4話 異なる地球
「さて、あの馬鹿は放っておいて、『いま』『ここがどこか』『どんな状況なのか』説明させてもらうわね」
ごほん、と、咳ばらいを一つしてから美卯さんはそう語る。
ちなみに先ほどまで場をかき乱していた汐織さんは、毛布で簀巻きにされた状態で天井からぶら下げられている。
思わず心配になるような光景だが、美卯さん曰く『蜘蛛なんだからこのくらい平気よ』との事である。
「……わたしが、蜘蛛だったのですね」
「やかましいわぁ!!」
絶叫と共に放たれるケンカキック。
汐織さんは蹴り飛ばされた勢いのままに天上にめり込み、今度こそ動かなくなる。
「京〇先生に謝れ、この馬鹿娘が!」
……えーと、とりあえず美卯さんたちも京〇夏彦先生の作品を読んでるって事だけはわかった。
「ふー、ふー……」
「お……落ち着いて下さい、美卯さん。えーと、京〇夏彦先生の作品って神作品ぞろいですよね」
「庸次君の世界でも、京〇先生の作品が出版されてるの!?」
あ、変なところに喰いつかれた。
そしてその後は質問攻めである。
『いま』『ここがどこか』『どんな状況なのか』の説明など後回しと言わんばかりの勢いで、僕のいた日本の歴史、地理、人物、大衆文化、エトセトラエトセトラ……
ふと気づけば、部屋の隅に掛けられている時計の長針は二回りほどし、横で座っていたエゼルミアは席を外し、隣のテーブルで優香さんとスナック菓子を食べながらのんびりとお茶を飲んでいる。
そして僕が解放されたのは、さらに一時間後。僕のお腹が大きな音を立ててからであった。
「これは……また」
三時間にわたる質問攻めの結果をまとめたノートをぱらぱらとめくりながら、苦々しい顔で呟く美卯さん。
「なにか問題でもありました?」
「そうね、何処から話せばいいものやら……」
そんな事を口にしながら、僕たちの前に置かれた紙コップにウーロン茶を注ぐ。
ちなみにこのお茶はそこいらのスーパーに特売で売られているような、ペットボトル入りの安物だ。
さらにお腹を空かせた僕に気を使ってか、月餅がテーブルの上に山盛りになっている。
「とりあえず庸次君がいた日本は、いわゆる『地球型世界』で間違いないわね。それも極めて典型的な」
なんでも、美卯さんたちは『地球型世界』そして『幻想型世界』と呼ばれる並行世界を複数観測しており、いま僕たちがいる無人の新宿は複数の並行世界に繋がるターミナル的な場所なのだという。
『地球型世界』というのは言葉の通り。一日は24時間で一年は365日、月は一つで太陽は東から昇って、水星、金星、火星、木星などが存在し、星座も一致する。
極東には日本があり、大陸には中国が、インドが、ヨーロッパがあって、新大陸にはアメリカ合衆国にカナダやメキシコ、ブラジルなどがあるのも変わらない。
それに対して『幻想型世界』は千差万別だ。一年が400日だったり、月が三つあったり、重力が地球と比べて小さかったり大きかったり……
また、剣と魔法のファンタジー世界かと思えば、魔法の力など一切存在しない、ただ地理と歴史と生物相が違うだけの異世界だったりする場合もあるらしい。
「ぶっちゃけると、わたしたちの出身である『地球型世界』はかなり異質でね、庸次君から見れば伝奇小説やゲームの世界観に近いものになると思うわ」
うん、それは予想してた。
汐織さんや吾郎さん、宏さんを見て僕と同じ人類だと思えるほど、僕の目は節穴じゃない。
人間の皮を被った超生物でなないのかとも疑っていたので、伝奇小説の主人公やゲームのカンストキャラみたいなものというのは十分に納得のいく説明だ。
「で、何が問題かっていうと、異質であるはずのわたしたちの『地球』と庸次君の『地球』、共通点が多すぎるのよね」
美卯さんの説明によると、同じ地球型世界でも多少の差違は出るのが当たり前なのだという。
ある世界では織田信長が幕府を開き、
またある世界では明治維新は起きず、
あるいは世界的天災の影響で、第二次世界大戦がうやむやのうちに終わった世界があったという。
なのに、僕の地球と美卯さんたちの地球は不自然なほどにそれがない。
1945年に戦争が終わり、
1954年から1970年の高度経済成長、
1989年に元号が平成に変わり、
1995年の阪神淡路大震災、
