6 家伝の技術
なぜこの展開に……
高良健一(26、素人童貞)は落ち込んでいた。
折角レスラーとして売れ始めたところだったのに。
大事な時期だったのに。
全治三ヶ月の負傷、しばらくリングに上がれない。
切り裂かれた皮膚の方は、全部皮一枚。
少し傷跡は残るが一ヶ月も経たず治る。
もともと幼少よりの修行で全身傷だらけだから。
今更多少傷跡が増えても気にならない、こっちは良いのだが。
タカシの蹴りがきつかった。首に来た。
しかし嫌がってたタカシに戦うよう強制したのは確かに自分だ。
タカシを恨むわけにも行かない。
それにタカシが本気を出した瞬間、身がすくんで動けなくなったのは。
あれもやはり自分が悪かったのだ。
トラウマが克服できていない。
クソ親父が猫にゃんにゃんと言いながら。
幼い日より自分をボコボコにしてきた、あの恐怖のトラウマ。
あれを克服したくて、自分を鍛え直したくて。
プロレスラーの世界に飛び込んで必死に鍛えてきたつもりだったのに。
際限なく気分が落ち込む。
だが、まあ、落ち込んでばかりいても仕方が無い
健一は肉体同様精神も結構タフだった。
ただネコにトラウマがあるだけで、そこを突かれなければ普通に強い。
いや普通以上に、常人のレベルをぶっち切って強い、のだが。
入院してれば当然ネコとは接しない。
健一の心は少しずつ立ち直りつつあった。
そこで思い出す。
そうだ、社長から連絡があったんだが。
今日の深夜枠だが、うちの団体が所属する興業がテレビ放送されるとか。
深夜といっても11時枠であり、この時間帯なら結構凄い。
これまではプロレスは放送されるとしても日を跨いで0時以降とか。
下手したら2時以降とかにダラダラと流されるだけだったのに。
ずっと昔はゴールデンタイムに放送されることもあったというが。
そんな時代の話は、今では伝説でしかない。
久しぶりに11時枠でテレビ放送されるだけでも凄いのだ。
絶対見なくてはならない。
まずリングが映り、そこからコーナー先の入り口にカメラが切り替わった。
花道にスモークが焚かれる、選手入場の前触れだ。
アナウンサーの実況が……なんだこれ?
健一の思考が停止した。
「心はいつも生まれたて
生まれたばかりの子猫ちゃん!
キティ・ハートぞ我が心
猫々にゃんにゃん、猫にゃんにゃん!
誰が呼んだか知らないが
いつしか誰もが知っている
その名も高き必殺拳
猫にゃん拳の使い手は
一子相伝の継承者
お待たせしました
ねこマスク!」
「にゃー!!」
BGM(某一子相伝の暗殺拳OP。〇を取り戻せ)
頭が沸いたとしか思えないふざけたアナウンスと共に入場してくる選手は。
三毛猫のマスクを被った謎の男!
その名も、猫マスク!
「ってタカシいいいい!! お前なにやっとんだああああ!!」
病室で絶叫した健一は、駆けつけてきた看護師さんに怒られた。
大体こんな時間に隠れてテレビ見たらダメなのに。
だがそんなことよりも!!
「社長もなんでこんな真似をおおおおお! 色物すぎんだろおおお!!」
しかし観客のボルテージは絶好調だった。
大歓声が猫マスクに捧げられる!
だが、ふてぶてしい三毛猫の顔をしたタカシはにこりともせず(当たり前)
そのままリングに向かって全力疾走!
飛び上がり、空中で回転してリングに着地!
例の猫ポーズを決めて……
「ねこーーーー!!
にゃんーーーー!!!
けん!!!
フー!(猫の威嚇音)」
セリフも完璧に決まり。
観客席から声援と爆笑の渦が沸き上がる!
「あほらしい、色物すぎる、だが……」
そう。
だが……
受けていた。
プロレスも見世物であり興行である。
受けるかどうか、それが全て。
受ければ良いのだ、受ければ、それで全てが肯定される。
ふてぶてしい三毛猫のマスク。
猫のくせに可愛くない、オッサンみたいな面のマスク。
それを着けた筋骨たくましい男、タカシ。
タカシの身のこなし、動きの切れは本物であり。
そこらの体操選手などにも負けないレベルだ。
そして何よりタカシは本気だ。
本気で猫にゃん拳の最強を証明するために戦っている。
その本気が、観衆にも伝わる。
だから受けるのだ。
やがて対面のコーナーから悪役の怪人に扮装したレスラーが入場。
「三味線屋コウダユー」という名前らしい。
健一と同期くらいの中堅レスラーだった……
そしてリングで始まる二人の立ち回り。
恰好はアホらしい。
片方は三毛猫マスク。
もう片方は不自然に和装を取り繕ったような衣装をつけたレスラー。
アホらしい、アホらしいのに……
だがタカシがリングを縦横無尽に駆け回り。
それに相手も忙しく対応。
タカシの飛び蹴り!
「出たあああ! 掟破りの猫キックだあああ!」
アナウンサーの絶叫。
「なんで猫がキックwwww」
「掟破りもクソもwww」
「でもジャンプ力すげえ、すげえのが笑えるwww」
観客も大うけである。
出入りの激しい、アクロバティックな立ち回りは……
最終的にタカシの猫キックを、相手が食らう形で終了。
もちろん予定調和だろうが……
「猫マスクの勝ちだあああ!
しかしこの世に悪のある限り!
猫マスクの戦いが終わることは無い!
がんばれ猫マスク!
世界の平和は君にかかっている!!」
「では、さらばだ! にゃー!!」
タカシがまた素早い身のこなしで、猫のごとく疾走し姿を消す。
その動きを見て、観客がまた盛り上がる。
そして……
「では本日のメインイベント……」
「ってことはタカシは前座……ではなく、中盤に出てきたのか? 昨日今日始めたばかりなのに扱い良過ぎるだろ……しかし今の観客の反応……くっそ……!」
タカシの芸によって盛り上がった観客の勢いは持続して。
その後のメインイベントも大いに盛り上がった。
健一のこれまでのレスラー人生でも、滅多になかったくらいに……
恐らく、いや間違いなく……
興行的には大成功。
テレビにまで出るくらいに……
俺はこれまで真面目にやってきたのに……
あの色物にあっさり負ける程度だったのか……
健一はまた落ち込んだ。
看護師さんが激怒してるのに気づかぬまま……
なお余談だが
この激怒してる看護師さんはミエコさんと言って(25歳独身)
なぜかここから付き合いが始まり二年後に健一の嫁になる
ネット上で猫の画像を検索せよ。
その中で一番ふてぶてしいオッサン臭い顔の猫。
それを三毛にしてマスクにしたのが猫マスクである。
鼻づらに黒いブチとかあって見苦しいと、なお良し。
「もう少し、かわいい感じのほうが良くないか」
などと社長が言ったが。
「ダメだ、これしかない!」
タカシが押し切った。
こいつの趣味はよくわからん。
なに、芯から変人だから考えても無駄だ。
人前で見世物芸するのは誇りある家伝の技術です