天理の不通
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あなた、占いってどれくらい信じる人? 私、昔はよく信じていたんだけど、前にいついつ、どこでこんな目に遭うって具体的に占ってくれたものが外れてからは、少し懐疑的になっているわ。仮にうまくはまったとしても、だいたいがプラシーボ効果だろうって認識。
昔から人って、本来は目に見えないものをどうにか見ることができないかと、手を打ってきたわよね。占いもその手段のひとつ。本来だったら知り得ない未来のことや、心の内をのぞかんとして開発され、今に至るまで生き残り続けている。使うものも様々で、くじやカード、天体に人柱まで、現代ではおよそ考えられない領域のものまで扱われたらしいわ。
これらは特に、戦の前などで重視された。勝つか負けるかで天地の差が生まれる重大事。結果を前もって知ることで、ちょっとでも良い流れを自分に呼び込もうとするのは、自然なこと。中には恐ろしい結果が、もたらされてしまった例もあるみたいよ。
私の地元に伝わる、ある戦を巡る話もそのひとつなのだけど、興味はないかしら?
戦国時代のこと。とある領主が海を挟んだ味方の城を救援するため、軍備を整えていたわ。
敵の数ははるかに多く、正面からぶつかってはこちらがすりつぶされる。仕掛けるとすれば奇襲。相手が思いもよらない時に、攻め寄せるよりない。
折しも、数日前からうろこ雲が見え、いつも昼間は海から陸へ向かって吹くはずの風が、今は海全体を横切るように波を立てていた。このあたりで見られる、荒天の前触れだったわ。事実、夜になってから雨と風が、にわかに勢いを増してきたの。
「かつて源義経公は、嵐に乗じて平家の屋島へ奇襲をかけたという。我らもそれにならうのだ」
そう指示を出す領主だったけれども、内心では作戦に対する不安がないわけじゃなかった。配下に準備を進めさせる傍らで、この度の戦いの結果を占わせることにしたのよ。
領主の家では、占いにはもっぱら動物の骨を用いていたわ。獣の骨を火にくべて、その焼かれる様から内容を占う方法。だけど、ここで使う骨は新鮮さを重視し、常に屋敷の端で飼われている牡鹿を選び、その場で命を絶った上で肉をはいだ肩甲骨を扱う、ということをしていたらしいの。
これは骨を選ぶ以外にも、鹿の末期の苦しみようもまた、占いの一部として役に立つと見られていたから。その日もまた若い牡鹿が選ばれ、その叫びは雨と風にかき消され、遠くへは届かなかったみたいなの。
けれど、その日の鹿は妙だった。肩の骨を肉ごとえぐられた後は、喉や心臓を鋭利な刃で一突きし、介錯をするのが作法になっている。ところが今回の鹿は喉を裂かれても、心臓を刺されても、もだえ苦しみはするものの、絶命には至らない。
ならばと場所を移し、更に念入りに手を入れたものの、鹿は息の根を止めることがなかったらしいの。
その現場を領主は話に聞くだけで、直接は見なかった。ややあって、易者の長が代表して領主へ告げたわ。
「今、天の理がお休み遊ばされています。つきましては、今回に限り、諸神の加護を受けられることはかないますまい。なにとぞ、今回の出撃は見合わせてくださいますよう……」
「たわけたことを!」
領主は易者の言葉を一喝する。襲われている城はまだ落とされたという報こそ届いていないものの、一刻も早い援兵が必須の状況。どのように危うかろうと、兵を出さざるを得ないと、領主は覚悟していたわ。
――ここは偽りであったとしても、吉兆の旨を告げるところであろう。まじないを重んじるとはいえ、何とも頭の固い連中よ。
自分の不安から呼び寄せたことを棚に上げ、領主は易者たちを下がらせる。やがて軍備が整った旨を聞くと、水軍の基地も兼ねているこの城から、風雨の中へ漕ぎ出したのよ。
先頭を行く領主の船のみ、目印とするためのかがり火を焚いて、夜の海を彼らはひた走った。城へ寄せているであろう敵の軍に悟られないよう、自分たちのみが把握している、城の裏手へ上陸。
相手に気取られないように船を引き上げさせ、自分たちが合図をするまで再びここへ近寄らないように指示を出す領主。兵たちは遠ざかる船を見て、敵を打ち破るより他に退く道がないことを悟り、武者震いしたわ。
本当のところ、この退いた船たちはそのまま沖合に待機し、いざとなれば敵船を迎え撃ち、焼き払う算段となっていたけれど、それらは武将たちしか知らないこと。士気を高く保つためにも、兵卒たちには背水の陣だと思い込ませておいた方が、都合がいい。
夜の間に山道を進み、各所の配置を済ませた領主の軍。雨が勢いを弱めたことで、ぽつぽつと敵陣内に明かりが灯り始め、おおよその布陣が見て取れる。明かりの数がやけに多いことからも、すでに戦勝気分で浮ついているだろうことが見て取れたわ。
暗闇では同士討ちの危険がある。領主たちはじっと息を潜めながら、夜が明けるのを待ちわびた。
