X,その襲撃は見えない
結局、これからはちゃんと授業を受けてくださいね、と注意されただけで帰された。
「2時……かぁ」
携帯の画面に表示された時刻を確認してポケットにしまう。
勇人は東京と変わらぬビルが建ち並ぶ道を歩いていた。
ここ森羅の街は、東京やそこらの都会となんら変わりないほどの発展を遂げていた。魔法が存在するということも大きな理由であったが、何より、一般の人間と比べて脳の発達の値が違う。そのため研究者が数多く揃っており、特に情報科学においては世界1と言ってもいいほどだった。
なので、日本と変わらず携帯やパソコンも普通に存在するし、変わったところと言えば、対侵入者と防犯のために設置された『解析機』が一つの街に数万個ある程度である。
そんなキレイに整備された街を家に居候する守護霊の裕を考えながら歩いていた。
勇人の財布の金で、あのクッキーが何箱買えたかは知らないがそろそろ、いや、疾うの昔に食べ終わっただろう。ということは、今頃腹を鳴らして勇人の帰りを待っている、か、待ちきれず外に勇人を探しに行ったか。
(てか、財布の中身はいくら残ってるんだぁ?)
99円……。
「……おつり、かよっ……?」
財布の中にある50円玉1枚、10円玉4枚、1円玉9枚を見て絶句する。
クッキーをありったけ買ったあとに出てきた金の残り、と勇人は予想する。
「しかも、99円って。あと1円で何か買えるってのに」
泥棒のような目つきで地面をキョロキョロ見回す。
「――人生そうあまくないよなぁ……」
ため息を一つついて再び歩き出す。
あの守護霊さんは何のために自分の元へ現れたのだろうか。
悪霊を退治(?)するのを断ったら、世界が滅ぶっ、とかなんとか言っていたが……。
それ以前に、なぜ自分じゃないければならない、と勇人が考えたところで、頭上になんか違和感を感じた。
「なんか……いやな予感……」
顔を上に向けると、やはり、謎の灰色の半透明物質が浮遊していた。
「うぅ……、また霊魂ってやつか……」
こんなとこ、誰かに見られたら――なんて心配の必要はなかった。
通りすぎる人々(特に学生が多かった)は、その勇人の頭上に浮いている奇妙な物質を見ても動じない。恐らく見えていないんだと思った。が、
「アンタの頭に浮いてる変なの、何?」
不意に後ろから声を掛けてきたのは、昨日の変な少女だった。
『驚き』や『戸惑い』という感情はなく、ただ『怒り』という感情が込み上げてきた。
「――降霊術師ですかぁ?」
昨日のことを思い出し、勇人の怒りのパラメータは徐々に上がっていく。
「テメェー……人の金を盗んでおいてよくもまぁ、そんな態度ができるよなぁ……」
「はぁ? 昨日助けてやったてのに、いきなり逆切れですかぁ?」
なんのことかさっぱりわからない、とでも言うような態度にさらにパラメータは上昇する。
「見ろ!」財布を少女の目の前に差し出して、「お前のせいで、馬鹿守護霊が俺の金を全部使いやがったんだぞ!? お前の差し金だろ!」
するとその少女は何かを思い出したように、
「あぁ、あれね。アンタのダチが、落ちている財布を拾って、この紙はなんだぁ? とか聞くから、『金』と教えただけよ」
「いいや、違うな。だとしたら計算が合わない。俺の財布には2千円が入っていた。クッキー1箱大体300円と計算して、300×5=1500円! 消費税とかがついたとしても、残りは400円弱は残っているはずだ!」
「か、買ったクッキーの数は5個じゃなくて、6個だったのよ!」
勇人は人差し指を立てて横に振りながら、
「NON,NON、6個だとすれば、残高は消費税込みだとしても100円を上回ることになり、俺はこの帰り道に何かお菓子1個でも買うことができたのだよ?」
若干欧米混じりの勇人は、小学生レベルの計算は得意であった。
「よって、テメェーが何か320円以上の買い物をしたということになるだけどぉ!? そこんとこ、どう反論するのかなぁ!?」
「わ、わかったわよ! 確かに買いましたよっ、これ……」
そういって手提げバックを見せ付けてきた。
「……バック?」
「馬鹿ねっ! 300円でバックが買えるわけないでしょうがっ! これよ、これっ」
ひよこの、キーホルダー。
「はぁ〜、こんなもののために俺の金が回るなんて……」
「これでご満足?」
