1-4 死なない王の倒し方 《時間稼ぎ》
霊嵐の影響で視界を制限されている状態でも骸の王はよく見える。
シンシア達と別れたシオンはサブマシンガンを脇に抱えながら骸の王の元へと近づいていく。
ぐるりと骸の王の背後へと回った後、サブマシンガンを構える。
シオンの時間稼ぎが成功するというのは作戦を行う上で前提、最低条件となる部分である。
彼は一つ深呼吸をして口を開く。
「さて、鬼ごっこの時間だ。こっちの準備が整うまで俺と遊んでもらうぞ」
シオンは骸の王をしっかりと捉え、引き金を引く。
乾いた破裂音とともに何発もの鉛玉が吐き出される。
骸の王もそれに気付かないほど鈍感ではない。
振り返り確実にシオンを捉えると躊躇なくこちらに向かってくる。
鈍重な骸の王とはいえ戦闘態勢に入ると人間の理解を余裕で超えてくる相手だ。
油断は一瞬たりとも許されない。
一つミスればそのミスは次のミスを誘発しいずれは死に追い込まれるだろう。
大剣が振り下ろされる。
シオンは横に跳躍し、窓の付いていない窓枠を抜けてビル内に入る。
雑草に覆い隠されたコンクリートが大剣によって抉られ、数十年ぶりに外の世界を見る。
シオンがビルの中を駆け抜けて裏側から外へ抜け出す。
その数瞬のち、そのビルの一階部分の天井が消し飛び、崩れていく。
瓦礫の雨をものともせずシオンの元へ向かってくる骸の王の姿は、人間の手に負える相手ではないと再認識させた。
その姿は本当に作戦が成功するのか不安にさせるようなものだった。
シオンは骸の王の様子を尻目に見ながら、脇道を抜けようと走る。
風を切る爆音が後ろから聞こえてくる。
嫌な予感を感じたシオンは姿勢を下げる。
横にある建物に風穴が空いたと認識したとほぼ同時にシオンの頭上を大剣が振り抜けていく。
もし姿勢を下げなければ頭が跡形もなく消えていたであろう状況にゾッとしながら脇道を抜けきり、また大通りに出る。
骸の王はビルとビルの間をまるでダンボールの山を崩してくるかのように止まることなく真っ直ぐ抜けてくる。
天を貫こうとする勢いで高く持ち上げられた大剣が豪速で振り下ろされる。
シオンは咄嗟の判断で体をひねり、横に跳ぶ。
判断が少しでも遅れればぺしゃんこ、内臓は飛び出ている血まみれのぐちゃぐちゃ死体の出来上がり、となるであろう一撃をかわす。
しかし、続いて襲いかかった押し出された空気の流れに耐えられず数メートル後方へ弾き飛ばされる。
空中で姿勢を正してしっかり着地したシオンを王の手が襲う。
間一髪でビルの合間に逃げ込む。
しかし王の手が勢いよく振るわれたことで動いた空気の流れがビルの合間に強く流れ込み、シオンを押し出す。
目の前のビルが消える。
王がシオンを睨む。
まだまだシンシア達の準備完了までは程遠いだろう。
“もう少し俺が気張らにゃ、作戦は成立しない。ただビルすら盾にもならないあの化け物を相手にしてどうやって時間を稼ぐ?残りの特殊スモークグレネードは二個うち一個は作戦に組み込まれているし”
そう考えながらシオンは着地後すぐにビルの中へ逃げ込む。
当然ながら数秒後にはそのビルだった物質は瓦礫へと名前を変えている。
シオンは命からがらビルを抜け出し道路を駆け抜ける。
間一髪で生き残ってきているが、この幸運がいつまで続くかわからない。
そもそもあの化け物と追いかけっこをしてまだ生きている方が異常なのだ。
どのタイミングで王の動きを見て、どのタイミングで回避動作に移るか、どのタイミングでビルやその他の建物を盾にするかそのどれかがバグれば一巻の終わりすなわちジ・エンドである。
針に糸を通すどころかむしろ逆に糸に針を通すように困難な生存ルートを選び抜かねばその瞬間に命が断たれる。
そんな無理ゲー極まりない状況でなお生き残っているシオンはまさに“伝説の運び屋”の名に恥じない存在であることを証明していた。
ただ、そんなシオンにさえこの状況は予想をはるかに上回る危険さを有しており、骸の王を倒せるかもしれない作戦があるという事だけが、この絶望の中で彼の正気を維持していた。
それがなければ、おそらくとうの昔に彼の命は終わっていただろう。
「あと少し、あと少し時間を稼げれば…俺の、俺たちの勝ちだ」
気が狂いそうなほど精神をすり減らし、脳や筋肉など体の全機能をフル稼働させ逃げ惑うシオンが小さくつぶやく。
もっとも、もはやこの言葉はシオンが意識して発したものではなく、脳が極度の疲労により思考にとどめきれない情報を外に吐き出したものだった。
シオンの集中が一瞬途切れる。
脳が情報を処理しきれずパンクしたのだ。
強制的に情報をシャットアウトされ、思考、動作全てがほんの一瞬止まる。
間の悪いことにその数瞬前に大剣が振り上げられていた。
シオンの思考が帰ってくる。
「まずいっ!」
情報が戻ってくると同時に状況の危険さを理解したシオンは反射に等しい速度で横に跳ぶ。
大剣が目の前の空間をえぐり取る。
颶風がシオンの体を貫く。
シオンは空中に投げ出され、宙に浮く。
全身に電撃のような痛みが走り抜けていく。
苦痛に顔を歪めたシオン、その目にナイフが滑り落ちていくのが映る。
シオンの目がそれを捉えるともう目が離れなくなる。
「そいつだけは、もう絶対に離さない!」
シオンの目に昔の記憶の映像が映る。
——私ね、世界中を見て回るのが夢なんだ。シオンくんは?