明け方。作戦は実行に移されたわ。ほぼ城を包囲していた敵主力を避け、領主の軍は敵本陣を背後と側面から、ほぼ十字砲火をかける形で攻め寄せたの。山から駆け下り、勢いのある軍の攻撃を、本陣の兵たちは受け止めることができず、大混乱となる。
その騒ぎの最中、敵陣の幕に火をかける領主の兵たち。これこそが合図であり、沖合に待機していた領主の船たちが、残っている敵軍の船へと猛然と攻撃をかけたわ。
戦意あふれる領主軍に対し、敵の船は味方の帰還を待ちかねて、厭戦の空気が漂っている。対応が遅れたわずかな間で、次々に火矢を射かけられ、船のところどころが燃え出してしまう。こちらも混乱は免れない。
領主は戦いを進めながら、ほくそ笑んでいたわ。これで逃げ出した奴らは、その先に自分たちが帰りの足である船の危機を知るはず。全ては燃やすなと指示を出していたから、残った船を巡って味方同士で相争い、収拾がつかなくなっていくに違いない。
統制が失われれば、いかな大軍とて張り子の虎。そこを徹底的に追い討てばいい。領主はそう考えていたの。
ところが戦闘開始から二刻(約四時間)が経った時、想定していたよりも自軍の進軍が滞っているのを、領主は察したわ。逃げる敵勢とはすでにだいぶ距離が空いていて、追撃と呼ぶにはあまりにお粗末。
――ここで一挙に討滅しておかねば、後が面倒だというに。
かすかな苛立ちを感じ出したところで、馬に乗って戦場を見てきた近侍のひとりが陣へ帰ってくるや、青い顔をしながら告げる。「今、敵も味方も、死なない状態にある」と。
言葉より見せた方が早いとばかりに、近侍は馬に提げた敵兵の首を手に持ち、領主たちの前へ。首の切り口からは未だに血が止まることなく、真下の草たちを濡らし続けている。
近侍が軽く首の頬を叩くと、閉じていたまぶたがかっと開いた。時折、まばたきをしながら、その口からは苦悶のうめきと、激痛と助けを訴える声が、延々と垂れ流される。思い出したように、両目を閉じながらの絶叫が混じるのは、断続的な痛みが走るためか。
およそ生きている者ができる行いではない。すでに周囲にいた何人かが目を背け、えずき始める。領主も青ざめているところに、近侍は苦々しげに告げる。
「同じことが敵味方を問わずに、起こっております。もはや双方、互いの死せざる者たちに正気を奪われ、戦を続けられる状態ではございませぬ」
それから更に一刻の間、すでに自軍しかいなくなってしまった先ほどまでの戦場を見やる領主。
首が離れていること以外に、四肢の欠損、胴体の切断、頭部への矢や弾の貫通など、致命傷を負っている者はあっても、絶命している者はひとりも見かけない。彼らはいずれも痛みと、失った箇所が元に戻ることを望む訴えを口にし続け、止むことはない。
何が起こっているのかと鳥肌を立てていく領主に、また新たな報せが。海の色にもまた異変が見られるというの。領主は海岸へ向けて馬を走らせて、またも惨状を見ることになったわ。
焼け残った船に乗るのは、全身を真っ黒く焦がし、あるいは栗のいがのように、全身へ矢を生やしながら、動き続けている者たち。もはやまともに舵をとる力もなく、領主が見ている間にも、その場へ倒れ込むか、海へと飛び込んでいくかのいずれか。
飛び込んだ箇所からは、あぶくが途切れない。ことによると、あの首を切っても生き永らえていた者と同じ。彼らはこの海の下で窒息の憂き目に遭いながら、溺れ死ぬことさえ許されていないのではないかと感じてしまう。
そして海そのものも異状。残った船を浮かばせる沿岸部が、軒並みコケを張り巡らせたような緑色に変わっていたの。仮に海の水へ大量に血が混じったとしても、このような色合いを成すとは思えない。
「天の理がお休み遊ばされている」。易者の言葉を、領主は思い出していたわ。
海が青くあり、しかるべきものを喪えば、命を落とす……その理が、この場に置いては通じていないのだと。
緑色の海をしばし見つめていた領主だけど、やがて逃げ散った敵勢たちの追跡を配下へ命じる。いずれこの「理」が元へ戻った時、即座に対応できるようにするためだった。
それから数日。損ないながらも痛みにあえぎ続けていた兵たちは、やっと安息の時を迎えたわ。ちょうど海の色が戻り出したのを追いかけるように、一人また一人と、覚めない眠りへ落ちていく。
領主が追うことを命じていた敵勢は、ついに見つからずに終わったわ。ただ、島の一角にはおびただしい量の血痕と、首を無くした身体がいくつも折り重なっている場所が見つかったの。
いくつかの足跡や這いずった跡は、海へと続いている。もしや互いに刺し違えながらも死にきれず、その場でもだえ続けた者。力を振り絞って入水する者に分かれたのではないかと、判断されたとのことよ。
戦後処理を終え帰還した領主たちは、その後、あの島で打ち漏らした将たちの消息を知ることは、生涯なかったらしいのよ。