XVII,守護霊殺し
戦闘に注意
街を走っていた。
勇人は少なくても短気なほうではない。
さらに言えば、勇人は別に怒ってなどはいない――と言えば嘘になるかもしれないが、少なくとも裕に対しての怒りではない。
今までに堪っていた不満などが裕の言葉を引き金に爆発しただけなのだ。
でも、それは怒りも含め、『不安』というものが大きく関わっている。
本当ならば、超能力や魔法、妖怪や悪霊なんかがない、『普通』の空間で生活をしてみたかった。家族も普通で学校も普通で、普通に学校を卒業して、普通の職業に就いて、普通に結婚して、普通に老いぼれて死ぬ。何の面白みのない生活をしてみたかった。
それだけ。
それだけだからこそ、この感情は重い。
この森羅に生まれた以上、ここから出ることはできない。
無論、それはこの島が世界を脅かすほどの強大な力を持っているからであり、そんなことが外に漏れてしまえば、世界が攻撃を仕掛けてくるか、又は利巧にも交渉して同盟を組むか。いずれにせよ、世界は滅びる。
この人口10万の森羅だからまだいいものの、人口60億という者全員が何らかの力に目覚めては、本当に『強い』=『絶対権力』という方程式ができかねない。
そのならないためにも、この森羅周辺には防壁が張ってある。
当然、普通の防壁ではない。
森羅の姿を隠すと同時に、全生命体の出入りを防ぐ最強の結界という名が相応しい最高の魔法防壁。
もちろん、勇人もそのことを知らないわけではない。
だけど、走りたかった。
このままこの島から出る勢いで真っ直ぐに、逃げたかった。
これ以上下手な方向に考えないように、神経を肉体集中させるようにして、全力で街を駆ける。
だけど、
裕の言うことを嘘だと思ってはいない。……いや、信じざる終えない。
勇人はあの時の裕の顔を思い出す。
あの辛い顔を。
会ったときから無表情でどことなくムカつく奴だったし、何を考えてるかわからないし、たった二日で勇人を不幸にしてくれたりしたけど、いざってときに頼りになる――ってわけでもないかもしれないけど……、ただ、裕は純粋でとにかくいい奴だ。それだけはわかる――という思考が頭の中を駆け巡る。これでは走っている意味も空しいが。
ただ――気がかりのは、なぜ霊狩りという危険を負わせたのかという点だった。
自分でその話を切り捨てたのにこう考えるのも変だとは思うが、守護霊という名のだから、できるだけ守護の対象を危険な場所に行かせるわけはない。だとすれば、絶対的命令を受けたか、それ以外の理由があるはずだ。
「……あれ?」
――と、そうこう考えているうちに人気のない森にまで足を進めていた。
逃げたかったのは確かだが、無意識のうちにここまで来るとは……、予想外。
あげく、辺りを見回しているうちに自分がどこから来たのかということまでわからなくなるなり、自分の馬鹿さに呆れる。
と、これはマジでやばいと感じたところで、辺りを改めて見渡すが……、
「――どこを見ても同じ景色……」
うぅ……と、勇人は絶句する。
今更家を突然飛び出したことに後悔するが遅い。
その時だった。
四方八方同じ景色のはずの森に、何やら『異物』が存在するのを感じた。
それはパッと見ただけでは気がつかない。
ただその一箇所を漆黒に塗りつぶすように佇むその姿は、人……というよりは影。
服とも言いがたいその黒い布が体を被い、同色のフードが頭を隠している。
だが、何より奇妙なのは、『何も感じない』ことである。
そこに人が居れば、当然『気配』というものを感じるものだが、この目の前にいる影は、まったくそれを感じさせない。
まるでそこにはいないかのように。
「ッ……」
瞬間、それは後ろを向いた。
死神。
そう思わせるような髑髏という名の顔。振り向くまで気がつかなかった右手の大鎌。全身を被い尽す黒いローブ。
まさしく絵にでも描いたような死神だった。
それを見た勇人に襲い掛かったのは、『恐怖』と『不安』。
しかし、それは死神に対しての感情ではない。
改めて知る、自分の霊感。本当に『死神』という『異物』が視覚――脳が捉えることができる力。それが自分に宿っているという恐怖と不安。
「……、お前――」
その死神は石像のように動かない。
それが逆に勇人を恐怖が徐々に呑み込んでいく。
「――森羅勇人。……ん〜、どこかで聞いた名だな」
自分の姿を見たというだけで、名前を当てられた感覚に襲われる。
その死神の声は口から、というよりは、その死神自体から聞こえてくる。裕が言ったように魂の種類の中にそういう声を出すという魂を使っているのかもしれない。
「――なんだ。『例の無の霊術師』か……」
「……ノー、せんす……?」
知らずのうちに声に出していたその言葉。
その死神の言葉は本当に『無情』だった。裕のはまだ無表情という感情が聞いて取れる。が、この死神の言葉からは本当になにも感じないほどに無情だった。
するとその死神は勇人が自分を見えることがわかったように、
「ん? なんだ、見えていたのか。――お前の守護霊から聞いてなかったのか?」
台詞を言い終えた約0、1秒後。死神は勇人の後ろに立っていた。
「『囮』ってことを」
その言葉からは『笑み』が感じて取れる。
人の不幸を喜ぶときのあの笑みが、勇人の頭に浮かび上がる。それと同時に勇人の体は凍りついた。
殺気。
その異様な空気だけで殺されそうなほどの濃密な殺気。最初に出会ったときの裕の殺気や亡霊の殺気などと比べ物にならないぐらいの圧が勇人にのしかかる。
