1-2 少女は笑う 《ささやき》
シオンが意識を取り戻す。
頭に痛みを感じ、触ってみると少し腫れている。
「くそ、あの兵士思いっきり殴りやがったな」
徐々にぼんやりとだが、何があったかを思い出し始め、一人悪態を吐く。
シオンがいたのは2級階級居住区の一室に置かれたベッドの上だった。
おそらく意識を奪われ、荷物を回収されたあとこの部屋に投げ込まれたのだろう。
枕の上に乗った足を引き寄せ、ベッドの上で座り込む。
二級階級居住区とは特級、一級に次ぐ三番目に良い部屋である。
特級は“自称”政治家に、一級は国の発展における重要人物などに与えられる。
級数は物資と金の配当を決めるヒエラルキーと従事している仕事の重要度を示す。
運び屋は通常は三級に割り当てられている。
だが、二年以上生き残っている運び屋は二級へと格上げになる。
五年間運び屋を続けているシオンはもちろん、現役時代のローグも二級階級だった。
普通の運び屋は世界中の国を飛び回り、荷物を届けるという仕事の性質上、定住地を持たない。
そのため、あらかじめ入国申請を行い部屋や食事などを運び込む国に準備させる。
運び屋との友好関係の維持は国長にとって他国との友好関係を保ってことと同じもしくはそれ以上の重要度を持つ。
国内の人間の生存に必要不可欠な物資全てを自給できている国は存在しない。
そのため国と国は“貿易”を行い、自国に足りないものを補填する。
しかし、この世界は船もトラックも使えない。
そんな中で、唯一貿易を可能にしているのが運び屋だ。
物資があったとしても運び手がいなければ“貿易”は全く意味をなさない。
これは過去も今も同じである。
だから国は総力を挙げて運び屋との友好関係の構築、維持に尽力する。
運び屋との関係が悪化し、滅んだ国も一つ二つはあるらしい。
シオンは自分の意思で迫り来るさまざまな思考を停止させ、ベッドから立ち上がる。
二級階級以上の居住区の間取りはほとんど、どこの国でも同じである。
そのため、なにも考えなくても目的地に着くことができた。
支給品の入った箱を開けて、代替コーヒーを取り出す。
キッチンと名付けられているもののコンロやシンクなどはなく、あるのは加熱器と水タンクぐらいだ。
そもそも“料理”という言葉は死語となりかけていた。
支給される既成食品を加熱して食べる。
これがこの世界での“料理”と呼ばれる行為だ。
そのためキッチン自体必要でなくなった。
ただ、加熱器や水タンクを置くところを新しい言葉を作り広めるのが手間なため、便宜上キッチンと呼んでいるだけだ。
完成したコーヒーから出てきた白い湯気がシオンの元へ香りを運ぶ。
もちろん香りも味も別のもので無理矢理に再現されたものだが、代替コーヒーはこの世界で数少ない嗜好品の一つだ。
シオンは仕事を終えると必ずこれを飲む。
ズズッと音を立てながら熱いコーヒーをすする。
いつもならここで一仕事終えたと達成感に満ち溢れてるのだが今回は違った。
コーヒーが美味しくないのだ。
もちろん代替とはいえ味が悪いわけではない。
心がコーヒーを楽しむことを許さないのだ。
シオンはそっとコーヒーを机に置く。
力なく何歩か歩いたあとシオンが唐突に口を開く。
「なにが大丈夫だ!なにが後悔しないだ!このクズ野郎がぁ!」
堪え切れなくなった後悔と怒りの念がシオンを叫ばせた。
どれだけ思考を止めようとしても脳にあの瞬間がこびりついて離れない。
生気のないアランの顔、苦しそうに泣く兵士の顔、シンシアの一瞬だけ見せた不安そうな顔、いくつもの光景が頭の中をながれていく。
シオンの呼吸がどんどんはやくなる。
——君はなにもしてないよ?
男とも女とも取りづらい声がささやく。
音がどこかは聞こえてきているかわからない。
シオンは自分しかいないはずの部屋にどうして別の声が聞こえてくるか疑問に思わなかった。
「俺がアランを殺したんだぞ!」
シオンはどこからともなく聞こえてきた声に反論しながら机に拳をぶつける。
コップが音を立てて揺れ、中のコーヒーを少し吐き出した。
拳に鈍い痛みが残る。
——殺したのはあの兵士で君は彼を連れてきただけじゃないの?
また声が語りかけてくる。
シオンの心を逆撫でするような言葉が彼を追い込む。
「俺が連れてきたから殺された!俺が連れてきたから殺させた!何もかも俺のせいだ!クソッ!」
シオンは言葉で自分自信を傷つけていく。
呼吸はいまだに速いままである。
——連れてこなくても彼は病気で死んだんじゃない?
「ああ、そうかもな!だがそうだとしても仲間と共に最期を迎えられたろうよ、俺が余計なことをしなければ…」
シオンは机に拳を押し付けたまま、地面に膝をつく。
「人間って面白いね、本質が利己的であるのに他人に対して興味を抱き、干渉していき、そして傷つく」
シオンは自分に対する自責の念と怒りの中、ふと疑問が浮かぶ。
“あの声は何だ?”
シオンは部屋に侵入してきた者がいるとようやく理解する。
肌身離さず身に付けているナイフを引き抜きながら声の主を探して周囲を見回す。
「やぁ、シオンくん…だっけ?」
そこには顔の半分が髑髏で覆われた少女が笑顔で立っていた。