テーマ×テーマ小説 (主人公:うさぎ×現場:廃病院)
こんにちは、葵枝燕です。
この作品は、我が姉の唐突な思いつきから書き始めた作品の第五弾です。
詳しくは、後書きにて語りたいと思います。
それでは、どうぞご覧ください!
うさぎは、たったひとりで、そこにポツンと座っていました。辺りは暗く、窓ガラスは割れ、壁のペンキは剥がれています。うさぎの座っているベッドも、ボロボロでした。
(ふぅ……)
うさぎは、そっとため息をつきました。毎日毎日、同じ日々の繰り返しだったからです。一日中、身動きできずに、同じ場所に座っているだけ――それが、今のうさぎに与えられた、一日の過ごし方でした。
(あの頃が、懐かしい)
思い出すのは、遠い昔のことのようでした。それでいて、つい最近あったことのようにも、うさぎには思えました。
「けーちゃん!」
明るい声が、部屋の中に響きます。四つのベッドが並んでいる、そんな空間の入り口に、セーラー服姿の一人の少女が笑顔で立っていました。日に焼けた小麦色の肌と、短い髪が相まって、まるで男の子みたいな少女でした。
「ゆのちん! 来てくれたんだ」
“けーちゃん”と呼ばれた少女は、その少女の姿を認めると笑顔になりました。肌は白く、頭にはピンク色のニット帽をかぶっています。点滴を打っていない右手をヒラリと振って、けーちゃんは少女を迎えました。
「久しぶりだね、けーちゃん」
“ゆのちん”と言われた少女は、けーちゃんの寝ているベッドまで来ると、近くにあった丸椅子を引き寄せて座りました。
「そだね。ゆのちんが退院してから会ってないから――一ヶ月くらいぶりかな」
「そんなに!? そっかぁ……ごめんね、なかなか会いに来れなくて」
そんな会話を交わす二人の少女を、うさぎは、けーちゃんのお腹の上に座りながら見ていました。そして、ゆのちんがまだここにいた頃の二人を、思い出していました。見た目も、性格も、好きなことも、それぞれが異なる二人の少女がとても仲が良いことを、うさぎは知っていたのです。
そこで、うさぎの記憶はプツリと途切れました。唐突に映像を切ったようなその終わり方に、うさぎは一瞬理解が追いつきませんでした。それでも、すぐに気付きました。
(ああ、そうか)
うさぎは知っていました。あの二人の少女のことを、忘れてしまったわけではないことを。これはきっと、幸せだった日々だけを切り取って、残しておきたいという一心で、自ら思い出すことをやめてしまったのだということを。
(ここは、そういう場所だったから)
出会いと別れとを繰り返す――それが、この場所でした。今ではもう、その面影さえもなくなってしまったこの場所には、そんなたくさんの物語がありました。楽しい記憶も、哀しい記憶も、全てがこの場所にあります。うさぎは、その一部をずっと見てきました。その一部に、寄り添ってきました。
(だから)
記憶を途中で止めるのは、その後を思い出すのがつらくなるからだと、うさぎはいつしか理解するようになりました。哀しい記憶の方が、深くこの身に根を下ろしていることを、知っていたのです。
辺りが、ひっそりと明るくなり始めます。何度目かの朝の気配です。うさぎは、そっと目を覚ましました。今日も、辺りは静かで、物音ひとつしません。そして、相変わらず、建物は至るところがボロボロでした。うさぎはそれらをザッと見回して、小さなため息をひとつこぼしました。
そのときです。うさぎの耳が、聞き慣れない音を拾いました。その音は、近付いてくると、うさぎのすぐ近くで止まりました。
「驚いた。ほーんとに、何にもねぇや」
うさぎは、チラリとその声の主を見ました。それは、黒光りする羽と嘴をもった、一羽のからすでした。からすは、うさぎの視線には全く気付いていないのか、キョロキョロと部屋の中を見回しました。
「ヒュウのやつが『お化けを見た』とかぬかしやがるから、わざわざ様子を見に来たってぇのに」
からすは、しばらく辺りを見回してから、室内にピョンと降り立ちました。そのまま、跳ぶように移動します。うさぎはその気配を、そっと追っていました。
(羨ましい、な)
ふと、うさぎの中にそんな思いが芽生えました。自分の意志で動ける身体を持つからすが、何だか羨ましく思えたのです。自分には、到底手に入れられないものだと、手の届かないものだと、うさぎは知っていました。だからこそ、跳ね回るその気配が羨ましかったのです。
そのときでした。唐突に、うさぎの頭が重くなりました。しかも、視界がグラグラ揺れます。うさぎはその突然の出来事に、とても混乱しました。
「おっかしいなぁ」
そんな声が、うさぎの頭上から降ってきました。それが、先ほどから室内を跳ねるように移動していた気配に重なり、うさぎは少しだけ落ち着きを取り戻しました。
