プロローグ
がたんごとん、がたんごとん、がたんごとん……
電車の走る音が、僕以外に乗客のいない車内に響く。
窓の外に広がる景色は朝焼けに染まった海岸、その風景をただ無心で眺めている。
なぜ僕が普段は乗らない、ローカル線の始発に揺られているのかというと……まあ、正直に言ってしまうと失恋旅行である。
振られた相手は、十年近く前に両親を事故で無くし、兄さんと二人きりになった僕たちを引き取ってくれた遠縁の親戚、その一家の長女。
遠縁の親戚に引き取られたといっても、よくあるフィクションのように邪険にされていたわけではない。
彼らは生前の両親とは親しくしており、親戚であり友人でもあった人間の忘れ形見として僕ら兄弟を実子と変わらぬ扱いで育ててくれた。
一家の長女、愛佳姉さんも僕の事は実の弟のように可愛がってくれていたのであるが、姉さんが伴侶として選んだ相手は僕の実の兄だった。
姉さんが一人の男性として見ていたのは兄さんであり、僕の事は見ていない。
そんなことはずっと前から理解していた、理解していたつもりであったが……
それでも花嫁衣装を身をまとい、兄さんとバージンロードを歩く姉さんの姿は、直視するには辛過ぎた。
だからだろうか、姉さんたちの結婚式から一夜明けた今朝。父親の形見のリュックサックに思いつく限りの荷物を詰め、衝動的にあてのない旅路に出たのである。
がたんごとん、がたんごとん、がたんごとん……
想像以上に心にダメージを負っていたのだろうか、放心状態であった僕がふと我に返ると、窓の外の風景は一面の暗闇に変わっていた。
夜になるには早すぎる。以前に姉さんから結婚すると聞かされた時に、一日中山手線に揺られていたがその時でも時間の経過は認識できていたと思う。
ならば、おそらくはトンネルだ。普段は乗りもしないローカル線、僕が知らないトンネルの一つや二つあっても不思議ではない。
がたんごとん、がたんごとん、がたんごとん……
トンネルが終らない。我に返ってから30分は経っている。
それなのに、依然として窓の外は一面の暗闇である。どこかの地下鉄にでも直通で繋がっていたのだろうか?
窓の外の暗闇にそんな疑問を抱きつつも、早起きしたせいだろうか強烈な睡魔が襲ってくる。
そしていまの僕にはその睡魔に抗うだけの気力も理由も存在せず、あっさりと深い眠りに落ちていった。
がたんごとん、がたんごとん、がたんごとん……
『まもなく終点、新宿です。お出口は右側です、本日はご利用まことにありがとうございました』
そのアナウンスで目を覚ます。
どのくらい眠っていたのだろうか、まるで見当がつかない。
だが終点と聞いてはこのまま車両に乗っているわけにはいかない、大慌てでリュックサックを手に取り飛び降りる。
「……あれ?」
飛び降りた僕の目の前に広がるのは、誰一人いない無人のホームだ。
アナウンスは確かに新宿と言っていた。僕も毎日の通学に新宿駅で乗り換えるということもあり、それなりには詳しいつもりである。
しかし、世界一の利用者数を誇る新宿駅にこんな無人のホームなどあっただろうか?
聞き間違いかと看板を見てみるが、そこに書いてあるのは間違いなく『新宿』の二文字。
「隣駅は……『きさらぎ駅』。聞いたことないな、僕は何線に乗ったんだ……?」
しかもあり得ない事に看板には路線名が書かれていない。
そんな妙な光景に首をかしげながら無人のホームを歩き、改札を抜け、出口を探すことにする。
某所ではラストダンジョンとも呼ばれる新宿駅の地下である、出口を見つけるのは容易ではないだろう。
それでも毎日の通学に使うJRや小田急線、あるいは友人の自宅がある京王線など見知った場所にさえ出れれば問題ない。
と、そんな簡単な気持ちで歩き出した。
それがこれから始まる修羅の道への第一歩だと知ったのは、しばらく後の話である……