XVI,見張り役は語る
――サラサラー
白い粉が白いティーカップの中に吸い込まれていく。
「……、」
この光景を見ていると、さっきまでの緊張感が徐々に薄れていくのを感じる。
これで何杯目だろうか、とただそのティーカップに注がれる白く輝く結晶をひたすら眺める。 当然ティーカップという代物なのだから、中には透明でお洒落な感じの赤茶の液体が注がれているはずである。
――確かに注がれていた。
しかしそれは、一見普通の紅茶に見えるようでそうではなく、一口でも飲んでしまうと、致死量に達してしまうほどの猛毒が入っていると言っても過言ではない。
その証として、その上品な色をした赤茶色に浮かぶ不自然な透明の紐が見える。よく、シュガーシロップをかけたときに現れる『あれ』だ。
だがこれはもうそんなレベルではない。
そのような紐があるのは水面だけで、カップの底はそれで満たされている。
これはもはや『紅茶』ではない。
『糖茶』だ。
さらに白い粉――粉砂糖を加えて、地球上で恐らく飲める者は蟻しかいないであろう糖茶を完成させていく。
既に、ここから見えるベランダからは月が顔を出していた。
そしてその100回はやったであろう作業を止め、カップに添えられた小さなスプーンでグルグルとそれをかき混ぜていく。
砂糖如きで飲み物の色は変色しないはずだが、その上品でお洒落、尚且つ透明の赤茶のそれは、人の顔から生気が失っていくようにその色素を失い、透明から『半』透明へとその密度を増す。
これは既に『お茶』という種類にも含まれない。
ただの『糖分』だ。
これを飲んで恐らく平常な奴はいないだろう。
一滴飲んだだけで角砂糖一個分の甘さが口の中に広まる。
無論、『一口』なんて甘い考えで飲むと即死である。
だが、そこらんへんにある『毒』よりも恐ろしい飲み物を口の中へ運ぼうと考える者がいる。
取ってを無視して、不器用にもその反対側の取っても何も付いていない場所をジュースを飲む勢いで掴み、唇へと運ぶ。
掴む左手と下唇がカップを支え、その『猛毒』を口の中へゆっくり流し込み、2口ほど飲んだところでホッとため息を漏らす。その表情は、『もうこんなに幸せなんだから、死んでもいいや』とでも語っていると思うほどに和らいでいた。
――――と、勇人が長い実況解説をしたところで、
「それで……、何から話してほしい?」
猛毒を飲んでも平常でいられる唯一の地球上生命体(?)こと、神守裕が無表情で問う。
「とりあえず順序よくいこう……。えっと〜……、今更だけどお前は誰だ?」
もちろん、この神守裕が守護霊と呼ばれる『ガーディアン』ぐらい知っている。ただ、詳しい情報を求めると同時に、その目的等を解明するための引き金として聞いてみる。
「神守裕。所属は神道。又は神道とも言う。基本的には日本に在しているけど、日本は多神教だから、英国とかに居る時もあるぞ。象徴は神獣。多少の霊術は扱えられるけど、やっぱり得意なのは、偽神化。……あ、わかると思うけど、職業は守護霊だ。契約主は言うまでまでもなく『お前』。目的は、悪霊による殺人的襲撃からお前に助言及び守護、補助するのが俺の役目だ」
何を言っているのかさっぱりわからない。
勇人が聞きたい情報はほぼ無に等しく、目的の部分は大幅に短縮された上に、難しい日本語に変換されていたため、今の話では名前と守護霊を改めて理解した程度。
とりあえず、これ以上追求しても何も出てきそうにないので、幼稚園に話すかのように、
「えっと〜……、素朴な疑問なんだが、なんでそんな難しい言葉を知っているのに、泥棒は知らないのかな?」
「そんなの簡単だ。俺が住んでる霊界にあるものは知ってる。が、ないものは知らないのは当然だろ? 俺から言わせてもらえば、ファントムは知ってるのに、ガーディアンを知らないのがおかしいと思うんだが……」
