1話 彼女たちとの出会い
かつん、かつん、かつん……
無人の駅構内に僕の足音が響く。
普段の新宿駅からは想像もつかない程に静寂に包まれた構内は、僕の知る新宿駅とは別物のようだ。
別物……まさか、ここは僕の知る新宿駅ではないのか?
大阪の梅田駅のように、紛らわしい駅名はいくらでもある。ひょっとしたら、ここも新宿近郊の地下鉄とかだったりしないだろうか?
……いや、丸の内線新宿、新宿三丁目、西新宿など、幾つかの駅名が思い浮かぶが、既に改札は過ぎている。いずれにせよここは新宿の地下街のはずなのだ。
心の奥から湧きあがる不安。それを頭を振って追い払う。
気持ちを切り替えながらリュックサックを下ろし、携行食を一口食べ、水筒の水を流し込む。
そしてまた、見えない出口を探して歩き出した。
かつん、かつん、かつん……
歩く。
歩く、歩く、歩く。
どれ程歩こうとも、周囲の景色は変わらない。見たこともないような、奇矯極まりない看板が並ぶ薄暗い地下通路だ。
そして歩き続ける僕の足元を照らす明かりと言えば、小さな電灯と時折みえる自動販売機。
薄暗い足元は不安をかきたてる。喉も乾いてきた、無性に水が欲しくなる。
そして、既にリュックサックに入れていた水筒の中身は空である。
「はーーー、あ」
視線が遠くに見える自動販売機に吸い寄せられる。
まるで誘蛾灯のように明るく輝く自動販売機は、見たこともないメーカーのものだ。
見たこともないメーカーの自動販売機、その中に入っている商品もまた、見たこともないような品物ばかりである。
あまり声高らかに言う事ではないが、僕は偏食家であり、食べ物も飲み物もほとんど決まったものしか口にしない。
兄さんにも姉さんにも口を酸っぱくして注意されていたが『栄養バランスが取れてるなら問題ない』と、聞く耳を持たなかった筋金入りだ。
事実、偏食家でもインターハイの登山競技で優勝チームの一人になってるんだから文句ないだろ……と、閑話休題。
普段の僕であれば、見たこともない飲み物など飲む訳が無かった。
いや、そもそも普段であれば、知らぬ電車に乗って、こんな場所に来ることもなかっただろう。
普段であれば、普段であれば、普段であれば。
いくら言っても始まらない。結果として、僕は財布から小銭を取り出し、見知らぬ飲み物を購入しーー
そして、それを、飲んだ。
「あ、あ、ああああああああああああああああああああ!!」
喉が焼ける。
胃が燃えている。
十二指腸で黒くどろりとした炎が暴れまわり、
小腸からその熱が吸収され、大腸では昏い熾火が静かに赤黒く輝いている。
熱い。
熱い。
熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱いーーー!
灼ける。
肉体が、精神が、存在が。
暗黒の焔に炙られナニカに変質していく。
「あーーあ、あ」
わからない、いま、僕がどうなっているのかわからない。
だけど、それなのに、力がみなぎる。
疲労の極みにあったはずの体は羽根のように軽くなり、
目ははるか暗闇の彼方を見通し、
耳は音の反響を拾い、建物の構造を僕に知らせる。
そして、心はーーー
『殺せ』
そんな意志が胸の内に宿る。
『壊せ』
その思いは間違いなく僕のものであり、
『踏み躙れ』
それ以外の事は、考えられなくなっていた。
かつん、かつん、かつん……
夢見心地で階段を上る。
いつ階段を見つけたのか、どのくらいの時間、上り続けているのか、僕にもわからない。
気付いていたら上っていた階段で、まるで悪夢の中をさまようように、ただ無心で足を動かす。
一歩、一歩、一歩。
その間も、心の奥から意志がささやき続けている。
『殺せ』『壊せ』『踏み躙れ』『殺せ』『壊せ』『踏み躙れ』『殺せ』『壊せ』『踏み躙れ』『殺せ』『壊せ』『踏み躙れ』『殺せ』『壊せ』『踏み躙れ』『殺せ』『壊せ』『踏み躙れ』『殺せ』『壊せ』『踏み躙れ』『殺せ』『壊せ』『踏み躙れ』
もしも今『何故歩くのか』と問われたのなら、この意思を実行するためと躊躇いなく答えただろう。
そして上って、上って、上り続けてーー
とうとう僕は、地上に出た。
「おああああああああぁ!」
奇声をあげながら、最初に目についた影に襲い掛かる。
手にしているのは、登山用のスタッフに剣鉈を括りつけた手製の槍だ。
フクロナガサと呼ばれる柄の部分が中空になった独特の剣鉈、これは東北のマタギ山刀に起源をもつ万能の刃物。
