1-1 王との邂逅 《死地に向かう者》
終末の日
人類の文明を奪ったのは“死者との会話装置”だけではなかった。
機械から出た“罪の代償”による破壊だけであれば人類はあれほどまで文明を失わなかったかもしれない。
文明を奪ったのは“霊嵐”と呼ばれる霊的性質を帯びた嵐だった。
霊的エネルギーが集中するその嵐は当時、そして現在の技術で予想不可能であった。
現在も通信機器の動作不良等で起きたと予想する事しかできない。
見た目は砂嵐のようなそれはあらゆる電子機器の機能を阻害し、破壊した。
霊的エネルギーが暴れまわる霊嵐のなかでは通信はおろか通信機器の起動さえ許されなかった。
霊嵐に触れたほとんどの機械は故障する他なかった。
そんな恐ろしい嵐が終末の日に世界中の都市という都市で全てでゲリラ的に発生した。
その時、世界からほぼ全ての“機械”が消えた。
ヘリ、飛行機の類は嵐に触れるだけで墜落した。
船、自動車の類は嵐に触れるだけで動くことを忘れた。
どんなにプロテクトを施そうとも霊嵐を防ぐことはできないと考えられている。
できるのは霊嵐を浴びても故障しないようにすることだけだ。
終末の後、人々は地下へと逃げた。
地下にはエーテルの存在するために必要な霊的エネルギーが僅かしかなく、エーテルが侵入して来ることがなかった。
エーテルが地下に来るのは人間が空気のないところへ行くのと同義だ。
人類は奇跡的に霊嵐を浴びなかった機械、元から地下にあった機械を使って、地下に生存圏を作り上げた。
そして人々は記憶を頼りに技術を取り戻そうとした。
しかしデータに頼りすぎ人間にとって記憶に残っている技術など数えるほどしかなかった。
最も有効な技術の保管方法は人だと言うかのように、データは霊嵐で消え、書物は大半が焼失・蒸発した。
人々は地下になかったもう一度、技術の基礎の基礎から作り直す必要があった。
焼け焦げ、崩壊した文明の下で人間は細々と生活しながら、文明を取り戻そうと懸命に努力した。
現在、通信機器やワーム、圧縮技術など幾らかの機械や技術が先人の努力の末、人間の手元にある。
しかし、終末の日に失われたもののほとんどはそのまま未だ失われた技術となっている。
過去に治療できた病は治せず、感染が広がらぬよう隔離するしかなく、過去に修理できた機械は継ぎ接ぎして無理矢理動かすことしかできない。
終末の日以前の機械も使用推奨期間をはるかに過ぎて動かされている。
いつガタがきて壊れてもおかしくないのだ。
そう、人間は未だにゆっくりと絶滅に向かっていると言える。
また、運び屋という仕事が存在しなければいくつもの国が滅びていただろう。
運び屋は国と国との技術の架け橋であり、輸出入を行う存在である。
国へ足りない技術を運び、食料を届け、また依頼を受けてものを届ける。
単純に見えて運び屋の仕事は重要なものだ。
過去の世界でも資源に乏しい国、技術的に弱い国が存在していた。
国々は得意なものを輸出し、苦手なものを輸入することでそれらをまかなっていた。
しかし現在は船や自動車、飛行機は一度霊嵐に巻き込まれれば、運送者はエーテルに死の世界へと連れ去られるのを待つのみとなる。
それでなくてもエーテルに簡単に襲われてしまう。
だからこそ選ばれたのは人の足なのだ。
足は機械ではない。
足は輸送の原点であり、頂点だと人類は再認識した。
だから霊嵐の影響を受けずに荷物を運びきれる。
この考えのもと終末世界に運び屋という仕事は生まれた。
ローグは仕事に駆り出されていた。
仕事から帰って妻が用意していた軽食を食べて、シャワーを浴びて“さぁ寝るぞ”とベッドに向かって歩き出した。
その瞬間のことだった。
それを邪魔するかのように通信デバイスが鳴り響いたのだ。
通信デバイスはノイズをかき鳴らしながらデバイスの向こうの人間の声を伝える。
仕事の依頼なら朝にしてくれ、そう言ったが通信してきたのはサポートチームの人間つまり仕事仲間だった。
彼らが自分に連絡してきたということはただ事ではないと判断したローグは軽く状況を聞いた後、ベッドに背を向けた。
ローグは急いで服を着替え、仕事場へと向かった。
当然、この世界には車もなければバイクもない。
真夜中の人通りのない道を一人で全力で走って仕事場へと向かう他ない。
そうして十数分かけて到着するとローグは汗をぬぐいながらすぐに観測機の情報を確認して状況を確認する。
そしてローグはいきなり叫んだ。
「おいっ!ここに行くように指示を出したのは誰だっ!ここは骸の王がつい最近…別のベクターチームを壊滅させた場所だぞ!」
ローグが見たのは最悪の状況、仕事仲間のシオンが自ら死地に向かって動いているのだ。