2001年にはアメリカで同時多発テロが起き、
2011年の東日本大震災を経て、
2019年に令和へと改元、
2020年の新型コロナウイルス流行までー
「みてわかると思うけど、わたしたちの地球には妖怪とか呪術に魔術、未確認生物なんかが当たり前に存在してるの。そんな違いがあるのに、歴史も地理も、さらには政治家からアーティスト、映画や漫画のタイトルに中身まで一致するとかありえない事なのよね」
うーぬ、と眉間にしわを寄せて悩み始める美卯さん。
そっちの事情も十分にわかるのだけれどーー、
「あの……で、最初に話していた、『いま』『ここがどこか』『どんな状況なのか』っていう説明をお願いしたいんですけど」
ぽりぽりと優香さんの差し出すスナック菓子を無心に食べ続け、すっかりと餌付けされたエゼルミアを視界に入れながら、僕はそんな事を口にするのであった。
さて、情報をまとめよう。
『いま』は令和X年。これは僕が元いた日本と同じである。
そして『ここがどこか』という問題。
ここは東京都は新宿駅の地下に広がる超巨大ダンジョン『奈落』の地下255層。
美卯さんたちの地球では『人間の想念の力で出来た次元の穴』をダンジョンと定義しているらしく、日本には全部で5カ所存在するとの事。
いくつかの例外は存在するものの、人間の負の想念が集積し、沈殿し、物質化したダンジョンは大都市の地下に発生するらしい。
そして巨大なダンジョンは一層ごとが独立した一つの世界であり、階層が下がるにつれ元の世界から離れていくのだという。
想念が集まり続け、階層が増えていくとダンジョンは次元の壁に穴をあけ、無数の並行世界や異世界と繋がるとの事である。
「で、そんな並行世界や異世界がわたしたちの地球に悪影響を及ぼさないよう入り口をふさいだり、ダンジョン内で負の想念が物質化、受肉化した魔物の駆除をするのが、わたしたち『ダンジョンダイバー』」
一口に並行世界・異世界といっても、そのありようはピンキリだ。
異なる世界の存在を認めて共存を選ぶ世界から、そんな非常識な存在を認められず無視を決め込む世界。
野心的思想を持った世界の中には、ダンジョン内を通行して侵略を企んだ世界も数多くあったという。
それに加えて『魔物』。いまも外で徘徊している巨大ネズミやゴキブリの事だろう。
人間の負の想念が具現化した存在、言われてみれば妙に納得がいく。
そして、そんなダンジョンに関する問題を解決するための何でも屋が『ダンジョンダイバー』なのだという。
「当然、未熟な人間に危険度の高かったりする仕事は任せられないからね。いくつかの階級を分けて、受けれる仕事を制限しているのよ」
その階級とは全部で7つ。
冠位十二階を元ネタにした色で階級を分けており、『名前が書ければ貰える』レベルである最下級の透玉から、黒玉、白玉、黄玉、赤玉、青玉、紫玉、と階級が上がっていく。
美卯さんや汐織さんたちが身に着けている首飾りが識別票になっているらしく、透玉級ダンジョンダイバーの首飾りについているのは、透明な宝玉が一つ。
それが階級が上がるたびに勾玉状の宝石が増えていき、中心の宝玉の色も変わるのだとか。
なお透玉級のダンジョンダイバーとはダンジョン内に街を作り暮らしている一般人も含めるため、その総数は全国で5000万人を超える。
それに対し最上位である紫玉級は、美卯さんたちを含めてもわずか28人しかいないそうだ。
「28人中、7人がパーティーを組んで『奈落』の超深層を探索してるのよね。で、さらに5人が『奈落』地下第1~3層の地下街でなにかあった時のために待機してるの。まぁ、青玉級・赤玉級の人たちも何十人、何百人っているから、過剰戦力だとは思うけどね」
などと苦笑しながら話す美卯さんだが、今までの話が本当なら最悪の場合、一つの世界がそのまま敵になって侵略してくる可能性があるという事だ。
文字通りの異世界人が相手な訳だから会話が通じる保証もない。また、人語を解さない魔物が群れを成して攻め上ってくることもあるだろう、とうてい過剰などとは言えないのではないだろうか。
「過剰よ。わたしたち紫玉級ダンジョンダイバーは、全員が一人で世界中を相手にしても勝てるだけの実力を持ってるからね」
……は?
