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第18話 もしもベーシストの夢が叶ったら

 一年前――新聞部の事件を解いた、あの日の帰り道――貴志くんは建設中の建物から落ちてきた鉄柱の下敷きになり、この世を去った。


 当時の私は部屋で一人、しんしんと泣いた。

 もっとたくさん教えてほしかった。音楽やバンドのこと。ライブのパフォーマンスとか。君のことも、全部。

 一週間、私は自室に引きこもり、文化祭当日も家から出なかった。外に出る気には、とてもじゃないけどなれなくて。

 両親も、あの美由でさえも、私に何も言わなかった。肉親でも声をかけることさえできないほど、私はボロボロだった。触れたら壊れてしまう、灰でできた人形みたいに。


「なんで、こんなことに……!」


 自室のベッドを力任せに殴る。ふかふかのベッドは容易く沈んだ。まるで手応えがない。また殴る。何度殴っても、心の痛みはちっとも消えない。この痛みは一生消えない傷なんだってわかっているけど、悔しくて、悲しくて、何度も殴った。


「……どうして、いなくなっちゃうのよ」


 忘れたとは言わせない。

 文化祭でボーカルやってくれって言ったじゃない。一緒にステージに立とうって、笑顔でそう言ったじゃない。

 私たち、まだライブしてない。熱に浮かされた観客の歓声も、割れるような拍手の爆音も、まだ見ぬ最高の演奏も、何一つ、体験していない。

 それなのに、どうして私たちの前から消えてしまうのよ。私に歌う決心だけさせておいて、本番前に遠く行かないで。貴志くんの嘘つき。ばか。大嫌い。


 貴志くん。私ね、ずっと歌いたかった。自分の情熱を賭して、全てを歌に捧げたかった。べつに名曲を作って歌いたいわけじゃない。ありふれた恋愛ソングも、街でよく聞く流行歌も、絶対に歌いたくない。


 一瞬の光、みたいな。そういう歌を歌いたいの。


 誰かの心に残らなくてもいい。誰かに称賛されなくてもいい。ただ、ライブ会場にいる人が、そのときだけは嫌なことも全部忘れられるような。私の歌を聴いているその五分間だけは、心が熱くなるような。楽しい時間を過ごしてもらえるような。そんな歌を歌いたい。


 でも、もう歌えない。私が歌うには、君のベースが必要だったから。

 翼のない鳥は飛べないように、私はもう、君なしではステージに立てない。それはきっと、大輔くんや静香ちゃんも同じ気持ちだと思うんだ。

 私たち軽音楽部は、初めてセッションしたあの日のように、煌めく音を出すことはできないんだ。もう二度と、四人はそろわないから……!


「貴志くん……帰ってきてよ……」


 瞬かない星に願いを込めて、今を呪い、涙を流して一日を終える……それが当時の私の日課だった。




 文化祭の日まで、私は家から一歩も出なかった。

 静香ちゃんと大輔くん、それから里中さんと飯田くん、新聞部のみんなも来てくれたみたいだけど、お母さんと美由に頼んで、みんなには帰ってもらった。泣きすぎて腫れた目を見られたくないというのもあったけど、誰かと会って話をする気力がなかった。


 文化祭当日も、私は学校を休んだ。君のいない文化祭なんて、意味ないから。

 生きた屍のごとく、涙で濡れたベッドの上で、ただ呼吸だけをしていた。


 そのときだった。


「おいこらぁ! 何してんだよ! 今日は文化祭だろうが! とっとと制服着て学校行けよ!」


 突然、男の子の怒鳴り声が聞こえた。

 声の聞こえたほうを見ると、貴志くんが仁王立ちをして私を見下ろしているではないか。

 とうとう私の頭がイカれたんだと思った。幻覚が見えるとは重症だ。私の脳も心も壊れたらしい。

 何も言わずにいると、貴志くんは、


「どうして黙ってんだよ……俺が勝手に部屋に入ったことを怒っているとか? あ、というか、俺がいたら着替えられないか。気が利かなくて悪かったな」


 急に大人しくなり、頭を下げて律儀に謝った。いや問題はそこじゃない。どうでもいいのよ、そんなこと。


 幻覚……だよね?

 そうじゃなかったら、死んだはずの貴志くんが、何故ここにいるの?


「……君は現実を受け入れられない私が作りだした妄想? イマジナリーフレンドとかいうヤツかしら?」


 おそるおそる尋ねると、貴志くんは首を傾げた。


「いまじな……? 何それ洋画のタイトル? ごめん、観てないわ」

「このタイミングでそんなこと聞くわけないでしょ……質問を変えるわ。君は何者?」

「うん……なんか俺、幽霊になっちゃったみたいなんだよな」


 ……はい?

