1-1 王との邂逅 《王との邂逅》
シオンは2キロの距離を止まらずに走り抜け、終末の日に破壊を免れた建物群へと足を踏み入れていた。
あちこちでビルの残骸が見受けられるが、その反面ピサの斜塔的に傾き、窓は木っ端微塵に吹き飛んではいるものの完全には破壊されていないビルかなりの数があった。
シオンのいる周囲に少し風が吹くだけであちこちから埃や塵が舞い上がる。
埃や塵は舞い上げられた後、地面に落ちて雪のように堆積していく。
その為、足に伝わる感覚は薄雪の上を歩くそれに似ていた。
と言ってもシオンは雪の存在さえ知らないが。
ゴミを吸い込まないためにボディスーツの襟に取り付けられた簡易マスクを顔の近くまで引き上げる。
シオンは布ごしで空気を吸いこみ、ゆっくりと呼吸を整える。
これまでの疲労に加えて、2キロもの距離を走りきった体は悲鳴をあげていた。
睡魔に加えてかなりの疲労感がシオンの意識を奪いにかかる。
よほど強い意志で意識を保たない限り気絶している身体状況なのだ。
シオンはワームがエーテルを指していないことを確認し壁にもたれかかって、無線を有効化させる。
さっさと報告して眠りにつきたかった。
だが、その願いは叶わなかった。
「ローグ?いるか?こちらシオン、目的地に…」
『シオン!いいかよく聞け、今すぐそこから離れろ!もう一度言うぞ、今すぐそこから離れろ!』
シオンの報告に食い気味に帰ってきたのは焦りが全面に押し出されたローグの声だった。
状況を知らないシオンはローグの言葉を不審に思う。
「どうして?ここで数時間睡眠を取らないと…倒れてしまいそうなんだ」
すでに全力を出し尽くしふらふらのシオンが力なく尋ねる。
『霊嵐がそちらに接近している。…それだけではない、その付近に骸の王がいるんだ。いいから今すぐ逃げろ!』
シオンにはローグの必死に呼びかける声が遠く聞こえた。
そのためか、疲れ切った脳がその言葉が持つ意味を理解するのに数秒を要した。
「…何っ!?本当か?」
脳に言葉の意味が染み入った瞬間、シオンの口から反射的に言葉が漏れる。
最悪の状況に立たされていることを理解したシオンは倒れそうな体を無理矢理持ち上げ、立ち上がる。
それと同時に風が吹き、周囲の埃が一気に舞い上がる。
『…とりあえず最終目的地向かえ、休息が取れそうなポイントがあっ ……する…おい……』
ザーッというノイズがどんどん大きくなりローグの声をかき消す。
いくら耳を澄まそうとも声を聞き取ることはできない。
突如、強風がシオンの体を叩く。
シオンは強風に耐えられず少しよろめく。
「おいっ、応答願う!ローグ!?」
無線機のマイクに向けて叫び続ける。
しかし応答はない。
やがて強風によって巻き上げられた埃、塵が視界を奪い始める。
シオンは腕を目の前に出しゴミから顔を守ろうとする。
強風の影響で呼吸がしづらくなる。
横目に映るワームは力を失ったようにぐったりと倒れている。
しかし、無線が繋がらなくなったことに焦っているシオンの視界にそれは入っていない。
ズンッ!と低く大きな音が響く。
シオンは驚き一瞬叫ぶのをやめる。
一度
二度
三度
耳に入る低く大きな音はどんどん大きくなっている。
急にシオンの体に鈍い衝撃が走る。
大きな力で地面へと押し倒されたシオンは誰かに口を強制的に封じられてしまう。
シオンは運び屋からという仕事から離れ、自分の欲望のままに力を使い、人の命も物資も簡単に奪う非人道的存在、リベル運び屋に襲われたのかと予想した。
シオンはもがき手を剥がそうとするが、目に映った光景をもってようやく状況を理解した。
砂嵐ならぬ埃嵐のなかにいくつもの髑髏を包帯のようなもので括り付け大剣の様な形にした武器を持つ化け物がいた。
ビル並みの巨体をいくつもの骸からその体を成している化け物の赤く光る目が視界の悪い中でも見て取れる。
胸を形成する二つのツノ付き髑髏からは雷が発生している。
鈍重に動きながらシオンたち生者を屠るために探すその化け物の名は
骸の王
王の圧倒的な威圧感にシオンは思わず息を飲む。
話に聞いたことはあるがシオンにとって見るのは初めてだった。
そしてもがくのをやめ、口を押さえていた人間を見る。
女性だ、それもボディスーツを着ていない。
いくらベテランの運び屋と言えどもボディスーツを着ずに外に出るなど危険極まりない行為だ。
シオンでさえボディスーツの僅かながらのパワーアシストとはいえそれ無しでは運び屋の仕事をこなせないと感じるほどだ。
女性が着ずに外に出るなどあり得ない。
“ボディスーツを着ていない?…これは夢か?”