——あいつの遺志を形は違えど、継ぐというならこれを取れ、そうでないならここでこれを捨てる。
ナイフの落ちていく姿を見たシオンは今までのどの動作よりも、早く、速く、疾く、神速の域に届かんとする動きでナイフに手を伸ばす。
しかし手は届かず風によって吹き飛ばされている状況では距離は離れていく一方だった。
シオンは何の躊躇もなく地面に右腕を伸ばし体が押されるのを抑え込む。
ナイフもシオンと比べれば僅かなものだが颶風の影響を受けているので、シオンの左手にそれは収まる。
しかし、手に取ったと同時に支えとした右肩に限界が訪れた。
自分の全体重 プラスアルファを空中で支えた右肩の骨が収まるべき場所を逸脱したのだ。
激痛に加えて、吐き気と目眩が同時に襲ってくる。
そのまま地面に叩きつけられたシオンは苦痛のあまり叫んでしまう。
言葉に言い表せない絶叫が数秒周囲を支配する。
骸の王が大剣を一時的に放棄して腕を振り上げているのが目に見える。
過呼吸気味のシオンは意を決してビルの中へ飛び込もうとする。
しかし、窓枠を飛び越えるよりも早く王の腕が地面に到達し、コンクリートの塊を弾き飛ばし、シオンの右脚を鈍く穿った。
骨にヒビの入った感覚とともにビルの内側に入った彼は即座に特殊スモークグレネードを使わねば死ぬと判断して外にそれを投げる。
骸の王は特殊スモークグレネードに惹かれ、シオンに対する攻撃を中断する。
「今のうちに肩を…」
だらりと力無く付いている右肩をナイフの柄を口にくわえながらあるべき場所へ戻し入れる。
シオンは痛みのあまりナイフの柄を歯型がつきそうなほど強く噛みしめた。
まだスモークグレネードの効果は持続している。
“少しでも距離を取るなら今か…”
そう思い立ち上がろうとするも右脚がそれを許さない。
右肩のに比べると弱いがそれでも意識を刈り取るには十分であろう痛みがシオンを襲った。
そのため彼の体は少しよろけてしまう。
足に気を遣いゆっくりと歩き始める。
“この足じゃ、もう走ることも跳ぶこともできないな…”
足を引きずりながらビルを抜け出し骸の王の作った瓦礫の山に倒れこむ。
全身疲労と精神的限界に加えて逃げるための足が使い物にならないという事実がシオンの心を壊した。
彼にもう逃げる気力は残っていなかった。
死体のように倒れこんだ彼を幸か不幸か骸の王は見失ってしまった。
『…こ、これで使い方あってるわよね?…ええっ!?いや、間違いないわ…だって向こうの音聞こえて…ってことはこっちのことも!?』
シオンの耳に雑音混じりの聞き覚えのある声が入り込む。
『シオン?…返事できる状況じゃない?…とりあえずこっちの準備は完了したわ…以上よ。…ええとここをこうすれば通信が』
そう聞こえたのちブッという音が通信が切られたことを告げた。
気力、正気を失ったシオンの目に光が戻る。
まだ逃げ回らないと行けないならともかく、奴を誘導するだけならまだやり方はある。
シオンは胸に取り付けられた無線機をいじり
「こちら、シオンだ。準備完了、了解。これより骸の王を連れてそちらに向かう」
と言った。
作戦決行があと少しのところまで迫っていた。