「俺はさ、お前が何に金を使ったとかどうでもいいんだよっ。俺が何にキレてるかって……、なんで金を知らない奴にその使い方を教える!!?? ってとこなんだけど……。金は人を汚すんだよ? それを知らない純粋な子になんで教えるの? 純粋な子は純粋に育ってほしいと思わないわけ?」
「はぁ? つーか、あんたは父親ですかぁ?」
勇人は相手がボケたのツッコミを入れよう――という気力がなくなってしまった。お金のショックも大きいが、何より昨日のことを思い出すだけで涙が出てくるほどの最悪の1日だったから。
なので勇人はひどくうな垂れて、
「はぁ〜、俺もあの父親に会ったら、人の家に勝手に現れたり、人の金を勝手に使ったりして、どういう教育をしたのか聞いてみたい……」
頭上にいる霊魂の数が増えたような気がする。
「も、もしかして、ホントに複雑なご家庭……だったりしたぁ?」
何を聞いてそう解釈したかわからないが少女の目が真剣な眼差しになっていることが、勇人にとっては逆に辛い。
「もういいぃ。テメェーには関係ないことだから……」
と、ここまで落ち込んで、やっと脳が回転し始めた。
なぜこの少女にもこの霊魂が見えるのかという疑問から脳裏に浮かぶ。
「ん!? お前、これが見えるのか?」
自分の頭を指差して訪ねる光景は、周りから見ればアホ見えてしまうほど変だった。
「さっきから、『お前』とか『テメェー』とか呼んじゃってくれてるけど、私は氷条歩って名前があんの! あんたは?」
「なんで金を取られたテメェーに名を名乗る必要があるんだよ……。っで、話を戻すけど、氷条さんはこれが見えるんですかぁ?」
生憎、勇人はこの氷条さんに付き合っている暇などない。居候している甘党野郎のめんどうを見なければならないのだ。ただ、この霊魂という奴がなぜ見えるのか、というささやかな疑問の答えを聞ければそれでいいのである。
「ったく。……まぁ、見えるけど? それがどうか
突然、氷条の唇が動くのをやめた。
その丸くなった目は、勇人ではなく、その向こう側を見ている。
「ん? どうかしたか?」
勇人がその目線の先を確認するために後ろをむくと、
左手に大斧を装備した黒い岩人形がこちらにゆっくり向かって来ていた。
岩人形とは言ったが、その大きさは体育館で召還された一般的なゴーレムとは大きさや形状も違う。大きさはさっきのゴーレムの約1,5倍の5m。形状は見た目黒い岩でできた巨体の人形で、右足首に鎖鉄球をつけ、頭から腰にかけて黒い布が被さっている。
勇人たちから見る限りでは、『実体の強化されたゴーレム』にしか見えないのだが……。
「あ、あんた呪われてるんじゃないの!? 昨日のことと言い、どうして変なのばっかりあんたに纏わりついてのよ!?」
「し、知るかよ! 俺が聞きたいくらいだっ……」
そう言いつつも二人の顔は恐怖一色に染め上げられていた。
だが次の瞬間、二人の恐怖心はより一層深まることになる。
「おい……、あんなどデカイ怪物がいるってのに、『誰も気づいてねぇ』……」
周りに人間はたくさんいる。しかもこの新学期初日の下校時間はだいたいの学校は同じはずで、家に帰ろうとする生徒で溢れているというのに、誰もあのゴーレムの存在に気づいていない。
「とりあえず逃げるぞ!」
「え? ちょ、ちょっと!」
そう言って無理やり氷条の手首を掴んで反対側に向かって走る。
「おいっ! お前はレベル何だ!?」
「はぁ!? こんなときに何言ってんの!?」
「いいから! 何レベルだ!?」
勇人は逃げながら真剣な表情で質問する。
「……レベル、3だけど……? それがどうかした?」
「じゃあ、この街にレベル3は何人いる!?」
「レベル3はレベル1に続いて、2番目に多いレベルだけど? 人口にしてだいたい、3万人ぐらいかな?」
なんらかの『力』を持っている者は、だいたいがレベル3となっているので、学校でもレベル3は2クラスから3クラスあるほどなのだ。
「だったら、この中にいる誰かがあいつの存在に気づいてもいいんじゃねぇの?」
勇人はあのゴーレムを見えない人がいることから、『悪霊』と判断した。
レベルが高ければ『強い』というわけではないが、レベルが高い=『五感が鋭い』ということは当てはまる。レベル3ともなれば、霊感、つまり『第六感』を持っている人がほとんど。
勇人が思うに、そんなにレベル3がいるんだったら、誰か1人くらい異変に気づいてもいいんじゃないのか、と言いたいのである。
「あんたはあれをお化け、とでも言いたいわけ!?」
「お化け? んなわけあるか! あの黒い布! 左手の大斧に、足首に付けられた枷!
