第一章『down , down , down』
天井が見える。
見慣れない、遠く暗い天井だ。
周りに誰もいないのか、それとも俺の耳がいかれてしまったのか、なんの音も聞こえてこない。
その上、体も動かない。
何か重いものでも乗っているのか、ひどく窮屈に感じる。
と――、どうやら左腕は動くようだ。
感覚があまりない所為で、動かしている実感がわかないのが気持ち悪い。
――ねちょり
そんな擬音を肌で感じる。
どうやら血が出ているらしい。
どこから出ているのか、どれくらいの量なのか、もうその判断もつかない。
――じゃり
今度は、瓦礫を踏む足音。
「Grrrrr……」
狂犬が威嚇するかのような吐息を漏らしながら、巨大な男がそこに立っていた。
三メートルはあろうかという体躯に、木の幹のような太い四肢。おまけに手には大人一人ほどの大きさもある鉞を一本握った、鬼の如き巨漢。
俺をこんな目に合わせた張本人。
突如この不思議空間で襲ってきた、正真正銘の化物だ。
しかし、それもさっきまでの話。
俺はこいつとの鬼ごっこに負け、今はもう死を待つばかりだ。
正直、死にたくなんかこれっぽっちもないが、もうどうしようもない。
動く左腕だけでこいつを撃退できるなんて、とても思えない。
せめて苦しまないよう、しっかりと目を閉じ――、
「おい、人間」
今度は右手。
もう感覚すらない右手の方から、声はした。
「諦めるのか?」
声はそう、俺に問う。
「諦めるもなにも、もうどうにもできねぇ」
俺はそう答える。
「だからといって、諦めてもよいのか?」
二度目の、しかしそれは同じ、問い。
「お前には、何もやり残したことはないのか?」
「やり残したこと……」
『 お兄ちゃん 』
「さゆ……」
そしてそれは、事実。
「もしお前にまだ未練があるというのなら、願え」
「願う……?」
「そうだ。願いを――お前の生きるための理由を口にしろ。さすれば、わたしがその願いを叶えてやる」
「お前が、俺の……?」
巨漢はゆっくりと、その巨木のような腕を振り上げる。
俺の命を刈り取るための一撃を、振るうために。
「ああ。無論、ただではないがな」
ニヤリと、その声は笑ったようにそう言った。
「さあどうする。ここで静かに死を待つか、それとも醜く生きて願いを請うか!」
巨漢は緩慢な動きで、しかし死を齎すには充分すぎる速さで、鉞を振り下ろす。
「さあ、選べ!」
――――。
「は――、そんなもん、最初っから答えは一つみたいなもんじゃねぇか。
いいぜ、結んでやる。
対価でもなんでも持っていきやがれ!
そのかわり、俺の願いは叶えてもらうぞ、妖精!」
その瞬間、少年の右手から光が漏れだす。
少年が右手で握りしめる一冊の本の、その隙間から。
光に押されるようにして本は開き、パラパラと頁をめくる。
光は広がり、辺り一帯の空間は光に包まれ。
視界が白へと変わり、全てを覆う。
そして意識は遠のき、
少年は死んだ。