1-1 王との邂逅 《シオン・オズボーン》
人類が文明を失ってから100年後
かつて、それも俺が生まれる前この大地にはビルと呼ばれる高い建物やらなんやらがそこら中に建っていたらしい。
今や大地に建てられたもののほとんどはその面影を残すのみで瓦礫となるか朽ちて土に戻っている。
コンクリートの地面も植物に覆われ、その姿を消している。
一度、人類が栄えていた頃の光景を実際に見たいと思うものは多いが、それは叶わない。
終末の際、人類のほぼ全て記録は消滅している。
終末以前の写真すらほとんど残っていないのだ。
例えあったにせよ貴重資料扱いを受けていて、普通の人間が一生かかけて稼ぐレベルの異常な高額商品であることは間違いないだろう。
シオン・オズボーンは崖の上から森を見下ろしながら一人で過去の世界を想像していた。
今ある自然に飲まれた人工物を脳内で補完し、昔はどんなものだったか考えているのだ。
シオンに背負われた大きなカバンの下からは紐のようであり蛇のようでもある何かが出ている。
しかしその紐はただの紐ではない。
宙に浮いているのだ。
多目的ベクター補助具、通称ワームと呼ばれるヒモはコンパス、目的地への案内、エーテルと呼ばれる霊体のサーチなど多くのことをやってのけるこの紐は運び屋に必須の代物だ。
これなしではどんな運び屋も3日と生き残れないだろう。
そういった極一部の技術は文明が滅んだ世界でも首の皮一枚で繋がり、残り、維持され、開発されている。
『シオン、観測機がエーテルα型らしきエネルギー反応を検知した。そちらに接近している可能性がある警戒を怠るな。ローグ、アウト』
低めのイケボというのに相応しい声がシオンの耳を通り抜けていく。
ローグ・エリアスは元運び屋で引退した後、シオンの仕事や体調の管理を行うシオンのサポートチームのリーダーとして働いている。
シオンが絶対の信頼を寄せることのできる数少ない人物の一人だ。
「こちらのワームにはなんの反応もない。まだ接近していないようだ。一応、警戒はしておく。シオン、アウト」
シオンは身を屈め、ゆっくりと鬱蒼とした森の中へと進んでいく。
虫が耳元で飛び回りうるさいことこの上ない。
シオンは五月蝿いに蝿の漢字が含まれているのはそういう意味なのだろうかと推測した。
人類が文明と大地を放棄した後の世界には自然が豊かに存在する。
一切の手入れを受けず、数十年を過ごした人工物は完全に自然の中に取り込まれてしまっている。
町に時折ある廃墟のような蔦に飲み込まれた家を最大まで悪化させたような建物が大量発生しているといえばいいだろう。
目の前の様子は写真で見た過去の世界とは大違いだ。
どれほど人間が自然に無理をさせていたかがよくわかる。
コンクリートの地面はすでに草、上から被さった土の下に埋もれ見る影すらない。
その上に種が落ち、新たな芽生えが起こる。
そんな中でゆっくりと大地から過去の文明は姿を消していった。
ワームのうちの一本が白い光の筋を何本も放ち始める。
反応があったワームに与えていた仕事は“エーテルのサーチ”である。
つまりエーテルが近くにいることを示している。
シオンは自分の存在を悟られないために、足を止めてその場で息を潜める。
エーテルは音や光に対してはかなり鈍いが、人間の放つ生命力を強く感じることができる。
生命力は派手に動けば動くほど多くの量が外に漏れ出るため、エーテルにより感知されやすくなる。
シオンはゆっくり、無駄なエネルギーを使わないようにしながら腰のホルスターから銃を引き抜く。
ワームの出す白い光はエーテルには見えない光のためそれで感知される心配はないらしい。
シオンはワームの光が差す方向に目を向ける。
数十メートル先で空間が蜃気楼のように光が屈折しているのが見て取れる。
おそらくそこにエーテルがいるのだろう。
シオンは距離や状況などを頭の中で整理し始める。