どっからどうみても、『死神』のもんじゃねぇかよ! お化けなんて生ぬるいランクじゃねぇだろうがっ!」
その時、周りにいた人達が、不自然に勇人たちとゴーレムを結んだ直線から離れだす。なぜかここは通りたくないとでもいうように。
「な、何?!」
その瞬間、後ろから追ってくる死神ゴーレムが持っていた大斧を地面に思いっきり振り落とした。
そこから地割れが生じ、勇人たちを襲ってきた。だがやはり、その地割れも誰も気づいてはいなかった。そこを避けるように歩いているのに、誰一人としてゴーレムを見て驚く者も、戸惑う者もいない。
「うわぁっ!」
その衝撃に思わず転びそうになるが、うまく二人は地割れを避けることが出来た。
「もぉ怒った! あのクソゴーレム! 粉々にぶっ壊してやるっ!」
エリートお嬢様校、森羅女学院の生徒らしからぬ発言の後、手を天に突き上げて、
『氷塊!』
すると、ゴーレムの頭上に直径3mほどの氷塊が落ち、ゴーレムは宣言どおり粉々に砕けた、
はずだった。
「え!? 私の魔法が……効かない!」
砕けたのはその逆、氷塊のほうだった。
しかしながら、氷塊は魔法なので、見える人見えない人なんぞ関係ないため、突然氷の欠片が降ってきた周りの人は大騒ぎ。
「お、お前魔法使いだったのか!?」
「今はそれどころじゃないでしょ!」
能天気な勇人に一喝したあと、だったら! と呟いて右手をゴーレムに勢いよく向けると、
「これはっ!!」
そう叫んだ氷条の手から放たれたのは氷柱。
無数の氷柱がゴーレムを襲った。が、またしてもその氷はガラスのごとく粉々に砕け散ってしまった。
「か、硬い……」
岩と氷、どっちが硬いか、という問題の答えは、密度にもよるとは思うが、たぶん『岩』だろう。だが、岩のほうが硬くても、氷で何度も叩けば、傷が付くか、多少欠けるといった状態になってもいいはずなのに、この岩は『硬い』というレベルではなかった。ダイヤモンドで叩いても傷一つ付きそうにない、『無敵』という言葉がふさわしいほどの次元。魔法でも壊せそうにはなかった。
当然、それぐらいの頑丈さを誇るこの怪物を、この何の力も持たないレベル3の勇人が倒せるわけもなかった。
「おいおいっ! どうするだよ!? このままじゃっ、殺られちまう!!」
「ちょっと黙っててっ!! どうせ何も出来ないんでしょっ!」
そう言われるとさすがの勇人の言い返すことはできなかった。何もできないのは事実。だけど、このままでは殺されてしまうという恐怖が勇人を焦らせた。
「じゃあこれならっ!」
今度は空から雨……ではなく氷の針。
無限というほどの氷の針がゴーレムに突き刺さる。
ゴォォオオオオオッ!!!
ゴーレムの咆哮と共にその針は岩の肉体から弾け跳んだ。
さらにそのゴーレムは今までの攻撃の影響をまったく受けずに、ズカズカと勇人たちとの距離を縮める。
「おい、早く逃げな……って、お前大丈夫か!?」
氷条のスタミナは既に限界だった。
息を切らして、ひざに手を置きながら、
「はぁ……はぁ……。きょ、今日が、せめて曇りだったら良かったんだけどっ……、こんな快晴で、気温28度ともなれば、生憎、私の体力はここまでねっ……」
魔法知識のない勇人には、天候と魔法の関係性がわからなかった。
この森羅は東京と沖縄と沖ノ鳥島を結んで出来る三角形の中心。つまり、雪が降るどころか、この10月でも気温30度を超える日もある熱帯の島なのである。
つまりは、氷を司る魔法使いにとっては、今の自然環境は不利な状況にあるということだ。
「はぁ? 何訳のわかんねぇことをっ……。さっさと逃げるぞ!」
「はぁ……。む、無理に……決まってるでしょっ……」
ここまで来て本当に氷条に体力がないことを承知した。
かと言って、勇人1人逃げるわけにも行かない。
これの原因が、何か自分のような気がして。氷条を巻き込んでしまったような気がして。
勇人は死ぬ覚悟を決めた。
「ゴォォオオォォォオオオッ!!!」
ゴーレムはいつの間にか勇人たちとの間を3mまで狭めていた。
無論、あのリーチの長い腕と、どデカイ大斧で、この距離なら勇人たちを仕留めることは容易いことだった。
「ッ……!!」
勇人の予想通り、ゴーレムはそのデカイ大斧を振り上げた。
あとほんの数秒で自分が死ぬということを想像すると身体が凍りついたように動かなくなった。
こんなときに限って、あいつはどうして現れないんだっ。と、勇人が家にいるはずの裕を思い出しながらも、ゴーレムは容赦なく、その大斧を振り降ろ
ボォゥッ!!
それは火の玉。
と、思った勇人であったが、実際は手の燃えた人間がゴーレムにパンチを浴びせたのだった。そのおかげで勇人たちは難を逃れた。
「お望みどおり、来てやったぞっ」
その無感情の声に勇人は思わず自分の耳を疑う。
その声主は家で腹を空かして待っているはずの裕だった。