ある時は藪を払うブッシュナイフとして、またある時は獲物を調理するための包丁として、またある時は木を切り倒すための鉈としてーー
アウトドアに必要な要素の全てを内包した、刃物の一つの究極系。
そして、その要素の一つとして護身用というのが挙げられる。
明治大正期のマタギたちは、銃で仕留めそこなった熊をフクロナガサの槍で仕留めることが珍しくなかったという。
中空になった柄に棒を差し込むだけで簡易な槍に変わり、その穂先となった剣鉈は猛獣の毛皮を切り裂き、肉を断ち、骨を貫いて命を奪う。
街中であれば槍の形状にするだけで銃刀法違反になるような、そんな殺傷能力を持った刃を、他者を傷つける凶刃として躊躇いなく振るっていた。
「ぢゅいいいいいいいいいいいぃ!!」
醜く濁った、薄汚い悲鳴。
確認もせずに襲い掛かった影の正体は、大型犬ほどの大きさを持った巨大なネズミであった。
いわゆるハツカネズミではなく、丸々と太ったドブネズミ。
その巨大ネズミは血の代わりに、もやっとした黒い霧のようなものを流し、ひくひくと痙攣し絶命した。
これはいったい、何なんだ?と、普段の僕なら思っただろう。
しかし、今の僕がそれを疑問に思うことは無い。
「は、はは、はははははははははっはあっはははッ!!」
腹の底から笑い声が溢れてくる。
殺した、殺してやった、ざまあみろ。
人っ子一人いない、無人の新宿の街に僕の笑い声が響き渡る。
この化け物はなんなのか、なぜ地上までも無人なのかーー、そんな事はどうでもいい。
命を奪うという事の快感に酔いしれ、他の全てが些事となる。
殺してやるーー
ただその思いに導かれ、僕は地上の街を歩き出した。
殺す。
翼長2メートルはあるだろう蝙蝠の眉間をたたき割り、
殺す。
ぶぅん、と羽音をたてて飛びついてきた漆黒の巨大ゴキブリを串刺しにし、
殺す。
僕を視界に捉えるや否や襲い掛かってきた、軽自動車サイズのカワラバトの首を刎ねる。
昨日までの僕とは比べ物にならない身体能力と認知力。
集中すれば地面を走るゴキブリの動きさえスローモーションに見え、そして動きに合わせて槍を突きだせる。
山に登るとき、万一に熊や猪に襲われたときに備えてと一通り槍の扱いは学んでいた。
だがそれでも、まるで体の一部とも思えるくらいに槍を振るう技術など、僕が持っているはずがない。
なのに、
『殺せ』
まるでその意思が僕の体を操っているかのように手が動き、目につくものを片端から殺していく。
今もまた風切り羽を断たれ、地面でもがく巨大カラスの頭部に刃を差し入れ、その命を絶っていた。
さあ、次の獲物はどこだと周囲を見渡しーー
ーーそして僕は、彼女に出会った。
ふわふわとした黄金色の髪、細身であるがよく鍛えられ、締まった四肢。
なにより、雑誌のモデルをしていると言われても当然と思えるような端正な顔立ちと美しい翠の瞳。
ちょこん、と、長く尖った耳が髪の間から飛び出ている。
森妖精ーー?
新宿の街にはあまりにも不似合いの存在にあっけにとられる。
だがそれも刹那の一瞬。
『殺せ』
すぐさま僕の心は殺意に支配され、彼女に襲い掛かる。
「はーー、あはははははあはっははっはははは!!」
「ふーー、ははっははあははっははははははは!!」
どうやらこの殺意に支配されているのは彼女も同じようだ。
僕らは口角を上げ、よだれを垂らしながら狂った瞳で見つめ合い、武器を構える。
心の奥が歓喜に燃える。
--さあ、殺し合おう。
「はいはい、ちょーっとストップ」
な!?
気の抜けた女性の声。
それが聞こえると同時に僕の体には十重二十重の糸が絡みつく。
ふと視線をやれば、森妖精の彼女も同じような状態だ。
いったい何が……?
「うーにゅ、まさかこんな奈落の深くで少年少女を保護することになるとはねー」
声のした方に目を向けると、そこに立っていたのは一匹の蜘蛛。
正確には、美女の上半身と蜘蛛の下半身をもった人蜘蛛ーー、たしかアラクネーといったか。
その人型の、メリハリのある上半身にはデニムのベストを羽織り、ひときわ大きく輝く紫色の宝珠を中心に7色の宝石の付いた首飾りを掛けている。
「誰だ?お前は?」
おもわずそんな言葉が口を吐く。
その言葉に彼女はニヤリと笑いーー
「あたしは地上からの使者!性的な意味でキノコ狩りの女、スパイダーウーマッ!!」
…………いや、マジにあんた誰だよ……