死神と銀木犀
みんなは死神の存在を信じるだろうか。
僕は信じている。なぜなら実際に会ったからだ。
現実ではなく夢の中だったけれど。とても短い夢だったから本当に彼もしくは彼女が死神かを断定することは出来ない。
それでも僕は社会人になった今でもその存在を信じ続けている。
あれは僕が高校1年生になって2ヶ月くらいだった頃だった。
朝、目を覚ますと体がだるい。それと、首から上が暑くて、肩から下は寒気がした。とても起きられる状態にはなく、そのまま布団を肩までかぶって寝た。しばらくして、
「奏、大丈夫?」
と言って母が起こしに来た。
「だるい…。」
やっとの事で言えた一言だった。何しろ暑いのと寒いのとで体がだるく、しかも全身がどこかにぶつけたように痛い。
母は体温を測っている間に水筒にお茶と氷を入れてきてくれて、僕は夜の間にカラカラに乾いた喉を潤すことが出来た。
「三十八度六分ね。今日はもう学校を休みなさい。」
そう言って母は部屋を出ていった。母が学校へ休みの連絡をしている時、僕はとても短い夢を見た。いや、「幻」とか「幻覚」と言った方が正しいのかもしれない。
その夢の中で僕は暗闇の中にいた。上を見上げるとそこには雲ひとつない満天の星空が広がっていた。銀砂や宝石のかけらを散りばめたようにただただ美しかった。
すると、どこからともなくボートがやってきた。僕はそれを上を見上げた状態のまま見ていた。つまり、ボートは夜空に浮かんでいるのだった。ボートを漕ぐオールはなく、舵もなかった。
ただ前の方に黒いマントを頭から被った人が立っていて、金色の光を放つ宝石を埋め込んだ杖を持っていた。
その人の他に何人か乗っていたが、はっきりとは覚えていない。後から思い出すと、その人の見た目は自分のイメージの死神と似ていた。しかし、自分のイメージと違ったのは、その人から感じられるものは「死」という冷たいオーラではなく、そっと優しく包み込むような、そんなあたたかさだった。でも、まだこの時僕はこの人がどういった人なのか、どういう存在なのかわからなかった。
その人は何も言わず、そっと僕に向かって空いている手を差し伸べてきた。その時、なんとなく銀木犀のあの小さな白い花の香りがしたように感じた。
暗闇だったせいもあるが、フードを深く被っていたので、その人の表情は見ることは出来なかったが、小さな花が咲いた時のようにふっと、優しく微笑んでいるように見えた。
それを感じて僕は、
「ああ、きっとこの人は今まで自分が感じてきたこと、考えてきたこと、悲しみ、苦しみも含め、全てを理解しているんだ。」
そんなことがあるわけないと心の隅で感じながらも、そう思った。
差し伸べられた手を取ろうとした時、僕の心の中に今まで思い浮かんでこなかった単語がすっと姿を現した。
それは、
「死神」
この単語が思い浮かんだ途端、僕ははっと目を覚ました。
自分が見ていたのは自分の部屋の天井で、カーテンの隙間からはまだ日の昇る前の朝の光が差し込んでいた。
風邪が治まってから数日後、僕はこの夢のことについて考えていた。
「本当にあの人は死神なのか。」
「もしかすると夢の世界へと導くいわゆる案内人のような人だったのではないか。」
「その人が死神だったとすれば、あの手を取っていたら今頃自分はどうなっていたのだろう。」
など沢山の疑問がわいてきた。
最後に思い浮かんだのは、
「あの人に何か一言言ってから覚めるべきだったなあ。」
ということだった。僕をおかしな人だと思うかもしれない。
しかし、僕はあの優しさに何も言わずに戻ってきてしまったことにすごく後悔をしている。たとえその人に悪意があってもなくても、一言断りを入れるべきだったと思う。
もし今後、またあの人に会えたら、この時のことについて謝りたいと願っている。