7話 『奈落』地下第1層
喪服を着た大人たちに囲まれて、兄さんと僕は立ち尽くしていた。
当然だろう。両親を事故で喪い、天涯孤独となった幼子にいったい何ができるというのか。
今の僕らなら、いくらでもやりようはあるだろう。
しかし、このころの僕らは右も左もわからぬ子供で、できることなど何もなく、また何をすればいいのかもわからなかった。
今までの当たり前がなくなり、あるのは漠然とした不安だけ。
……そんな時に、あの人たちは声を掛けてくれた。
「洸太くん、庸次くん。君たちさえよければ、うちの子供にならないかい?」
故人となった両親の親友で、僕たちが『東京の叔父さん』と呼ぶ人。
他に頼れる人もいなかった僕らは彼の手を取りーー、そして、新しい家族ができた。
「庸次くん、帰ってきたらちゃんと手を洗う事。お姉ちゃんとの約束だよ」
「庸次くん、新しい料理に挑戦してみたの、ちょっと味見してくれないかな?」
「こら庸次くん!脱いだ服は散らかさないの!お姉ちゃんの言う事が聞けないの?」
今でもはっきりと思い出せる、義理の姉でもあり初恋の人である彼女の声。
幼年期の頃は、ただの憧れだった。
その憧れは僕の背丈が伸びるにつれて淡い想いへと変わっていき、
そして、彼女への想いを僕が自覚するのとほぼ同時に、姉さんは兄さんと生涯を共にすることを選んだ。
同い年であった二人は高校を卒業すると同時に交際をはじめ、22才の時に婚約。
少年時代から子役俳優として、また雑誌モデルとして活躍していた兄さんの婚約者という事で色々と苦労はしたらしいのだが、恐ろしいまでのスペックを持った二人にとってはちょうどいい塩梅の障害に過ぎなかったようだ。
障害をものともせず、苦労を恋愛成就のためのスパイスにして、つい昨日、24才でめでたくゴールインという訳である。
……ちなみに兄さんが子役俳優、雑誌モデルの道を選んだのは、自力で金を稼ぐため。
何かあっても、兄さんが僕と生きていけるだけの収入を確保するのが目的であったのだから、婚約時代の苦労もある意味では僕のせいといえるのかもしれない。
幸せそうに笑う二人を見るのが辛くて、辛いと思ってしまう自分が情けなくて、目をそらすために旅に出てーー、
何の因果か、僕はこんな場所にいる。
ーーふぅん、なるほどねーー
果てのない暗闇の中、ぽつんと存在する円卓に人々が座っている。
これは本来なら僕が知ることのないはずだった事実、見ることのないはずだった光景だ。
円卓に置かれた椅子の数は28個。
その椅子に座る人間の数もまた同数で、いくつか見覚えのある顔がある。
円卓に座する人々は、全員が同じように七つの宝玉を付けた首飾りを付けていた。
そしてその内の一人が、中性的な容姿の、道化師のような恰好をした一人が口を開く。
「汐織ちゃんの糸を通じて二人の精神世界を覗いてみたけど、特に異常はなかったよ」
……糸?
その言葉に、思わず自分の体を注視する。
すると肉眼では見ることのできない、なにか不思議なエネルギーのようなものが糸になり、僕と円卓に座る人間の一人を繋いでいた。
「つまり、想定していた最悪のケースにはならないわけだな」
「だね。二人ともガチの一般人だったよ。ちょっと特別な背景はあるけど、超能力者とか悪魔との混血とかそんなんでも、邪神の化身でもない」
「じゃあ、マジにただの漂流者だったわけか?」
「それはどうだろう?彼の世界ではただの一般人でも、ボクらから見れば異邦人だ。『目印』として使うには十分だよ」
「俺らの世界を認識して座標を把握するための『目印』か」
「……それか蟻の一穴かもね。わたしたちが作った防壁を突破するための、最初の一撃」
「ならどうする?消えてもらうか?」
「それは反対。ちょっと話しただけだけど、二人ともいい子だよ。あんないい子たちを殺すために、わたしは強くなったんじゃない」
「同感。なにより、逆に二人を観測してる存在を発見できればカウンターを仕掛けられる。専守防衛なんて言ってたら何時までたっても終わらないからな」
「了解、ならその方向で。……そういえば彼らの出身世界だが、『アザトースの夢世界』の可能性はどんなものだと思う?」
「直感が根拠だけど、庸次くんはビンゴだと思う。エゼルミアちゃんは微妙ね、自然発生した幻想型世界かもしれないし」
「お前の直感なら、当たってるって前提で行動した方がいいな」
「そしてエゼルミアの方も、這いよる混沌が目印として使っている可能性は否定できない……と」
「まったく、しつこいよなアイツも。俺らの世界に存在してた『千の化身』が全滅したら、今度は並行世界の『千の化身』を使って干渉してきやがって」
「それはしょーがないわ」
「邪神なんてものはそんなもんよ、他人を不幸にするためだけに存在してるようなやつだし」