だが、圧を掛けるのはその殺気だけではない。
『囮』という言葉が勇人を胸の奥を締め付ける。
「霊を引き寄せるその体質は、悪霊狩りにはもってこいだからな」
「……」
声が出ない。手が動かない。足が動かない。
その言葉一つ一つが勇人を串刺しにしていくようだ。
「守護霊は何をやってるんだろうな? お前に囮の役をやらせないなんてなぁ? ――いや」
死神はしばらく勇人を見透かすようにして、
「囮役にはしたようだな。……だが、出会った悪霊は1匹か……。偶然か? はたまた……、ガーディアンが命令に背いて悪霊を遠ざけた、か」
「ッ!」
霊の知識のない勇人でもわかった。
――裕は悪霊に勇人が呑まれないのを防ぐ守護霊として、さらに呑みこまれたときのための最終手段としての見張り役の他に、上司的な奴から自分を悪霊の『餌』として扱えという命令もあった。そして裕はそれを実行した、俺を守りながら。囮としてではなく、それ以前に勇人に悪霊を見せないように何らかの『守り』を働いていた。最後に悪霊を見せたのは上司に怪しまれないように。
「お前には我々にとって危険な存在だ。利用する価値はある。だが、そのリスクも高い。よって『オレら』の上は、」
その時、喉の辺りに冷たい空気流れ込んできた。
「お前を『殺す』ことを判断した」
大鎌が今か今かと勇人の喉を斬り裂くのを待っている、
その時だった。
『――おいっ』
突然後ろから言葉を浴びせられる。
その声は聞き覚えのある声――だったが、今までに聞いたことのないようなドスの利いた声だった。
「人の主に手ぇ出してんじゃねーぞっ」
裕は既に『怒』という感情のスイッチが入っていた。しかもそれはその上に『激』が入るほどのものだった。
「ふっ、随分と怒ってるなぁ……、守護霊」
「黙れ――」
死神っ――と言うと同時に、その黒く染められた背中に手を勢いよく当てようとした。が、
「魂の強制帰還ってやつか……?」
「ッ……」
そのときには既に、死神は最初に勇人が見つけた場所に立っていた。
「オレの仕事の邪魔をするな、ガーディアン」
「仕事だ? テメェらが独断したことだろっ? 亡霊を召喚したのもお前だなっ?」
「お前ら天人の判断が遅すぎるからいけねぇんだっ。こんな危険人物、斬るしかないだろ? それでも守護という『仕事』をするお前がオレは信じられないが、なっ!」
語尾と同時に勇人の目の前に瞬間移動して鎌を振り上げる。だが、瞬時にその間に割り入り、鎌に向けて魔法陣を発生させた――というわけではなく、ただ鎌を直でガードした。
「くっ……ッ」
「裕!」
声は出たが、一向に恐怖で体は言うことを利かない。
「この鎌の前では霊術は効かないということをよく覚えていたな……」
「ッ……」
「痛みは感じても、霊は不死身だ。だが、」
その瞬間、死神はその鎌を思いっきり振り払う。
その裕の腕を削るように……。
「あ゛あ゛ぁぁっ……ッ!」
それは勇人の白い制服、死神の漆黒のローブを赤く染めた。
その衝撃に声を失う。腰が落ち、その場に座り込む。さっきまで動かなかった身体はぶるぶると激しく震え始める。まさに戦慄というやつだった。
「――『魂を削ぎ取る』この死の大鎌の前では無意味だな」
裕のその右腕の肩から下は垂らっと生気を失い、動かなくなっていた。
だが裕はその場に倒れる素振りすら見せず、況してや痛みを堪えて立っていた。
勇人を守護するように。
「そこをどけっ、ガーディアン。オレは本当の守護霊殺しになるつもりはない」
しかし裕こう言った。息を乱しながら、
「……、俺は、ただっ……ハヤトを守護するだけだっ……」
この言葉で、
たったそれだけの言葉で、今までの勇人が感じていた恐怖や不安が吹き飛んだ。
自分の力から逃げるのではなく、それを受け止めて戦おうと思ったのである。
それは裕が守護霊としての役目を最後まで果たそうとしたのを見て思ったことだった。こんな目に遭っても、遭うと知っていてもそれと戦って自分の役目――勇人を守護するという役目を果たそうというその光景にまさしく心を打たれたのだ。
だが、
それは無残にも一瞬にして消え去ってしまう。
赤い軌跡が裕の胸の辺りから死神に向かって放物線を描くようにして進んでいく。
その先には大鎌。
魂を削ぎ取る大鎌の刃先に付いた赤い雫が地面に吸い込まれていった。
『魂を抜かれれば「死ぬ」のと一緒なんだぞ?』
あのときのどうでもいい会話が、覚えてもいなかった会話が、鮮明に勇人の頭の中を満たす。
あの言葉が頭から離れない。
裕は、
裕は死神によって魂を抜かれた。
それは、
裕の死を意味する。
それなのに、裕は一向に倒れて来ようとはしない。
今も尚、勇人を守るようにして立っている。
(もういいっ! ……お前は……、死んでも俺を苦しめる気かっ)
……。
『霊が死ぬ』なんて変な話だ。
でも勇人に耐えられなかった。
自分のせいで、『人』が死ぬなんて。
自分の弱さで、『人』が死ぬなんて。
その自分のせいで死んだのに、尚も自分を守ろうとするその後ろ姿が見ていられなかった。
その思いを理解したのか、裕はしばらくしてやっと勇人の元へ倒れてくる。
勇人は受け止めてゆっくり地面に降ろした。
冷たい。
青白い肌。
赤く染まった制服。
それを見ると、ますます自分を責めたくなって仕方がなかった。
と、
勇人の頭上に小さな灰色の魂が寄ってきた。
これがどこから現れたかはわからない。
そして、勇人の『中』へと入っていった。
瞬間、勇人の一切の感情、思考、意思が消え去っていった。