走ってきたことによる汗は引いたはずだが、彼から汗が噴き出す。
骸の王がシオンの方に向かう確率はないとは言えないが低かった、そのため夜は一旦家に戻って休息を取ろうとしていた。
しかし、シオン自身が自ら骸の王の方へと動くことはローグの予想から大幅に外れている。
ひとりの女性スタッフに周りの人々の視線が向く。
スタッフは涙を目に湛えながら、周囲をキョロキョロ見回す。
そして、責任が自分にあると理解したのか自ら前に出て頭を下げる。
「すみませんでした!…私の…私の確認不足でした…どうお詫びすれば…」
スタッフは涙を堪えきれず地面に小さな水たまりを作り始める。
誰も彼女を責めることはできない、彼女は夜勤のオペレーターなのだから、昼に何があったか知らない。
そして、そういったことが起きといるとは伝えられていなかったのだ。
ローグはそのスタッフの肩を優しく叩く。
「正直に言ってくれただけで十分だ。俺がしっかりこの状況を予測して情報を引き継ぐようにしないといけなかった…この反省会は後だ。今はシオンを死地から引き戻さねばならん」
普段は厳しく、常に不機嫌そうな顔をしているローグの優しさに触れたスタッフは泣き崩れる。
スタッフは両手で顔を押さえながら、鼻声でひたすら「すみませんでした」と謝り続けていた。
「シオンとの通信回線をつなげ、エーテルを撒いたらすぐに別のポイントに移動するように告げろ」
ローグの指示が一瞬でスタッフの意識を仕事モードに切り替えさせる。
「はいっ‼︎」という揃った返答の後、泣き崩れたひとりを除いたその場にいる全てのスタッフが各々の仕事を始める。
「シオンさんのバイタルサイン、途絶えていません。心拍数、呼吸数は高いですがそのほかの異常値は確認できません」
「ワームおよび補助機能に異常シグナルなし、おそらくまだ大丈夫です」
スタッフが各々の担当分野のデータをローグへと伝えていく。
緊急時でも乱れぬ精神をもつスタッフがシオンの命を守ってきた。
「ローグさん、通信回線が…」
「繋がったのか!?」
ローグが食いつき気味に尋ねる。
スタッフはなぜか怯えた目で
「いえ、それが向こう側が完全に無線を無効化しているらしく繋がりません」
と答える。
スタッフは状況の悪さに怯えてしまっていたのだ。
「緊急回線はどうだ?」
ローグはスタッフが焦り、ミスを誘発しないように優しく尋ねる。
緊急回線とは、非常時に無線の電源を切っていてもそのシグナルを受けると運び屋の意思にかかわらず強制的に通話回線を繋ぐことができる回線のことである。
「ダメです、エラーコードが出て繋がりません」
通信回線が繋がらなければこの危険な状況を伝える術はない。
ローグはシオンのことを信頼している。
シオンは大抵のことではくたばらないと知っている。
シオンが人類で最強だと信じている。
それでも、骸の王は異常な強さを誇る上にどうあがいても殺せないときている。
殺せない相手とあっては、いくらベテランのシオンとて勝つことはできない。
そいつがいるかもしれないところに行くのはシオンが自殺するのと同じようなことだった。
ローグは何もできない悔しさのために拳を強く握る。
爪が手にめり込む。
ローグの手には少し血が滲んでいた。
「観測機の感知範囲にシオンさんのシグナルを確認しました。…あぁっ!まもなく危険ポイントに入ります。どうしましょう、ローグさん!」
「……通信回線が繋がらない以上俺たちにできることは骸の王がすでに別の場所へ移動していることを願うことだけだ…」
ローグが悔しそうにそう言い放つと、スタッフ全員が俯いてしまう。
骸の王は普段の移動はとてつもなく遅い、一箇所で発見されたその後、数キロ先へ移動するのに半日はかかると言われているほどだ。
それなのに戦闘態勢に入ると普段の何倍ものスピードで人々をねじ伏せていく。
発見されたのが数日前、順調に移動していても5キロ離れているかどうかだ。
しかし、悪い知らせは重なるもののようで
「感知範囲に異常なシグナルを感知…おそらく骸の…王…です」
「現在発生中の霊嵐が予想進路からはずれました、速度を上昇させて移動中とのことです。十分足らずでシオンさんの元へ到達します」
この二つの知らせがほぼ同時にローグの耳へと入った。
内容を理解するとローグは思わずふらついてしまう。
骸の王と霊嵐、一つでも厄介でありいとも容易く、人の命を奪うような代物が二ついっぺんにシオンを襲おうとしていた。
その事実をどうしても受け入れられなかったのだ。
ローグは無言でこんな世界に存在するのかさえわからない神に祈りを捧げた。