「そっちの話はそこまで。じゃあ、結局あの二人は俺らで保護するって事でいいんだな?」
「異議なし、ただ地上には上げない方がいいわね。あくまでも地下1層止まりで活動してもらいましょう」
「保護するっていっても、あまり表立って動かない方がいいかもな。ある程度は自由にさせるのも必要じゃないか?」
「だな、過保護に見てたら二人を観察してる存在が諦めるかもしれないしな。いくらなんでも諦めた後も永遠に保護してるわけにはいかんだろ」
「それに陽動の可能性だってあるしね。彼らばかり注意してて、他のダンジョンから攻められたら目も当てられないわ」
そんな『彼ら』の話を、僕と僕の中の意志は、どこか冷めた状態で認識していた。
「……い」
「……い、おきろー」
「ん……」
「ういうい、おはよーさん。よく眠れたかな?」
いつの間にやら寝ていたようだ、汐織さんの声を聞き、僕は頭を振りながら立ち上がる。
なにかーーなにか、夢を見ていたような気がするけど、思い出せない。
なにも、思い、出せない。
「地下255層から地下1層までの二時間弱。あたしの糸で作った寝袋でぐっすりだったけど、寝心地はどうだった?」
寝心地……それは文句ないはずだ。
疲れなどカケラも残っていないし、体が痛いなどという事もない。
でも、なぜか、なにかがあったようなが気がーー
「さあ、いざ行かん、ダンジョンダイバー管理本部へ!ダンジョンダイバーは小中学生のなりたい職業、3年連続ナンバーワンの人気職!」
「君も今日から弱肉強食の世界の住人だ。先達として歓迎しよう!」
と、汐織さんと吾郎さんは不自然なくらいに、明るい声でそう言った。
がやがやと騒がしい、人ごみの中を縫うようにして歩いていく。
地下1層という言葉から地下商店街のような光景を想像していたのだが……なんというか、街並みのイメージは近未来的なジオフロントだ。
空には太陽こそないものの、青空に似た天井が均等に明かりをもたらし、ときおり吹く風は爽やかな緑の香りを感じさせる。
全体の感じとして建物は、お台場のそれにも似た、個性的で魅力的なビルがそびえたっている。
そして僕らが歩いているこの道は、なんとなく銀座の雰囲気を思い出させた。
「思っていた感じとずいぶんと違うんですね」
「地下1層ならこんなもんよ。岩手の『迷い家』とか沖縄の『ニライカナイ』とか聞いたことある?深さとしてはそんなものだからね」
きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回す、いかにも御上りさんといった雰囲気のエゼルミアを見失わないように注意しながら、汐織さんに話しかける。
彼女の言葉を聞く限り、民話や伝承に語られる行き来の可能な異界レベルと行った所か。そんな土地が、まっさらな状態で広がっていたらしい。
しかも話を聞く限りでは、広さは奈落の階層としては狭いものの、それでも23区全てを合わせたのに近い広さがあり、交通は新宿駅から専用の通路で徒歩10分。
門と呼ばれる関所のようなものが階層の境ごとにあるらしく、通行の際には手続きが必要らしいのだが基本的にダンジョンダイバーは地上~地下3層まではフリーパス。
私鉄で一駅分ほどの利用料を払えば、簡単に通れるのだとか。
……うん、そりゃあ発展するわけだ。
「ちなみに、地下1層から3層までは『深坂区』って名前で建前としては、東京都24番目の特別区扱いね。
区長は、BLが性癖の紫玉級ダンジョンダイバー『幻想使い』『人間にして創造神たるもの』一ノ瀬有莉翠。
副区長は、黒GALが性癖の紫玉級ダンジョンダイバー『知恵者』『人間にして賢神たるもの』新津晃。
で、建前は特別区なんだけど、実質は日本の中にある治外法権な区域ね。出島はちょっと違うか。んーと……、『魔〇都市新宿』な感じ?」
ああ、こっちの世界でも菊〇秀幸先生は執筆してるのか。
魔〇都市シリーズの新刊が読めるのは、本気で嬉しいな。
そしてやはり紫玉級ダンジョンダイバーの紹介は、性癖が最初だというのか。
……情報量が多すぎるわ!
なんだよ、区長の性癖がBLで、副区長の性癖が黒GALって!?
知りたくなかったわ、そんな情報!!
「さらに付け加えて言うと、あの二人は何気にこの街を私物化してるからな……
同性婚の許可はもちろん、日焼けサロンやGAL系ファッション店に減税措置を出したり、BL専門書店が一等地にあったりする」
「でも有能で、それが誰も不幸にならないどころかめっちゃ利益出して支持率を支えてるから、誰も何も言えないのよね」
「同性婚をした二人に対する社会保証の手厚さとか、半端ないしなぁ……」
「BL専門店の売り上げとイベントの経済効果を数字で見たときは、気が遠くなったよ……」
あの、なんか僕。僕の東京に凄く帰りたくなってきたんですけど……