愛した男が胎天理教の教徒になったからだ。
上村直仁。
そしてそれが私の人生の2度目の転換期である。