第2章 「園里香上級大佐、ハルビンに散る!」
「仰せの通りです、園里香上級大佐。先の『ハルビン解放作戦』で、既に我々人類解放戦線の勝利は決していた。我々はハーグ陸戦条約と人道主義に則って武装解除した残党の投降に応じ、紅露共栄軍の捕虜を収容したのです!それなのに…」
漸く落ち着きを取り戻した副官が、衛生隊員の許可を得てベッドに寄り添う。
童顔の中で輝く丸っこい紫色の瞳は、ひどく泣き腫らしていたけど。
私が10代に別れを告げた頃、人類は珪素生命体との戦争に勝利した。
地球人類を救ったのは、「サイフォース」という特殊能力に覚醒した少女達によって構成される国際的武装組織「人類解放戦線」で、その母体は、私が少女将校として所属していた大日本帝国陸軍女子特務戦隊だった。
人類が珪素生命体の脅威から解放されても、愛する人と結ばれて子供が産まれてからも、私は人類解放戦線に留まり続けた。
私の目前で戦死していった戦友達の分まで、戦うために。
除隊した戦友や、実家の両親、そして新たに出来た私の家族といった、市井に暮らす人々の笑顔を守るために。
その思いは、人類解放戦線の総意でもあった。
名実共に人類文明の守護者となるため、人類解放戦線上層部は政財界とパイプを結び、各国政府や国連に働きかけて、その権限を拡充していった。
国際社会の世論を味方に付けるため、珪素戦争で疲弊した国家や壊滅した地域への援助も怠らなかった。
旧ソビエト連邦に旧中華人民共和国といった、珪素生命体の第一次侵攻で国家として消滅した両国の国土への復興には特に尽力した。
両国の高官達は亡命政府を作る間もなく全滅していたので、日本に身を寄せていた旧王政派と王族を中心に据えた新政権樹立と国家再建が、国連と人類解放戦線の協力で遂行された。
そうして産声を上げたのが、アナスタシア姫直系の子孫であるナターシャ・ロマノフ1世が初代皇帝を務める帝政ロマノフ・ロシアと、清王朝の血脈を継ぐ愛新覚羅紅蘭が第1代女王として即位した中華王朝だ。
この2つの真新しい立憲君主国家を、国際社会は新しい仲間として歓迎した。
それに異を唱えた連中というのが、今回私達が殲滅したテロ組織「紅露共栄軍」だった。
-帝国主義に基づいた傀儡国家を解体し、母なる国土を解放する。
このような御題目を掲げた連中は、修文17年12月12日の「ジャムス事変」を皮切りに、漸く平和を取り戻しつつあったユーラシア大陸の国々をテロリズムで震撼させた。
紅露共栄軍の母体となったのは旧体制側の流れを汲む軍閥で、勢力圏も中華王朝と帝政ロマノフ・ロシアの付近。
だが、紅露共栄軍を旧共産主義国家の後継者と言い切れる程、事態は単純明快ではなかった。
第2次世界大戦を生き延びたナチスやファシスト党の残党が将校の中に混ざっていたし、一神教の過激な原理主義団体も複数参加していた。
経歴を遡れば、中東やアフリカの武装勢力の少年兵に行き着く者が、兵士達の中に何人も含まれていた。
人類解放戦線が掲げる秩序を受け入れない者と、その残党達。
それが彼らの共通点であり、本来なら相容れないはずの者達を一枚岩とする行動理念でもあった。
斯くして、人類解放戦線の少女兵士達による秩序を受け入れた者達と、その秩序を拒絶した者達との間で戦争が勃発した。
アムール川流域を主な戦場とした今回の戦争を、内地のマスコミは「アムール戦争」と名付けたらしい。
だが、それももう終わりだ。
敵軍の主要な幹部は先の掃討戦で粗方銃殺してしまったし、半ばゲリラ化した残党を束ねていた幹部将校も、私の半身を道連れに吹き飛んでしまったからだ。
「少将閣下を狙って自爆した奴以外にも、投降した捕虜はいたはずです。彼奴等はどうなりましたか?」
「1人残さず銃殺刑に処したとも、園里香上級大佐。予想通り、揃いも揃って人間爆弾だった。そうと分かれば対策は簡単だからね。他の将兵達に貴官と同じ轍を踏ませる訳にはいくまいよ。貴官以外に被害を受けた者はいない。」
師団長の御言葉によると、今回の戦争における軍事裁判は、被告人席が空白のままで審議されるだろう。
「そうでしたか…小職以外の犠牲者は存在しないのですね。戦争は終わったのでありますか?」
「我々の勝利だよ、園里香上級大佐。帝政ロマノフ・ロシアや中華王朝の政府軍と協力して治安維持にあたる部隊を除き、各部隊は本国への帰還を始めている。我が師団も帰還に向けて準備中だ。」
私の問い掛けに、師団長は力強く頷いて下さった。
「じょ…上級大佐…!」
そして矢も盾も構わずといった様子で、ベッドに副官が歩み寄ってきた。
頬を伝った涙の跡は、拭われた様子もなかった。
「一緒に日本へ帰りましょう、園里香上級大佐。御家族も…出征直前に誕生された御子息のカズヤ君も、上級大佐のお帰りを心待ちですよ。」
「善光さん…カズヤ…」
副官の言葉に、長くはなかった結婚生活と、新生児室で見た我が子の姿が脳裏に甦った。
海軍主計科で事務処理に携わる夫は、軍人にしては線の細い文官肌の男だったが、穏やかで誠実な人だった。
陸海軍の融和を目的とする集団御見合いで知り合った仲で、軍務でロクに顔を合わせられなかったけど、それなりに充実した結婚生活だったと満足している。
私が逝っても、両親と夫、そして息子のカズヤは上手くやってくれるだろう。
私の両親と夫の仲は実の親子みたいに良好だし、母も初孫を目に入れても痛くない程に愛している。
経済的に見ても、夫の稼ぎと私の恩給とを合わせれば、家族4人が暮らしていくには充分過ぎる余裕がある。
「結局私は、あの子を1度も抱いてやれなかったな…でも、それで良かったのかも知れない。生きて再び会えぬ瞼の母の思い出など、いっそない方が…」
そうして溜め息をつくと、傷付いた身体から力が抜けていく。
瀕死の状態で気が緩んだら、そのまま死へまっしぐら。
確か珪素戦争で若い命を散らしていった戦友達も、こんな最期だった。
「何を弱気な事をおっしゃるのですか…ああっ、園里香上級大佐!駄目です、まだ逝ってはいけません!」
「貴官が見せてくれた忠勇無双の大和魂は、私からご家族に伝えさせて貰うよ…園里香上級大佐は、最期まで立派な防人乙女であったと…!」
師団長閣下と副官の声が遠くなっていく。
どうにか機能していた右目も、今はまるで焦点を結べない。
そうして全身の感覚器官が力尽きていくのを実感しながら、私の意識は遠退いていった…