第3章「防人神社からの使者、同期の桜の絆は永遠に…」
私はどれ程の間、意識を失っていたのだろう。
暗く静まり返った部屋には、私以外に誰もいない。
「ここは、確か…」
「臨時司令部に設けられた霊安室だよ、里香。」
誠に奇妙な事ではあるが、私の疑問に答えてくれた声は、私の頭の中に直接響いてきた。
「誰?!どこかで聞き覚えのある声だけど…」
「おいおい、つれないな…まあ、面を見せなかった私も悪いか…少し待っててくれよ!」
すると暗い霊安室の中に青白い光が生じ、それが次第に人型を取り始めた。
初めは朧気だった人型のディテールは、徐々に精密になっていき、次第に服や髪も判別出来るようになってきた。
華奢な背格好から察するに、10代後半の少女のようだ。
身に着けているのは、オリーブドラブの詰襟と同色のミニスカ。
そして黒タイツにアーミーブーツ。
それは人類解放戦線の前身である、大日本帝国陸軍女子特務戦隊の少女兵士が使用していた大正五十年式女子軍衣だった。
こんな旧式な軍装では、まるで珪素戦争の真っ只中みたいだ。
「もう少しさ、里香…」
穏やかで親しげな口調で呼び掛ける、青白い人影。
今や、その顔もハッキリと判別出来る。
ウェーブした金髪に金色の瞳。
西洋人を思わせる気品ある美貌には、勝ち気な笑みが浮かんでいた。
「久しぶり、里香。」
それは間違いなく、大日本帝国陸軍女子士官学校以来の親友である、友呂岐誉理ちゃんの姿だった。
今を去る事、10余年。
生きて再び故国の土を踏めず、また恋も知らず。
珪素獣の巣と化したモスクワで非業の死を遂げたはずの…
「ああ…まさか、誉理ちゃん…?」
「覚えていてくれたか?さすがは同期の桜だよ。」
昔と全く変わらず、屈託のない笑顔を浮かべる誉理ちゃん。
その笑顔が、何処か不思議と不気味だった。
「どうして昔のままなの、誉理ちゃん…?大体、誉理ちゃんは珪素戦争の時に…」
「ああ…確かに死んだよ、私は。」
全く勿体振らない、淡白な答えだった。
「お陰で2階級特進して、今じゃ大尉殿さ!まあ、死後受勲だから階級章はそのまんまだけど。」
詰襟の肩を摘まみ、クイッと引っ張る誉理ちゃん。
その階級章は、戦死時の少尉の物だったんだ。
「じゃ、じゃあ…戦死した誉理ちゃんが見えるって事は…」
「そういう事。里香も戦死者の仲間入りさ。ほら!あそこで寝てんのが、里香の身体だよ。」
金髪の少女将校が指差す先を見てみると、そこには私の身体を乗せた寝台が鎮座していた。
力尽きたナノマシンの残骸や血液も流れきってしまい、すっかり冷えてしまった私の身体。
包帯に覆われているとはいえ、爆風で吹き飛ばされた右半身を見るのは自分でも躊躇われた。
だが、辛うじて原型を止めている左側の横顔は、まるで眠っているかのように穏やかな面構えだ。
「上手く復顔してくれないと…」
「葬式の時に困る。そんな感じかな?」
金髪の少女将校に、私は小さく頷いた。
「うん…見せたくないよ、こんな顔。善光さんにも、カズヤにも…」
こう呟くと、私は腕組みをしながら軽く溜め息をついた。
あれ、腕組みが出来るという事は…
「えっ…?ある!私、右手がある!内臓も吹き飛んでないし!」
右手や脇腹などを触りながら驚く私とは対照的に、誉理ちゃんは冷静だった。
「里香ったら全く仕方がないな、そんなにテンパっちまって。どれ、少し顔を貸してみな…」
間合いを詰めた金髪の少女将校は、軽く苦笑しながら私の顔に左手をソッと伸ばした。
「あっ…!駄目!駄目だよ、そこは…」
誉理ちゃんの左手が触れようとしている場所に思い至った私は、思わず身を固くし、悲鳴染みた声を上げていた。
紅露共栄軍残党将校による自爆テロから上官達を庇ったため、醜く吹き飛ばされた私の右横顔…
いくら士官学校以来の親友が相手でも、見られたくなかった。
ましてや触れられるだなんて…
しかし…
