10話 魔物肉
「知らない天井だ……」
半ば現実逃避も兼ねて、寝起きにそんな事を呟いてみる。
ちなみにここは、深山区役所の宿直室だ。
昨日の馬鹿騒ぎのあと、疲れ果てた僕に『鍵は開けといたから、好きに使って』と放り出された結果である。
なお、隣の部屋ではエゼルミアが寝ているはずで、汐織さんやリョウさんたちは打ち上げだといって夜の街に消えていった。
未確認の超深層からの漂流者という事で、色々と調べられるはずとは何だったのだろう……?
……まあいいや、とりあえず目の前の事から考えよう。
何気なく時計を見てみると、時刻は朝の6時30分、ちょうど普段の起床時間である。どうやら異世界でも、体に染みついた習慣というのは抜けないようだ。
そんな事を思いつつベッドから起き、布団をたたむ。
顔を洗い、寝癖を直して、服を着替えーー
「……朝食は、これを食べろって事だよな」
テーブルの上に無造作に置かれた食材の数々を見る。自他ともに認める偏食家の僕でも食べることができるものばかり。
食パンにバター、卵にトマトなどなど……ありふれてはいるが、どれもこれも色艶も良く、とても質の良いものなのだろう。
……貧乏舌の僕には、違いと言われてもわからないけどね!
いや、これは汐織さんたちの好意で用意してもらったものだ。
後々に出世払いで返すにしても、今の一文無しに近い僕らにとってはどれ程の価値を持つものか、考えるまでもない。ありがたく厚意に甘えることにする。
綺麗に並べられた食材に、鍋やフライパンに包丁といった調理器具まで準備され、後は調理を済ませるだけ……という状況なのだが、
ただ、ひとつだけよくわからない食材がある。
「なに、これ?」
大きく『必須!』と書かれた紙の上に置かれている肉の塊。
牛肉に似ているがどこかが違う。サシがほとんど入っていない、なにかの赤身肉。
うぬう……、わからん……。
と、そんなふうに謎肉を前にして悩んでいると、後ろのドアが音もなく開かれた。
「……あ」
「あ、えーと……おはよう」
ドアを開けて出てきたのは金髪の美少女ーーエゼルミア。
寝起きなのだろう。どこかまだ眠そうな顔をして、寝間着代わりのジャージを着たまま、寝癖のついた髪もまだ直ってはいない。
「あー、えー、その……朝ごはんの希望はある?」
なにを話せばいいのか迷い、そんな事を口にする。
思えば彼女と一対一で向かい合うのは、無人の新宿。そこで殺し合いの寸前までいったあの時以来である。
あれからそれなりには同じ場所で同じ時間を過ごしていたはずだが、思いだせるのは紫玉級の人らのことばかり。
こうして顔を合わせてみると、どんな会話をすればいいのかわからない。
それは彼女も同じだったのだろうか、僕の言葉に少し悩むそぶりを見せて……、ちらりと謎肉に視線を向ける。
「勇魚」
「え?」
「それ、勇魚の肉でしょう?わたしの故郷では、数年に1回しか食べれない高級品だった。食べれるのなら食べたい」
勇魚……、えーと、どこかで聞いたたような。
あれはたしか……
「ああ!鯨の肉か、これ!」
話だけは聞いたことがある。
ミンククジラやヒゲクジラの尾の部分などから採れる赤身肉。
僕の生まれるずっと前に一般的な食材ではなくなったものの、いまだ一部の好事家を中心に好まれている高級品だ。
だけど僕個人としては兄さんがスポンサーと食べに行って以来、自称環境保護団体から山のような抗議が来ているのを知っているためか、あまり進んで食べようと思うものではない。
どんなに美味しい食べ物だって、あんな連中から罵声を浴びながら食べたんじゃあ美味しくないに決まってる。
……まあ、当の兄さんは『あの連中の思い通りになるのは気に入らない』と月に2~3回は専門店に通っていたけど。
閑話休題。
さて、それはそうとして、どうやって食べればいいのだろうか?
兄さんが好きだったのは知っているが、自他共に認める偏食家の僕には、この未知の食材をどう調理したものか想像もつかない。
加えて、こう、あの、その……あまり食べた事のない食材というのを、口にするのはちょっと……
「美味しいよ?」
こてん、と、首をかしげながらそんな事をいうエゼルミア。
いや、君は食べなれてるからいいのかもしないけど……
「こうするの」
あ。
戸惑う僕を見かねてか、1kg近くはありそうな鯨肉の塊をまな板の上に乗せ、包丁を手に取って慣れた手つきで切り始める。
……うん、どうせ僕じゃ扱えない食材だ。ここは彼女に任せるとしよう。
僕はそんな風に開き直ると、他の食材の調理に入る。
「なにか、他に食べれないものとかある?」
「大丈夫。汐織さんたち、わたしが食べれるものだけを用意してくれたみたい」
やっぱりか。
この食材の数々を見たときに、そんな予感はしていた。
本当、ずいぶんと気を使わせてしまったようで申し訳ない。
って、あれ?
じゃあ、この鯨肉はなんなんだろう?
