異常の定義
今回はごちゃごちゃ過ぎて更に分かり辛いかも知れません。
あまり頭の回転が良くないのが、あまりにも悔やまれる。
はいどうも宇佐見レーです。
大した事は書き綴っていない、思った事だけを書いてるこのシリーズですが、何故か閲覧数は千を超えていまして、ユニークですとその半数くらいなのですが、ありがたい話だと心から感謝しています。
流石に許可を取らずにお名前を出すのはどうかと思いますので、いつもいつもツイッターの方で宣伝して下さってるあるお方へ、ありがとうございます。
これを読んでいるかは分かりませんが、お互い作家になれますよう頑張りましょう。
ご本人様から許可が取れれば作品の概要などを説明した文章をここに追加しようかなと思っております。
それと、まだ本題とは関係の無いお話なのですが、心から嬉しい事が一つ……ある動画サイトにて動画投稿しておりました方から、この拙い文章を読んで下さっているという反応がありました。
作曲なんかもされてる方でして、今日これを更新するきっかけにもなりました。
ありがとうございます。
さて、これ以上は長いと読んで頂けないかもしれませんので、そろそろ本題と行きましょう。
異常の定義。
貴方は何を以て異常としますか?
自分が分からないもの、自分とは違うもの、常識が外れたもの。
実は昨日更新した内容にも異常の定義という言葉を使いました。
少し詰め込み過ぎたかも知れませんが、今日は改めて私自身の異常の定義について話していきます。
人間は、到底理解のできない事柄に対し、拒否反応を示しました。
現代に限ってはその科学技術の飛躍的な進歩によって、理解し難いものなど少なくなりましたが。
暗闇を恐れるからこそ、人は異形の化物を創造し目に見えないものを異常と定義します。
いえ、暗闇だけではありません。
世の中に存在する「神様」という存在自体それに近いものがあると思っています。
信仰心を持っている方は否定するかも知れませんが、日本における「八百万の神々」はまさにそれでしょう。
様々なものに神という異常の定義を付け加え、信仰を行う。
信仰自体、古くから人の心の拠り所でもありますので、当たり前な話ですが。
専門家ではありませんので仮定として、様々な自然環境に神という定義を括り付ける。その根本は恐れから、恐怖から。
まあ今書いて思いましたのは、八百万というのはその副産物なのでは、と。
到底理解のできない事に枠を作り、それを信仰にすることによって自分たちの安寧が守られる――――そうなれば自然だけでなく、身近なものにも信仰心を持てば更に自分達は幸せになれるんじゃないか、という感じです。
こんな事を思って八百万の神々は作られたような気がします……まあ専門家ではないので聞き流す程度に。
では話を本筋に戻しまして。
結局、異常の定義というのは最初に言いました通り、自身とは何かが違えばそれは「異常」になりうる訳です。
信仰やらなんやら少し話がズレましたが、貴方は貴方と全く同じ容姿、性格の人間が出てきたら、それは正常と判断できますか?
いえ、恐らくできないかと思います。
我々の根本である常識は「自分は自分だけ、一人しかいない」と刻み込まれています。
そこでもう一人自分が出てくれば、その常識に矛盾が生じる訳です。
矛盾が生じればそれは異常になる。
……やはり最初に書きました通り、人間は自分の理解の範疇を超えたものがあると、それを半自動的に異常とします。
「ありえない」「意味が分からない」「理解ができない」
結論は「他」に異常の定義などありません。
自分以外が全て異常であり、自分だけが正常なのです。
他人と違う事を憂う必要など無い。
他人と足並みを揃わす必要も無い。
他人は異常であり、自身が正常だ。
確かに正常なのは自身なのだから、自身の行動は肯定しましょう。
イラストレーターになりたい。
漫画家になりたい。
作家になりたい。
動画投稿者になりたい。
作曲家になりたい。
経営者になりたい。
お金持ちになりたい。
偉い人になりたい。
それらが一方的に否定される事も確かにあります。
だが、それらを否定する人間の殆どは、それらを目指そうとした事もない者達ばかりです。
だからこそ「異常の定義」を思い出し、その人達にとっても我々は「異常」である事を心に刻んでください。
自身だけが、正常なのです。
では今日はこのくらいで。
自分だけが「異常」なのではなく、皆「異常」であるという事です。
異常の定義など、考えるだけ無駄だという事でしょうね。
毎度拙く、分かり辛い文章で申し訳ない。