IV,幽霊に理解力はない
朝。
ガバッ、と勢いよくベットから上半身を起こし目覚める。
「……、」
勇人はしばらく考えてホッとため息を漏らす。
「なんだ……夢オチかよ……」
安堵の笑みを浮かべてベットから降りようと
「おはよう」
……。
なにやら聞いた覚えのある無感情の挨拶に、勇人の身体は石化したように硬直してしまう。
慎重に、ゆっくりと、部屋中央に視線を移動させる。
「……」
再び深い安らかな眠りに就こうかと思った。
そこには、あるはずのちゃぶ台の姿がなく、代わりにツンツンの髪の毛に、勇人の制服を着た、背の高い少年が胡坐をかきながらクッキーをバリバリッ食べているのである。
「ん? どうした? 幽霊でも見たような顔して」
「……、」
(大丈夫……これは夢だっ、うん。絶対夢っ! そう俺は今ドリームを見ているんだっ。ほっぺたをつねればこんな冗談はすぐに覚める!)
自己暗示を掛けたところで、ほっぺたを思いっきりつねってみる。
「……」
痛い。痛かった。故に勇人は声も出ない。ショックのあまり。
「うぉぉぉぉおおぉおおおーーーーーーーっ!!! これは夢だっ。夢なんだよっ、勇人君! わかったら目を覚ませぇーーーっ!!」
クローゼットの扉やら床やらに、ゴツンゴツンッとココナッツの殻でも割るような勢いで頭をぶつけまくる。
勇人は昨日の出来事をすべて夢と思っている……というよりは、そう信じたかった。
守護霊と名乗る奴が現れ、悪霊を捕獲しないと死ぬと宣告され、断るとその守護霊という名の死神に殺されるという出来事を。
「神様ぁ〜。森羅勇人16歳は、死ぬにはまだまだ若いぃ」
床に座り込んで乙女のように嘆く。
「神ってどこの神だ? キリストか? ヒンドゥーか? それとも死神か? 個人的には、神よりも天使、またはギリシャの神に祈るのがお勧めだ」
裕は人生最大の悲劇に襲われている勇人に対して何の躊躇もなく意味不明な宗教の話を持ちかける。
(最悪だぁ……)
勇人はさらに落ち込みを増し、無駄に頭を床に叩きつける。
「あとな、昨日も言ったけど、そいつは霊魂と言って、幽霊の赤ん坊みたいなものだ」
床に叩きつけられている頭が、時空が止まったかのようにピタっと動きをやめる。
(……そいつ?)
嫌な予感がした勇人は、ゆっっっくりと立ち上がってみる。
「……?」
別に何かがいる、とかいうものでもなく、裕は無表情に勇人を見つめていた。
脅かしやがって、と安堵のため息を漏らすと、勇人は裕が自分ではなく、その頭上を見ていることに気がついた。
そーっと上を向くと、
謎の灰色の半透明物質が頭上をふわふわと飛び回っていた。
「……え? な、何なんですか? これは……」
既に人生のどん底を経験した勇人は、もうちょっとのことでは驚かない。
「霊魂」
「……」
勇人は昨日の最悪な出来事を思い出す。
裕に脅されて霊狩りに(強制)出発した勇人は、薄暗い所や森、言わば心霊スポットと呼ばれる場所に連れてこらされたのだが、そこで悪霊というものを探すのに相当の時間を費やした。
そしてやっとの思いで悪霊を10体も確保した――と思ったら、『それは悪霊じゃなくて、霊魂だぞ?』と、絶対霊狩りに出発してすぐに言うべきことを、その14時間30分後の午後9時に告げられたのであった。
裕曰く、この世界には霊とは言っても様々な種類がいるらしく、その中でも霊魂というのは、魂の子供みたいなもので、人間に害を与えるような霊体ではないという。
まぁ、時間は喰ったがひどい目に遭わなく良かったぁ、と帰ろうとしたときに、森で偶然にも本物の悪霊と遭遇してしまったのである。
慌ててカメラをその悪霊に向けたところ、どうにもカメラが機能してくれない。
裕に聞くと、『あ、……。そういえば、カメラが使えるのは10回までだったな』と平然な顔で言われ、逃げるはめになった、というわけなのである。
それを思い出して、改めて昨日の出来事は夢ではないということを確信し、若干落ち込みモードに入る。
一つため息をついて、
「で? こいつらなんで俺の周りをウロウロしてるわけ?」
「霊魂はマイナスエネルギーを好む」
なるほど、と勇人は内心納得する。
人生最大の落ち込みオーラを放つ今の勇人は、霊魂にとって居心地がいいというわけだ。
「ある霊感の強い漫画家が、これを見てあの落ち込み魂というのを描いたらしい」