「今までにあたしたちの地球を獲物として認識し、侵略を仕掛けてきた世界は1081個、国の数は4126ヵ国。そのほとんどをあたしら紫玉級が単騎で制圧し降伏させ、あるいは滅亡させてるわ」
…………マジですか?
「大マジ。付け加えていうなら外国でも似たような状況で、わたしたちみたいな紫玉級のダンジョンダイバー並の使い手はいないけど、青玉級並みが5~6人もいれば一つの世界を滅ぼすくらいは楽勝で出来るわ。
それに軍隊だってあるしね。アメリカ軍とか、兵器運用と大規模戦闘のノウハウが半端じゃないわよ。あの人らとは喧嘩したくないなー」
冗談めかして言う事かとも思ったが、どうやら冗談で言える事らしい。
この世界ではダンジョンが生み出す富が各国のブロック化を進め、ほぼすべての国家が資源的食糧的経済的に自国のみで完結しているらしいのだ。
世界中全てで、この三つを自国で賄えるなら戦争など起こるはずもない。
ごくごく一部で思想的なものを原因とする国家間戦争も存在したらしいが、各国から送り込まれた少数の精鋭が件の国のダンジョンを封印し、経済的に日干しにして当事者であった国全てを消滅させた過去があるという。
なんでも『この世界では国家間の繋がりは特産品の貿易と、民間人の観光のみとする。その決まり事を破る輩は全世界の国家が連合して排除する』
そんな不文律ともいうべき了解が世界中で共有されているらしいのだ。
……まったくもって羨ましい話である。
「それに至るまでの混乱は半端なかったみたいだけどね。わたしたちの世界じゃ、国家間のパワーバランスを左右しかねない個人ってのがちょこちょこいるから、その点も他の地球型世界との違いかな。
なお、そんな化け物みたいな個人をダントツで抱え込んでるのがわたしたちの日本ね。おかげで外国からは魔境だなんて呼ばれてる」
「ふむふむ……って、思わず流しましたけど、ダンジョンが生み出す富ってなんなんです?」
「主にエネルギー資源ね。ダンジョン内で採れる人の想念が物質化した『魔石』と呼ばれるエネルギーの塊。他の地球型世界における石炭と石油と天然ガスを足して、三で割らないくらいの需要と使い道があるわ」
さらにダンジョン内という巨大な土地(奈落の場合、一層の広さは平均して関東平野程の大きさになるらしい)を使った大規模農業。
魔石を加工して生産される資材に、機械型の魔物の残骸を回収、再利用することで得られる無尽蔵の金属資源。
美卯さんたちの地球と共存することを選んだ異世界と貿易を行い、レアメタルやレアアースを輸入する。
それらの経済活動は莫大な労働力を必要とし、またダンジョンという空間はそれを支えるだけの人口を受け止めることが可能であった。
「まあ、その分ダンジョン内じゃ人の命がずいぶんと安くなってるけどね。魔物との戦いや、それに見せかけたダンジョンダイバー同士の殺し合いでの死者とか、年間で数万人単位だから」
とはいうものの、僕のいた日本では年間の自殺者がおよそ2万人。二億人を超えるという美卯さんの日本との人口差を考えると、さして変わらないような気もしてくる。
さて、では最後の質問……『どんな状況なのか』。
「正直言って、今の情報で環境がかなり変わっちゃったからね……。当初の予定だと地上に出てもらって、わたしたちの地球の一般人として暮らして貰おうと思ってたんだけど、不確定要素が多すぎるし」
先ほど言っていた、共通点が多すぎるという問題だろうか。
美卯さんの言葉も理解できなくはない、異世界などという未知の問題に対するなら万全を期すのは当然だろう。
……それに正直なところ、その提案は僕にとって納得できない。
僕も僕の日本には未練がある。
兄さんも姉さんも、おじさんやおばさんに部活の友人だって挨拶もしないままにお別れというのは、あまりにも寂しいのだ。
「そんな訳で、ちょっと上と相談させて欲しいな。多分、明日明後日には結論が出ると思う」
僕はその言葉に異論を挟めるはずもなく、ただ首を縦に振るしかできなかった。