16話 脳裏によぎる思い
ぐつぐつと鍋の中で、野菜と鮭の切り身が煮えている。
鮭は昨日、汐織さんから貰った砂漠鮭の残り。
野菜はブナシメジにエノキなどの茸類に加えて、大根や長ネギ、豆腐など。
いわゆる、石狩鍋というやつである。
みそ仕立てで味付けをされた鍋からは、食欲をかきたてる香りが漂っている。
窓の外には早朝の光が差し込み、絶好の狩り日和になるであろうことが予想された。
鍋の中身は、朝一から食べるにしては重めの具がこれでもかと投入されているものの、今日も一日山の中を走り回り、狒々の駆除を進めねばならない。
しっかりと食べねば、体が持たないのだ。
米はベースキャンプの厨房で、従業員が用意してくれている。
別料金だが、どんぶりに大盛りで100円と学生街の定食屋のようなノリで提供してくれるのは、とてもありがたい。
そんな感じで朝食の準備を進めながらも、僕の頭の中では一つの思いがで占められていた。
“これから、どうするのか”
食べていくだけならば既に目途が立った。
ダンジョンダイバーとして活動を始めて3か月で黄玉級に昇格というのは、歴代でも有数の早さだという。
瘴気汚染というチートがあるという前提ではあるが、それにはデメリットもあるのだし不正ではなく個性として割り切った。
こんな棚ボタで手に入れた力に頼らなければならないというのは業腹だが、世の中の天才と言われる人たちも、その才を望んで手に入れた訳ではないだろう。
しかし、だ。
“その力を持って、これからなにをするのか”
そこに考えが至ると、そこから先に思考が伸びない。
そして出もしない結論を求めて、ぐるぐると堂々巡りを繰り返すのだ。
「庸次くん、大丈夫?めっちゃ暗い顔してるよ?」
となりでオムレツを焼いていたエゼルミアが心配そうに聞いてくる。
ちなみにエゼルミアが今焼いている卵は、名古屋のダンジョン『黄金回廊』の最下層で養殖されている『黄金鶏』の卵。
『黄金鶏』とは、文字通り黄金色に輝く羽毛を持ち金の卵を産む正真正銘の魔物であり、並の黄玉級ダンジョンダイバーならば簡単に返り討ちにするだけの戦闘力を有していたりする。
その肉は普通に処理したのでは固くて食べれたものではないが、ある霊薬と共に料理すると口の中で蕩けるように柔らかく美味しくなる。
霊薬を入れた油で揚げた『黄金鶏の天ぷら』は、いまや名古屋に行ったのならば食べぬは一生の損と言われる程の名物料理であり、その卵を使った料理もまた同様だ。
保存と運搬、そしてダンジョン産の食材に付き物の瘴気浄化に特殊な設備や器財が必要なため、『黄金回廊』地下都市以外ではめったに食べれるものではないが、僕たちの場合は汐織さんたちのコネで安定して入手が可能になっている。
まあ、その分、めっちゃ高いけどね!