「うそつけ!」
裕が言っているのはキャラクターが落ち込んだときなどに出てくる、青黒い縦線と汗マークのことを言っているらしい。
そこで勇人は少し疑問に思うことがある。
霊感が強い漫画家――ということは、これが見えるということはある程度の霊感がなければ見えないってことなのだろうか。
「そうだぞ」
「ッ!」 勇人は少し硬直して、「お、お前今、俺の心を読んだのか……?」
「読んだけど……、それがどうかしたかぁ?」
「どうかしたもなにも、超能力まで使えるんですか? 守護霊というのは……」
「ハヤトと俺は契約で結ばれた、言わば一心同体ってやつだ」
「だったら、俺もお前の心が読めるはずでは?」
「ハヤトにその力がなければ、それはできないんだ」
ズルイ。
裕は心が読めるくせに、勇人はそれができないなんて……。だが、裕も常に勇人の心が読めているというわけではないようだ。恐らく自分の好きなときだけ読めるようにできるんだろう。勇人としてもそちらの方が助かる。
「霊感は慣れれば使いこなせるようになる……って人間は無理か」
つまりこの先一生勇人は、読心術を身に着けることはできないというわけである。
そんなどうでもいいことはさて置き、
「っていうか、今何時だぁ?」
と、ポケットから携帯を取り出し、画面をみると、
11時ぴったり。
無論、今日は秋休みと呼ぶ日付ではない。
10月20日。
れっきとした『学校の日』である。
「うぅ……。もはや、遅刻っていうレベルじゃねぇ〜……」
さらに、勇人の通う学校は2学期制。つまり今日から新学期であり、始業式があり、さらに脳診断がある、という追い討ちを受ける。
制服に着替えよう――と思ったら、すでに制服の状態だったので、あれ? と思うと、瞬時に昨日のことが脳裏に浮かんできた。
勇人は昨日倒れたのだ。
ということはこの裕と昨日の少女が勇人を部屋まで運んでくれたのか? と疑問に思うが、今はそれどころではない。
鞄を持って、急いで玄関へと向かう。
「おまえ、絶対この部屋から……って、そのクッキーはどこから持ってきた?」
裕の周りには……1、2、3……、5つのクッキーの箱が散らかっていた。しかもすべて同じメーカー。勇人が見たことがないメーカー。
もちろん勇人に5箱もクッキーを買う経済力はないし、もらったというわけでもない。あの箱はこの家には存在しないはずだが、と勇人は『経済力』で何かに気づいたように、自分の制服のポケットを荒らし始めた。
「――ないっ。ないぞぉ……俺の財布が……」
財布、という単語を聞いて裕が何やら後ろポケットを探り始めた。
「これのことか?」
そこから出来てきたのは勇人の財布……。
「……なんでお前が持ってんの?」 勇人は少し考えて、「――まさか、そのクッキー……」
「この中に入っている紙を渡したらこれをくれたんだ」
札を『紙』と表現するということは、裕は恐らくお金の存在を知らない。つまり、誰かが教えたということになり、そいつがこの馬鹿を利用してお金を全額奪ったという可能性が予想される。
勇人は怒りを抑えて幼稚園児と接するように、
「それは誰から教えてもらったのかなぁ?」
「女の人だけど?」
やっぱりか! と内心で怒りを爆発させる。
(あの女、会ったら礼を言おうと思っていたが……、絶対殺してやるぅ!)
怒りの爆発が表に出てくるのを、学校に早くいかなければならない、という思考が抑える。
「おいっ! それをこっちに投げろっ」
裕が身長に合った大きい手で財布を投げる。
勇人の顔面目掛けて。
もちろんわざとである。
「おっとっ」
見事にギリギリでキャッチに成功。
「ヘッ、その程度の物をこの勇人様が
ぐほっ!
勇人が油断している隙に今度はクッキーの箱が顔面に命中。
「『それ』という曖昧な表現をするから悪い」
「うそつけ! わかってただろ! わざとだろ、絶対!」
裕は無表情でこっちを見ながらクッキーを鼠のように食い散らかす。
勇人の怒りは爆発寸前であったが、学校に行く、という脳の命令が再びそれを抑える。
「ったく。俺が帰ってくるまで、絶対にこの部屋から出るんじゃねーぞ!」
勇人は財布を後ろポケットにしまい、玄関の戸を開けて勢いよく出て行った。
ガリガリガリッ
「あっ……。あいつカメラを忘れていったな。――届けてやるか」
……。