なるほどっ、と裕の説明に納得。
つまり霊界と呼ばれる場所には泥棒などいないということだ。
「はぁ〜……。なんだろう――疲れる」
魂が抜ける勢いでため息を吐きながらベットに後ろから倒れこむ。
「お前の考えてることはわかる。――どうして悪霊が俺を狙うか……だろ?」
勇人はため息を重ねて、
「わかってるだったら説明しろよ……」
裕の表情がやや険しくなる。――さっきのように。
「――それは俺も知らん」
「ッ!?」
表情のわりにはふざけたことを言う。
当然、
「――な、なんだよそれっ!? それをわかったうえで俺を守護してるんじゃないのかよ?」
勇人がツッコミを入れたのにも関わらず、裕はその表情を崩すどころか、その険しさを増す。
「どういうわけかここ最近、森羅に悪霊が大量に発生しているんだが、その悪霊がハヤトを欲しがっているらしい。それで――」
「はぁ? 俺を欲しがるってどういう状況?」
「詳しく言い直せば、『ハヤトの身体に憑依したい霊がたくさんいる』ってこと」
「なっ……。だ、だからどうして俺なんだ?」
「それは上が調査しているところだけど……、どうやらハヤトにはなんらかの特別な能力か、体質があるらしい」
「お、俺は今まで生きてきて、勝手に物が燃えたとか、突如瞬間移動ができるようになったとかいうファンタジー要素は体験したことないんだぞ!? しかも、それは今まで『レベル1』だったことが証明してるっ」
「だが、今はレベル3なんだろ?」
「ッ! ……」
勇人はそのことを裕に言った覚えもないし、霊界に存在しないものがわからないのなら、この森羅のシステムをわかるはずがない。だが、よく考えてみれば裕は勇人だけの心が読める。レベル3と知っているのはこのせいだろう、としばらく考えて、
「そ、そうだが……、それはお前のせいだろ? 編集長も言ってたけど、霊を見ると脳がそれに反応して覚醒するってっ……」
「じゃあ、最初から霊が見えなかったどうだ?」
勇人は瞬時に裕が言いたいことを理解した。
つまり、勇人が元々レベルが『1』なら、霊という存在を見る以前に、それを見ることはできないのである。脳はその時点で『幽霊』という存在を拒否している。つまり視覚がそれを捉えても、脳は霊を存在しないことになっている設定なので、その情報は自動で消去されてしまう。
「そ、それは……」勇人はしばらく考え、裕の言ったことを思い出した。「お前、言ってただろ。レベル1にもお前が見えるのは『実体』があるからだ――って」
裕は軽く笑って、
「確かにそうだ。だが、俺は最初に確認した。『お前の名前は森羅勇人か?』っと」
「そ、それがどうかしたか……?」
動揺が隠せない。
本当は気づいているくせに、その事実を受け止めたくないために気づかないふりをする。
その事実を知ったときのショックが大きくなるだけだというのに……。
「俺は守護霊だ。だけど、その契約主の顔も住所も知らない。当然、この森羅という場所の部屋部屋を探した。そしてくたびれて休んだ場所がお前の部屋のロフト。まぁ、偶然というやつだな。そして『お前から俺に話しをかけた。』この時俺はサブスタンスの霊術を使ってはいなかったぞ? 使っていて、もしそこがハヤトの家じゃなかったら厄介だからな」
結論、
『勇人レベル1にも関わらず「力」を持っていた』
無論、そんな例外は一例たりとも存在しない。
刀を持ったレベル1。魔法を使うレベル1。超能力を使うレベル1。
――そんな例外はない。
絶対に。
なぜならそれらすべてが『非日常』だからだ。
刀を持つ――普通では法律がそれを非日常にしているし、魔法は存在しない2次元の世界だと知っている。超能力も同じ。だが、それが『有り得る』と理解したとき、脳は刺激を受けて覚醒する。それらと関係ないレベル1が力を持つはずがない。例え脳があるきっかけで刺激を受けたとしても、その時点でレベルは上がり、最低でもレベル1ではない。