“まだ、奴らの完全感知範囲の外だ。ゆっくり動けばバレずに抜けられる”
そう考えたシオンは側から見ると進んでいるのか心配になる程ゆっくりと歩みを進める。
ワームはなおもエーテルの存在を訴え続ける。
鈍いとはいえ僅かながらの視力が奴らにも存在するため、何者にも邪魔されずに成長し、高くそびえ立つ木々の合間を縫うように身を隠して進む。
シオンはワームの仕事の割り当てを変え、エーテルのサーチと移動物体センサーに大きな比重を置いた。
ちなみに崩壊した世界といえども少なからず動物は存在している。
しかし、その動物でさえ、エーテルにとっては生きている、恨めしい存在なのだ。
そのため動物でも見つかるとエーテルに容赦なく襲われる。
移動物体センサーを起動させたのは動物が襲われた際のとばっちりを避けるためである。
移動物体センサーに引っかかっているのは自分だけのためまだ安心できる状況だろう。
何十分も息の詰まる、一瞬の油断も許されない状況が続いた。
やがてワームの感知範囲内にエーテルの存在がなくなる。
ワームはやる気を失った子供のように項垂れる。
ワームの感知範囲の外であれば大抵の動きから出る生命力をエーテルに感知されることはない。
「かはっ!はぁはぁ」
それを確認した瞬間、シオンは辛そうに呼吸し始める。
何十分もの間最低限の呼吸のみで移動してきたから無理もない。
伸縮、防寒、耐熱性に気を使った黒を基調としたボディスーツの腕に取り付けられたコントロールパネルを操作してワームの仕事の割り当てを元に戻す。
ちなみにボディスーツに付けられた装甲はごく僅かなものである。
霊的な存在であるエーテルには物理的な装甲は何の役にもたたないからである。
そのためある程度の衝撃を抑えられるだけの装甲のみであとは動きやすさが重視されている。
シオンは歩速を上げさっさとエーテルがいた場所から離れていく。
人類が大地を失った後、“国”の意味は地下に作られた人類の生存圏のことへと変化した。
国と国の間はどんなに近くてもに数百キロは離れており、運び屋の基本的な仕事は最低でも数日はかかる。
そのため、比較的安全な場所で休息を取る必要がある。
『シオン、もう3キロほど進めば今日の宿泊予定地に着く。安全には最大限注意しているつもりだが“もしも”が怖い、警戒を怠るな。ローグ、アウト』
シオンは黙々と焼け焦げた大地を歩いていた。
大地が自然に覆われている場所の方が大半だが例外も存在する。
今のような不毛の地がその例外だ。
終末が訪れてから太陽は常に分厚い灰色の雲に遮られている。
言ってしまえばどこに行こうと曇りの日ということだ。
終末の後に生まれたシオンは太陽がどのようなものか知らない。
知っているのは雲を抜け大地に差し込む光の根元が太陽であるらしいということだけだ。
シオンの足が地面につくたび、黒い土煙がふわりと舞い上がる。
特殊な技術で質量ごと圧縮されているとはいえ何十キロもの荷物を背負って歩き続けられるのはボディスーツのムーブアシストとシオンの並外れた身体能力の高さがあるからだ。
並の人間ならばとうの昔に膝や腰が動かなくなっているだろう。
運び屋になるためには死すら覚悟する訓練と一定の才能が必要なのだ。
その訓練、才能を持ってしてなお一年運び屋を続けられるのは100人中40人程度なのだ。
そのほかの者はだいたいエーテルによって死後の世界へ旅立っている。
シオンが五体満足で10年も運び屋を続けられているのは奇跡と呼ぶにふさわしく、“伝説の運び屋”と呼ばれるのも頷けるものだった。
シオンの視界に小さな建物群が見えてくる。
木造の建物がいくつかと、ゆっくりと腐敗の進んでいっている元木造住宅らしい残骸がある。
おそらく元々は小さな村か何かだったのだろう。
目的地を示すワームの光がここに差し込まれていることから今日の宿泊予定地ここだと判断する。
「ローグ、こちらシオン。宿泊予定地に到着、ワームは反応を示していない」