「は…うっ…?」
「妙な声を出すなよ、生娘じゃあるまいし…しかし、里香も大人っぽくなったね。旦那にも、こうして撫でて貰ったんだろ?」
指の腹や掌を使い、私の顔を愛しげに撫でる友呂岐誉理上級大尉。
彼女の繊細な指使いで、爆弾で吹き飛んだはずの右の頬や顎が、正しく存在している事が自覚出来た。
待って、それなら…
「里香、何をウインクなんかしてんだよ?」
左目を閉じても、呆れ顔をした少女将校の姿はハッキリ捉えられた。
少し狭まった右側だけの視界は、間違いなく片目を閉じた時の視界だった。
「今更ながら、そういうのに目覚めたか?私はフリーだから構わないけど、里香には旦那と息子がいるだろ?もう少し節操があると思ってたぜ。」
「見える…見えるよ!私、右目だけでも物が見えてる!」
苦笑する戦友を尻目に、私は興奮した声を上げていた。
今なら何の遠慮なしに、自分の右頬に触れる事が出来る。
「分かったろ、里香。吹き飛ばされたのは生身の身体だけ。霊魂は五体満足なままなんだよ。大体、そうでなかったら私だって、相当に見苦しい風体になっているはずたろ?」
「そうだったね、誉理ちゃん。誉理ちゃんはモスクワで、下半身を珪素獣に…」
ユーラシア大陸解放作戦は、地獄の戦場だった。
珪素獣の巣窟と化したモスクワや北京で、誉理ちゃんを始め多くの戦友達が、私の目前で命を落としていった。
20歳前後の乙女に相応しからぬ凄惨な死に様は、「『儚く美しい死』など、所詮は絵空事でしかない。」と否応なしに痛感させられた。
「そう辛気臭い面すんなって。あの戦争で死んだ連中は、人類守護の英霊として防人神社に祀られてるんだ。みんな自分の戦死を胸張って誇ってるし、相応に満足と納得をしてんだよ。」
誉理ちゃんの口調は蓮っ葉で軽くて、それでいて、私を励ます優しさと思いやりを帯びている。
「私もそうだし、里香もそうしろ。特に里香は、上官の命を守って戦死したんだからな。」
それは生きていた時と何も変わらなくて、意識していなければ忘れてしまう程だった。
彼女が10数年も前の戦没者である事を。
そして私の名前もまた、戦没者一覧に書き加えられた事を…
「まあ、英霊としての自覚なんて、これからジックリ会得していきゃ良いんだ。何せ先は長い訳だし。それじゃ行こうか、里香…」
軽く微笑を浮かべ、誉理ちゃんが左手を差し出してくる。
差し詰め、「この手に掴まれ。」とでも言いたいんだろうな。
「行くって、何処へ?」
未だに現状認識が不十分だったのか。
或いは、現世への未練がましさか。
分かりきった私の問い掛けは、士官学校以来の親友に呆れ混じりの苦笑を浮かべさせるのだった。
「堺県防人神社。私達、戦死した防人乙女の魂が帰る場所さ。」
後ろ髪引かれる私の思いを察したのか、誉理ちゃんは私の方に向き直り、言い聞かせるような口調で静かに語りかけてくる。
「そこなら、私みたいに先に逝った戦友と再会出来るし、遺してきた家族や知人を見守る事だって出来る。なんせ私達は、英霊なんだからな!」
最後の一言には、殊更に力が込められていた。
「会えるんだね…、誉理ちゃん?父さんや母さん、善光さんやカズヤにも?」
「勿論さ、里香!里香の家族だって、英霊になった里香の事を何時でも身近に感じてくれるよ。」
そうと分かれば、ハルビンでグズグズしていたって始まらない。
私は…いいえ、私達は帰らなければならないのだから。
「じゃあ…一緒に帰ろうか、誉理ちゃん。私達の帰るべき堺県防人神社へ!」
私は差し出された誉理ちゃんの左手を、静かに握り返した。
霊魂になって再び感覚を取り戻した、この右手で。
「お帰り、里香。これからまた、仲良くやろうよ。昔みたいにさ!」
「うん!」
生きていた時と同じ微笑を浮かべる誉理ちゃんに、私も力強く笑い返す。
この時こそ、私が英霊の仲間入りを果たした瞬間だった。