(からすさんかぁ)
そう思った瞬間、うさぎの真横に黒い身体が並びました。それはそのまま跳ぶように移動して、うさぎの顔の真正面へとやって来ました。
「何か、ずっと見られてるように思ったんだが……まさかな」
そう言いながら、からすは首を左右に動かしました。うさぎを観察しているのです。時々位置を変えながら、からすはうさぎをジッと見ていました。
「なぁ、さっきからオレを見てるのは、あんたなのか?」
うさぎは、返事をしません。いえ、返事などできるわけがありませんでした。うさぎは、自分自身の身体すらも動かすことができないのです。だから、ただジッとからすを見つめ返しているだけでした。
「やっぱり、あんたなんだな」
確信を持って、からすは言いました。目の前にいるうさぎは、何も表情を変えません。それでも、からすには、うさぎが驚いているように思えました。
「オレは、ルーク。この辺を縄張りにしてるからすのリーダー――的なことをしてる」
からすは、そんな言葉を並べました。うさぎは、やはり表情を変えません。それでも、からすは話を続けました。
「ここはもう、だいぶ前に廃院しちまったって聞いてたが……あんたみたいなやつがいたとはな」
うさぎの中に、その言葉は音もなく刺さりました。必要とされなくなった自分を、突き付けられるような気がしました。
(きっと自分は――……)
この場所で苦しみ、この場所で喜び、この場所で生まれ、この場所で消えていく――そんなたくさんの物語に、うさぎは寄り添ってきました。だからこそ、自分が寄り添ってきた数多の物語に、自分が本当に必要とされていたのかが、うさぎはずっと気にかかっていました。
からすが、そんなつもりで言葉を発したとは思いません。きっと、思ったことを率直に口にしているだけなのだと、うさぎは何となく感じていました。それでも、一度暗いところへおちた思考は、なかなか元に戻ってはくれないのです。
「すまねぇ。あんたのこと、悪く言うつもりはないんだ」
うさぎは、驚きました。目の前にいるからすは、どうやら自分の考えていることがわかっているようです。
「あんたはきっと、長いこと独りだったんだよな。オレには、あんたの全てなんてわかりっこないが、あんたが何を考えているかは、何となくわかる気がする」
からすが一歩、うさぎに近付きます。
「もしもあんたが寂しいのなら、オレでよければ」
からすの黒い瞳が、キラリと光りました。それは、とても穏やかで優しい光でした。
「また来るよ」
そんな言葉を発した瞬間、からすは唐突に羽を拡げて、ひび割れてボロボロの建物から飛び去っていきました。うさぎは、そんな黒い影を静かに見送りました。
(からすは、嫌われ者だと思っていたけど、あのからすさん――ルークさんは違うみたいだ)
いつもの朝の気配。いつもの朽ちかけた雰囲気。そんないつもの気配に、やはりいつものようにひとりきりのうさぎ。自分だけの力では何もできない、それを感じるいつもの朝。
そんな虚しいだけだった朝に、うさぎはどこか幸福な気持ちを感じていました。
『テーマ×テーマ小説 (主人公:うさぎ×現場:廃病院)』のご高覧、ありがとうございます。
この小説は、前書きでも述べたとおり、私の姉の唐突な思いつきで書くことになった作品です。その思いつきというのが、「主人公と現場のテーマを五つずつ出し合って、それぞれから一つずつ引いて、それで何か書こうぜ!」と、いうものです。
そして、第五回となる今回のテーマが「うさぎ×廃病院」でした。主人公テーマは私の考案で、現場テーマも私の考案です。前回と一緒ですね。このテーマが決まったとき、姉は「難しいだろこれ!」とわめいておりました。いやいや、あなたの出してきた主人公テーマ「フリー(自由)」よりかマシだろ――と、私は思うのですが。
話としては、何年も前に廃院になった病院を舞台に、その病院でずっと独りだったうさぎのぬいぐるみと、仲間のつまらない噂話でやって来たからすさんが出逢う――という感じですよね。作中で直接的には“うさぎのぬいぐるみ”とは書かなかったのですが、きっとバレてるだろうなぁ――と思ってしまいます。あと、なぜか「からすを出したい!」という思いに取り憑かれました。
そんなこんなで、今回もどうにか、無事に一つの話を作り上げることができました。十一月ギリギリではありますが、まあそれもいつものことですしねぇ。
第六回のテーマはまだ決まっていません! 多分、今夜あたり決める……かもしれないですが。さてさて、次のテーマは何になることやら……。
さてと。今回はこのへんで。
この度は、拙作のご高覧、誠にありがとうございました!