それ以前に、勇人のようにレベルが上がるなどということ自体が稀。
生まれたときからのレベルと死ぬまでのレベルは変わらないというのがほとんど。
例えば、凄く絵の上手い画家が絵を描いているのを見たとする。すると見ていた自分は絵が上手くなるだろうか。その絵自体に興味があれば別だが、何の興味もないことを眺めて、絵を描いてみたところでその人のように描けるわけではない。それはこの森羅でも一緒。
手から炎を出すところを見たところで、魔法陣を見たところで、刀で斬るのを見たところで、興味がなければただそういうことができるんだぁ……という情報が入るだけ。
つまり、どれだけ周りに超能力者や魔法使いや戦士が居ても、興味を持って、それに関する努力をしなければならない、ということである。
レベル1とはそういうことに興味がない人のことを言うのである。
「まぁ、レベル3なのは、俺を見たせいではある。だが、元々その力を持っていたのは事実だ」
勇人は唇を動かそうとはしない。
そんな事実、聞きたくなくても、自然と聴覚が裕の言葉言葉一つずつキャッチしていく。
瞬間、裕の表情は完全に無表情と呼べるものではなくなった。
悩んでいるか、ためらっているか、どちらにせよ悪い予感がする表情には変わりない。
「……。俺たち『守護霊』は……、普通はその主人から他の悪霊が憑依するのを防ぐために存在するんだが……、」裕は慎重に言葉を選んでいく。
「俺はそれを含めて、『お前の見張り役』でもあるんだ……」
理解はできない。
理解はできないが……、何か嫌なものが胸の辺りを突き刺してくる。
見張り役――という言葉に疑問はない。
ただ、この胸の違和感を取り除いて欲しかっただけだった。
だが裕はそれを悪化させるようにして話を続ける。
「世界が滅ぶ……とか言ったよな……。あれは、お前が万が一悪霊に憑依されたとき、ッ……その、だなっ……」
『俺が世界を壊す』
「ッ……」
知らずのうちにそう呟いていた。
勝手に思考を操られているような感覚。
胸の奥を何回も突き刺すようななんとも言えない痛み。
「俺が……、俺が世界を壊すの防ぐための見張り役……、なんだろ……」
問いかける、と言うにはあまりに不自然な口調。
だが裕は少し間を空けて、正直に頷く。
「ハヤトが……、悪霊に万が一呑まれたとき、俺が最終手段として止めるための見張りであり、そのための守護霊……」
裕だってこんなことを言いたくて言っているわけじゃない。
隠してもいずれわかることだし、これは守護霊に与えられた絶対命令。
どの道、この修羅場は通らなければならなかった。
仕方がなかったのだ。
そのとき、勇人のなかで何かが破裂するような音が鳴った。
今までの不満と怒りが口の方へと流れていく。
「お前……、馬鹿だろ? だったらなんで悪霊狩りなんてもんに行かなくちゃいけねーんだ!? あのふざけたカメラで悪霊を集めてどうするつもりなんだよ!? そんなリスクを犯してまでするものでもないはずだっ! …………もう、意味わかんねぇ…………」
思わず勇人は泣きそうになる。
ただでさえ、こんな森羅という場所に軟禁されているのに、普通の生活が送りたいだけなのに、神は勇人を見捨てた。
いや、見捨てた以前に、神は霊を使って自分を不幸のどん底に突き落とそうとしている――というマイナスな思考が自然と頭の中を駆け巡る。
「それなんだが……、
「黙れっもういいっ! どうせ俺はお前の今の話を信じちゃいない! いつもそんな無表情で俺を馬鹿にしやがってっ」勢いよく立ち上がって裕を指差した勇人は、この部屋を去る最後の言葉として、「――もう俺に付き纏うな」
もちろん勇人にはわかっていた。
裕にだって感情があることぐらい。