『必須』だなんてあれだけ大きく書かれていたのだから、なにかしらの意味はあると思うんだけど。
そんな事を思いつつも、作業の手は休まずに動く。
偏食家で食べれないものが多いなんて僕なのだから、当然のように僕の地球では食事担当は僕だった。
とゆーか、昔は姉さんや母さんが作っていたのだが、あの二人の作った料理を残すことに良心が耐えられなかったという、しょうがない理由である。
そして、そんな罪悪感から逃れるために日々料理を作り続けた僕の腕は、芸能人として美味しいものを食べなれている兄さんに『今すぐ店を出しても、十分に通用する』とのお墨付きを貰っていたりする。
僕自身は味の違いがよくわからないのだけど、兄さんがそういうのだから間違いないだろう。多分、きっと、めいびー。
中火で熱したフライパンに溶いた卵を流しいれる。
半熟状になったら一度取り出し、フライパンの油をふき取り、再び中火で熱して今度は串切りにしたトマトを投入。
トマトに火が通ったら先ほどの卵を戻し入れ、塩と粗びき胡椒で味付けし、器に盛りつけてまずは一品『卵とトマトの炒め物』。
ふと横に目をやれば、エゼルミアは厚切りにした肉を丁寧にソテーしている。
これは……ステーキかな?
近くのボウルには角切りにされたトマトが入っており、多分手製のトマトソースだろう。
「エゼルミアの故郷でも、トマトは存在してたんだ」
「うん、食材にしていたのは、わたしの部族くらいだったけど」
ああ、ありうる。
たしか地球でも新大陸の発見後、百年以上の間は観賞用として栽培されていたはずだ。
本場の新大陸でも、トマトを食べていたのはアンデス山脈の一部地域だけだったと記憶している。
あれかな、やっぱり真っ赤な果実ってのは毒草をイメージさせるのだろうか?
「でも、この世界の道具は凄い」
「え?」
「こんなによく切れる刃物は初めて使った」
と、視線を向けるのは先ほどまで彼女が使っていた包丁。
ああ、あれはーー
「ダマスカス包丁か……、そりゃあ切れるわな」
木目状の模様を持ち、モリブデン鋼を中心に何層もの鋼を重ね合わせて作るダマスカス包丁。
その平均価格は10000円以上という高級品だ。
しかし高いだけのことはあり、よく切れ、錆びにくく、長持ちして、なによりも格好いいという料理好きの人間(特に男性)の垂涎の一品。
区役所の宿直室にそんな高級品が置いてあるっていうのは、いったいどういう事なのか問い詰めたいところではあるけど、どうせ斜め上の返答が返ってきそうな予感がする。
それはさておき、ダマスカス包丁の事を説明すると、エゼルミアは感心したような顔でしみじみと、
「凄い世界だね、ここは」
と、呟いた。
「まあこの世界だって、凄いところもあれば、駄目なところもあるさ」
厳密に言えばこの世界の人間ではない僕であるが、よく似た地球型世界出身としてこのくらい言ってもいいだろう。
そんな何でもない会話をしながら、僕は二品目に取り掛かりーー
「完成」
「こっちも出来た」
朝食を完成させる。
献立は、バターを塗った食パンに、卵とトマトの炒め物、タマネギとセロリのスープ、鯨のステーキという、朝食にしてはちょっと重めのものになった。
特に、鯨のステーキが重い。
なにしろその量は二人分で1kg弱。一人で500g近くの鯨肉をお腹の中に入れねばならないのだ。
はっきり言って少々辛い……が、『必須』と指定があった以上、なにかしらの理由があるのだろう。
そんな事を思いながらテーブルに付き、
「いただきます」
「天地に生きし優しき命よ、我が糧となり血肉になる事を感謝いたします」
それぞれの言葉と共に食べ始める。
エゼルミアの言葉が食材への感謝であった事はちょっと意外でもあり、同時に彼女とは仲良くなれそうな予感がするものであった。
結論から言おう。
鯨肉のステーキは、凄え美味しかった。
「はぐはぐはぐはぐ……」
初めての食材、初めての料理。
そんな感じで最初は抵抗があったのだが、とても美味しそうに食べるエゼルミアの姿を見て、口に運んでみた。
そして一口食べてからは止まらない。
やや固めの歯ごたえと、独特の香りがあるので好みが分かれるだろうが、溢れ出る肉の旨みはさっぱりとした味わいで、エゼルミア特製のトマトソースと合わせていくらでも食べれそうだ。
僕が作った『卵とトマトの炒め物』や『タマネギとセロリのスープ』もエゼルミアの反応を見る限りでは良い出来なのだろう。
しかし、この『鯨肉のステーキ』は次元が違う。
食べる、食べる、食べる。
理屈ではない。もっと本能的なもので、体がこれを欲しがっている。
そんな風に貧乏舌で味音痴な僕が、夢中になって食べ続けてーー
「御馳走様でした」
500g近い肉の塊は、副菜やパンなどと一緒に、僕らのお腹に収まったのである。
「美味しかった……」
「うん、本当に」
食後のお茶にウーロン茶を淹れつつ、二人で極上の美味の余韻に浸る。
……台湾の特級凍頂烏龍茶とか、本当になんで区役所の宿直室にこんな高級品が置いてあるんだろうか?
「鯨の肉って、あんなに美味しかったんだ」
「いや、あれは特別。今までに食べたどんな勇魚よりも美味しかった」
「そりゃあ、奈落の地下105層に出現する『霧鯨』の肉だしね」
ぅおおッ!?
驚愕と共に声の聞こえた方に目を向ければ何時の間に現れたのか、そこには僕の淹れたウーロン茶をすすりながら寛ぐ、汐織さんの姿。
「びっくりした……」
「修行が足りないねぇ、二人とも」
彼女はニヤニヤと、悪戯が成功した子供のような顔で笑う。
趣味が悪いなぁ……
「このくらいの悪ふざけは許してよ。遊び心を失うと、あっという間に老化が進むんだから」
ああ、そういえば心を読むんだったわ、この人。
しかしその論理で言えば、紫玉級の人らってほとんど不老なのではなかろうか。
そんな事を思いながらウーロン茶を淹れなおし、食後のお茶の準備を始める僕であった。