そう思いながらも呼吸を封じられた苦しさは本物らしいと思う。
シオンは女性に向けて何度も頷く。
すると女性は手を離し、唇の上で人差し指を立てる。
シオンはゆっくりと息を吸い込み、口を閉じる。
こうしてくれたあたり彼女がリベルであるという可能性は薄らいだ。
この状況ならシオンを殺した方が安全だからだ。
呼吸から漏れる生命力に気づいたかのように骸の王が赤い瞳をこちらに向ける。
シオンは必死で体の動きを止め、女性とともに骸の王が自分の前を過ぎるのを祈った。
“まともに動くかわからないこの体で、骸の王から逃げるのは無理だ。頼む、気づかないでくれ”
シオンは骸の王の動きを注視し続けた。
何分たったかわからない程の緊張感の中、やがて骸の王は、生者がいないと思ったのかゆっくりと別の場所へと歩き始めた。
シオンも女性も十二分に離れるまで息を殺し、骸の王を睨み続けた。
骸の王が離れたと判断したシオンは口を押さえていた自分の手を離して慎重に息を吸う。
外れかけのマスクの隙間から埃が喉に入り込みシオンは軽く咳き込んでしまう。
霊嵐は未だやんでいないらしい。
そのためまだ視界が悪い。
しかし、咳き込むことで発生した生命力を感知されないということは脅威は去ったということだと判断した。
「あなた、何者?見たことない格好しているけれど…」
脅威が去ったと判断したのは女性も同じらしくシオンに話しかけてくる。
問答無用で殺しに来ないあたり間違いなくリベルではない。
シオンはそう判断した。
「それを聞きたいのはこっちだ、どうしてボディスーツも着ないで外に出ている?」
シオンが呼吸を整えながらたずねると女性は首をかしげる。
「ボディ…スーツ?何それ、聞いたことない名前ね」
女性が訳が分からないといった様子で聞き返す。
「おいおい、冗談はよせ。あんたも運び屋だろ?ボディスーツを知らない運び屋がいてたまるか」
「運び屋?何を訳のわからないことを…私達に荷物を頼めるような人間は…」
「オーケー、オーケー。よくわかったぞ、これは夢か幻…加えてひどい幻聴だな…俺はこんなものを見るほどに疲れてるのか…休暇をもらわないといけないかもな、夢を現実と勘違いするなんて…」
シオンは疲労と会話が通じない訳のわからなさから現実逃避を始めてしまう。
目が虚ろになり始めたシオンを見て、女性はあわてて
「ちょっと!夢?幻?何を訳のわからないことをこれは現実よ」
と言いながらシオンの肩を揺さぶる。
激しく揺らされたシオンは意識は夢から現実に引き戻される。
「これが現実ならなぜ運び屋を知らない奴が外にいる!?あり得ないね、夢に決まってる」
どうしても理解が及ばないシオンがキレ気味に吠える。
『いや、夢じゃない現実を見ろシオン』
いつのまにか霊嵐がやみ、回復した通信回線を使ってローグは無線を入れる。
常識的な回答をくれると思っていたローグにまで訳のわからないことを言われたシオンはますます混乱する。
「どういうことだローグ?悪い冗談だと言ってくれ」
シオンが懇願するようにたずねる。
しかし、ローグはシオンの言葉を聞き入れず話を続ける。
『シオン、いいか終末の日の後、国すなわち地下生存圏に入れたのは、生存者全体の7割強だけだ。後の人間は場所が足りないなどの理由で外へ放り出された…。彼女はおそらくこのディストピアしか産まれてから見たことがないのだろう』
衝撃の事実を聞きシオンは絶句する。
たった数日から数十日を万全な装備を持っても生き残るのが今もそうであるようにギリギリだというのに、産まれてからずっとこの世界にいるなんてシオンにとってあり得ない話だった。
無線が聞こえていない女性は1人で会話しているシオンに不審な目を向ける。
おそらく無線機の存在さえ知らないのだろう。
「産まれてからずっとここに居るのか?」
シオンが恐る恐るたずねる。
女性は何を当たり前のことを聞いているの、みんなそうでしょ?と聞き返したそうな表情で頷く。
「嘘…だろ…」
シオンが再び絶句してしまう。
多くの世界を見てきたつもりだったシオンは未だに自分が井の中の蛙だったことを知った。
女性は何か話が噛み合っていないことを感じ
「何かお互いの会話の内容に齟齬があるように感じるわね…いいわ、とりあえず私達の家に来てちょうだい。そこで腰を下ろしてゆっくり話しましょう」
と言って、手招きしながら歩き始める。
シオンは行くべきか、任務を続行するべきかで悩み、一歩だしかけた足を止める。
『任務については非常時だからごまかしが効くから安心して、ついて行ってみるといい。お前の知らない現実がそこにあるぞ、シオン』
ローグの言葉に後押しされシオンは女性の後を追う。