 幽霊? 言われてみると、肌に生前の艶はないし、土気色で死人っぽいけど……。


「なぁ綾。俺、どうすれば成仏できるんだ?」

「し、知らないわよ……いきなり現れて何言ってるの! 貴志くんのばか! 私がどれだけ悲しい思いをしたと――」

「おい、見ろよ綾! 俺、幽霊だから壁すり抜けられるぞ! 何これ超楽しい!」

「遊んでいる場合じゃないわよねぇ!? はぁ……もう、ちゃんと話聞いてよ……」


 体の左半分を壁にすり抜けさせて遊ぶ貴志くん。幽霊になっても彼らしくて、呆れて何も言えなくなる。


 いつの間にか涙は枯れていた。

 私と貴志くんとの再会は思ったより感動的ではなく、普段どおりだった。




 幽霊となった貴志くんの非常識な体質は、物質の透過以外にもいくつかあった。

 貴志くんは私にしか見えないし、彼の声は私にしか届かない。誰も彼に触れることもできないし、彼もまた、物に触れることはできなかった。


 この面倒な幽霊体質故に、大輔くんや静香ちゃんに話しても信じてもらえなかった。だって、二人には貴志くんが見えないし、声も届かないのだから。

 そもそも、いきなり「貴志くんの幽霊がいる」とか言われたら、幻覚が見えるほど精神的に病んでいるのかと心配されるに決まっている。実際、私の話を聞いた二人は反応に困っていた。


 どうしたものかと考えていると、貴志くんは彼しか知らない二人の秘密を急に話し始めた。それをそのまま二人に伝え、「貴志くんが今教えてくれたわ」と説明した。二人は赤面しつつ、ようやく信じてくれた。


 今の貴志くんはどういう存在なのか?

 そして、私たちは彼に何をしてあげるべきなのか?

 ひとまずその二点を明確にしようと思い、私たち軽音楽部は図書館で霊について調べてみた。


 結論としては、都合のいい浮遊霊ということで落ち着いた。

 浮遊霊とは、端的に言えば、自分が死んでいることを自覚できず、成仏せずにこの世に残っている幽霊のこと。

 浮遊霊は自分が死んでいることを自覚していないけど、貴志くんは自覚している。それ以外の特徴は浮遊霊と同じだった。

 浮遊霊が成仏できない理由はいくつかある。そのうちの一つに、現世に執着心があることが挙げられる。

 たぶん、貴志くんは文化祭ライブがやりたくてこの世に残っているのだ。去年、彼が死んで不参加になった文化祭の日から、今までずっと。


 この一年間、貴志くんは私にしか見えないため、私のそばをうろちょろしていた。物に触れられないから、ベースは弾けない。でも、歌は歌えるからと言って、練習には毎回参加していたっけ。ただし、一年間練習しても、彼の音痴は改善されなかった。ベースの才能はあっても、歌の才能はゼロ……貴志くんは、幽霊になっても貴志くんだった。


 演奏だけじゃない。貴志くんは毎日のように、私の部屋に遊びに来た。幽霊とはいえ、男の子と半同棲状態のような感じだから、今でも少し恥ずかしい。まぁ相手は幽霊なので、年頃の男女が同じ屋根の下にいても何も起きなかったけど。


 貴志くんは、律儀に学校にも通った。私のすぐそばで宙に浮き、授業を受けるのが日課である。

 時には学校で起きた事件を、得意の推理で解決することもあった。もちろん、彼の推理を代弁する役は私。貴志くん、私としか話せないから。

 毎回推理の手伝いをするうちに、私も推理できるようになっていたのには驚いた。私、探偵の才能があったみたい。

 最近だと、裕子のコントラバスが壊された事件。貴志くんにヒントこそもらったけど、ほとんど私が自力で解いたようなものだ。あのときも、幽霊である貴志くんはみんなにちょっかいを出していたけど、誰にも相手されなかったっけ。今思えば、あれはちょっと可哀そうだったかもしれない。少しかまってあげればよかったかも。


 幽霊の君とたくさんの思い出を経て、今日に至る。文化祭はもう目前。二日後だ。貴志くんの奏でる音は私にしか聞こえないけど、彼も同じようにステージに立つ。自分のやり残したことに決着をつけるために。


 そうしてやりたいこと――つまり、夢を叶えた貴志くんは。


 ライブ後、この世から消えてしまうのだろう。

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