なお『黄金回廊』は国内第3位の深さと広さを有するダンジョンであるが、5年ほど前に『人間にして拳神たるもの』ら4人の紫玉級ダンジョンダイバーの手によって地下99層の最深層まで制圧され、現在では国内における異界との交易、その最大の拠点として栄えているのだという。
……汐織さんが特別な実力者というわけでもないとか、あの人ら絶対どっかおかしい。
と、それはさておき。
「昨日の『シティガンナーズ』の話を聞いちゃうと、どうしてもね」
『シティガンナーズ』は一生を掛けて、そんな紫玉級ダンジョンダイバーの背中を追い続けると言っていた。
それがどれだけ困難な道のりか、彼らも理解しているつもりではあるのだろう。
だが、本当の意味ではわかっていない。
超深層の瘴気と一体化した僕だからわかるのだが、あの人たちは文字通り次元が違う。
この3か月の間に宝玉から得られる知識をもとに訓練を積み、瘴気から湧き出る『意志』を制御するよう努力し、僕は強くなった。
そして強くなればなるほど、加速度的に彼女たちが遠くなっていく。
努力や才能などでは決して埋められぬ、存在の差。
いやがおうにも思い知らされる、その差の大きさを『シティガンナーズ』は把握していない。
せいぜいが『想像もつかないレベルで先に行っている』くらいにしか思っていないはずだ。
だが、僕はそんな『シティガンナーズ』の決意を止めることができなかった。
青玉級にまで階位を上げれば、事実上の不死を手に入れれる。
不慮の死を遂げても宝玉に遺された情報から肉体を再生し、“老いた者の若返り”という草から作られる霊薬の購入権も優先して与えられるため、老衰もない。
つまり彼らは死ぬことも出来ずに永劫の間、届かぬ星を目指して歩き続けるという事であるのに、だ。
「気持ちはわかるけどね、いま庸次くんが考えたって仕方のない事でしょ?」
「……だね」
僕の悪い癖だ。
一つの事に気を取られると、その事で頭がいっぱいになって、他の事に気が回らない。
さしあたって、いまやらなければいけないことはーー
「はい、『黄金の卵』を使ったスパニッシュオムレツ2人前。具はジャガイモに、ほうれん草とベーコンね。冷めないうちに食べちゃお」
「こっちもいいかな?『砂漠鮭』の石狩鍋。めったに手に入らない稀少食材だしね、美味しく食べなきゃもったいないか」
「そーゆーことよ」
と、とりあえずの問題を棚上げにして朝食を食べ始める僕らであった。
「ねえ庸次くん?ご飯を食べてる時くらい、暗い顔するの止めたら?」
「……ごめん」
朝食に手を付け始めてから数分後。エゼルミアがそんな言葉を掛けてくる。
『砂漠鮭』の石狩鍋は僕の自信作という事もあり、とても美味しい。
エゼルミア手製の『黄金の卵』を使ったスパニッシュオムレツも文句なく絶品といえる味わいで、これを暗い顔をして食べるなど美食に対する冒とくであろう。
エゼルミアの言葉ももっともだ。
「今日もこれから狒々の駆除に行くんだけど、本当にわかってる?」
悪いと思っているのは本当だ。
でも、止められるか否かというのは別問題なのである。
そんな風に黙った僕の顔を、エゼルミアがじっと見つめてくる。
「……」
「‥‥‥‥‥‥」
無言で見つめ合う事、十数秒。
エゼルミアの美貌が不満げに歪みーー
そして唐突に立ち上がった。
「エゼルミア?」
立ち上がった彼女は、そのまま部屋の隅に置かれた冷蔵庫に向かう。
……あの、いったいどーゆーつもりなのでしょうか?
そのまま彼女は冷蔵庫の扉を開いて缶チューハイを取り出すと、そのまま一気に飲み干した。
…………ふぁッ!?
「はい、飲んじゃいました。これで、今日は狒々の駆除には行けません」
「……エゼルミアさん?」
「庸次くんってば、酷い顔してるよ?そんな体調で狒々の駆除に行ったって、返り討ちに遭うだけだって」
「いや、その……」
そういうエゼルミアの顔はどこか心配げで、なんだかんだ言っても僕の身を案じているのがありありと感じられた。
「疾風丸の所にはわたしから連絡しておくから、今日は休み!はい、決定!!」
「だけれどノルマを達成できそうだって、エゼルミア嬉しそうに……」
「『命を大事に!』はい、復唱!」
「……命を大事に!」
「よーし、今日は一日休むよ!休んで、遊ぶ!」
「イエス、マム!」
そんなかんだで結局は彼女に押し切られ、今日は急遽二人で地下一層に戻り休暇を取ることになったのである。
エゼルミアってば、この世界に来てから美食に目覚めただけじゃなく、サブカル分野にも興味を持ち始めたみたいだからなぁ……
きっと、ゲーセンやら猫カフェやら、漫画専門店やらを連れまわされることになるんだろうなぁ……
と、そんな思いが脳裏によぎるが、たしかにこの瞬間は将来の事など綺麗さっぱり頭から消えていた。