歯車を回す人と作る人
これを読んで少しでも気が楽になりますように。
いつも下手ですみませんね。
どーもお久しぶりの宇佐見レーです。
これを更新してなかったのは特別理由はありません、残念ながら作家になれた訳でもありません。
さて早速本題です、社会に出れば誰でも感じれる、学生さんでも勘付く方が多いと思いますが、世の中は歯車を回す側と作る側とで分かれています。
どちら側に回れるかはその人の努力次第になりますが、本を作る、作家という職業はどちらかと言うと歯車を作る側かな、と個人的に思っています。
読む側に夢や希望を見せる、なんとも素晴らしい行為ですから。
だからこそ私も作家を目指し既に三年、書き始めてからはもう十年弱。
……突然ですが、話を変えます。
これを読む貴方は同じ事を繰り返す中で、違う結果を求めていませんか?
この言葉「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること」からを少し変えました。
誰が言ったのか、どこから引用されたのかは調べてみてもわかりませんが、ネットでは随分と有名な言葉ですよね。
では、何故この言葉をここで引用したのか。
同じ事を繰り返し、違う結果を求める、まさに我々のような『歯車を回す人』そのものだとは思いませんか?
似通った日常に非日常を求める。
誰もが言います、何もせずにお金が欲しい……けれどそれってまさしく狂気だと思いません?
やりたくもない仕事を行い、特別行動も起こさずに結果など変わる訳がありません。
その点、我々のような作家になりたい人間は、暇な時間を使い小説を執筆し、企業などが行っている賞に投稿し、日常が非日常になる事を願っている。
一つ、たった一つだけ行動を起こす事で『歯車を回す側から作る側』への変化を託してるんです。要するに、狂気から離れた正気。
けれど誰もが馬鹿にする、いえ、最近は少なくなりつつありますが『お前になんかできない』と嘲笑混じりに言う人間がいる。それが家族でも友人でも。
――――そういった人間ほど、狂気に陥り、諦めている。
行動すら起こさずにただ日常で願うだけ。
行動なんてなんでもいいんですよ、自分がやりたい事でも、宝くじでも、ギャンブルだけは廃止した方が良いと個人的に思ってますが。
時に行動一つ起こさないで嘲笑する奴らは我々を異常だと言う事もあります。
ですが異常というのはそもそも定義がありません。
自分と相手、どこか違えばそれは異常でしょう。あまりにも曖昧な言葉だ。
そんな奴には「異常の定義を知ってるか」と言い放つのがベスト。」
結局、歯車を回すか作るかなど、行動一つを行うかどうかで変わります。
やりたい事があればやりたい事をやりましょう。回す側でいいならばそれでいいですし。
それに家族含めて他人の迷惑など一々考えていては身が持ちません。
どうせ、やりたい事をやれる頃には、自分の力で他人を幸せに出来ているかも知れません。
それまでの迷惑はそこで清算すればいい。
地獄がなぜ存在するのか――――後から罪滅ぼしをすればいい、そんな優しさからあると思うんですよね。
そう思えば、これを読む貴方を含めた私、創作活動で投げ捨てた全て、必要なものだったと、気が楽になると思います。
では今回はこのくらいで。
これを読む皆さんが、良き創作活動ができますように。