『……………』
シオンの問いかけにローグはなんの反応もしない。
ローグは基本的に連絡すると必ずと言っていい確率で数秒以内に反応する。
そのため、今反応していないということはなんらかの異常が起こっていると推測するのは容易い。
あり得ないことだがローグのいる国がエーテルに襲われたのではという考えが頭をよぎる。
「おい、どうした?こちらシオン、宿泊予定地に到着した。応答願う」
『……。あぁ、すまない。こちらローグ、よくやったシオン。サーチボウを設置して休息を取ってくれ…』
何かを心配するように話しかけてくるローグに違和感を覚える。
「ローグ、何があった?教えてくれないか?」
ローグは少し考え込んだように黙る。
『……。シオン、悪い知らせか、良くない知らせどちらから聞きたい?』
「どちらも同じように聞こえるのだが?…まぁ、悪い知らせから頼む」
『この近くで霊嵐が観測された。予定通り事が進めば、ぶつかることはないが…』
「何か問題が?」
シオンが尋ねる。
ローグは事をもったいぶるような人間ではない。
『それが良くない知らせの方だ。この近くで数日前ベテラン二人、中堅と新人それぞれ一人で構成されたチームが全滅したらしい。観測機はまだ感知していないがチームの無線内容から推測するとおそらく骸の王だ。ありえない話かもしれないがもしあんたが骸の王に足止めされて霊嵐に巻き込まれたらと考えてしまってな』
「なるほどな、ルート変更はあるか?」
シオンはあくまで淡々と情報を整理していく。
彼がそういうのだから本当だろうが彼のいう通りあり得ない話だ。
骸の王が現れた場所を確認したが、近いとはいえ奴が狙ってシオンの場所に来ない限り、出会うことはないだろう、そう判断したのだ。
それに加えて骸の王はかなり足が遅い。
最悪襲われても逃げきれるはずだと高を括っていた。
『それに関しては現在、サポートチームで検討中だ。決まり次第報告する。今はゆっくり休め。ローグ、アウト』
シオンは黙って荷物を降ろしカプセルに圧縮されたサーチボウを元のサイズに戻す。
この圧縮技術は終末の世界で生まれたオーパーツとも言えるものだ。
物体の大きさと質量を大幅に減少させることが可能なこの技術は運び屋の荷物をより軽くより多くを運べるようにした。
実際この技術がなければ運び屋など存在しなかったかもしれないと言われるほど革新的な技術だった。
この技術は元日本、東京国から終末後も残っていた通信技術を用いて世界中に一瞬で広まったと言われている。
元のサイズに戻さねば何も使えないことや、戻すのに数秒かかったりと少し不便なこともあるがそれを含めても素晴らしい技術だった。
シオンは元村の周りをぐるりと回りながらサーチボウを設置していく。
サーチボウはワームのエーテルサーチと同じ機能をより大きな範囲でできる。
そのため無防備になる睡眠時に接近をあらかじめ感知し、知らせることで、エーテルに対処できるようにしている。
一通り設置し終えたシオンはボロボロの家の中から一番壊れにくそうだった平家を選び中に入る。
圧縮されていた水タンクを元に戻し水筒に水を補給した後、顔を軽く洗う。
「あぁ、生き返る」
溢れた水がボディスーツに染み込み、すぐに乾く。
運び屋にとって水は持ってきた分が尽きるということは生命に関わる大事件だ。
それを少しだが無駄にしている感覚がなんとも言えない感覚を引き起こしていた。
ふと外に目をやるともう真っ暗になっている。
ワームのライトなしでは最早何も見えないだろう。
昔はあったらしい月明かりも、星の光も全て分厚い雲に遮られてしまっている。
空を見ても見渡す限りの黒があるだけだ。
外の世界の夜ほどつまらなく寂しいものはないとシオンは夜が来るたびに思う。
バッテリーもかなりの予備があるとはいえ、もしものことを考えて温存しようとライトを消して寝ることにした。




