七 リュウガ
今朝はきれいに晴れて、きのうの雨がうそのよう。朝ごはんをすませると、アユは麦わら帽子をかぶり、外に飛び出した。
赤いおはじきを、しっかりとポケットに入れて、
きのう、鏡台の引き出しでこれを見つけてから、なぜか気ぶんがすっきりしている。きっと、もうひとつの青いおはじきも、どこかですぐに見つかるにちがいない。そのときこそ、じぶんの願いもかなうんじゃないか……
土手の上の道に駆け上がったとたん、向こうからぐんぐん近づいてくる人影に気づいた。タケノリを先頭に一輪車に乗った男の子たちと、はち合わせたかっこう。
五、六人の男の子が器用に一輪車をあやつりながらアユをとりかこみ、ぐるぐる回りはじめた。タケノリの声がひびいた。
「なんだおまえ。またデートに行くとか」
目をしばたたかせていたアユが、いきなり拍手をはじめたので、今度は男の子たちが目をまるくする番だ。
「すごいすごい! サーカスに出られそうだわ」
「うわっ!」
声を上げてタケノリがひっくり返り、ほかの男の子たちが、どっと笑う。
「これからユカルくんと青い魚をさがすの。よかったらいっしょに手伝いなさいよ!」
尻もちをついたまま、きょとんとしているタケノリに手をふって、アユは青空の中に駆けだした。
いつもどおりの白いシャツを着て、ユカルは岸辺に立っていた。今日は網を手にしてはいないようだ。おはじきのことは、きのう話してある。アユには、おはじきをさがすのも青い魚を見つけるのも、同じことのように思える。だって、おはじきはゆめの中で魚になったのだから。
「行こう」
二人うなずきあうと、アシの葉の茂みにそって流れをさかのぼる。とちゅう、釣り糸をたれているおじいさんに出会う。赤く日焼けした、いつも笑っているような四角い顔がこっちを向くと、二人とも頭を下げた。
「こんにちはカニゾウさん」
「ワハハハ、ヨシゾウだよ。もう友だちができたんね」
そうだ! と、いきなり手をたたいたのは、アユ。
「ね、カニゾウさん。前にわたしがいなくなったとき、どのあたりで見つかったのかしら」
「そんなら、よく覚えとるよ。向こうに一本だけ、ケヤキの木が立っとるだろう。あの根もとで、川が二つに分かれとるがナ。その細いほうの流れを、だいぶさかのぼったところさァ」
大木の下は、青い陰にすっかり、つつまれていた。幹の前では、古い木のほこらが、やぶにうもれかけている。流れはほとんど草にかくれて見えないけれど、耳をすませば、たしかに水の音が聞こえてくる。
「知らなかったな。こんな支流があったなんて」
木もれ日の中で、ユカルがつぶやく。ケヤキの先へ進もうとしたとき、ほこらの下の茂みが、がさがさと揺れた。あっという間に黒い影が飛び出して、両手を大きく広げて二人を通せんぼするかっこう。
ぼさぼさの白髪。銀色に目を光らせ、ぼろぼろに欠けた歯をのぞかせて、ザンババはさけんだ。
「通ることは、ならん! ならん!」
おどろいて動けなくなったアユの前に、ユカルは一歩ふみ出すと、胸を張ってこたえた。
「ぼくたちは青い魚を見たいだけなんです。けっしてきずつけたりはしませんよ、オオバコさん」
いきなりオオバコさんと呼ばれたせいか、ザンババは腰がぬけたようにぺたりとすわりこんだ。ユカルに手を引かれて通りすぎる間も、口の中で何かつぶやいていたけれど、これ以上じゃまをしようとはしなかった。
川幅はしだいに広くなり、アシの葉の間から、とうめいな流れがのぞきはじめた。底にしずんだ小石のひとつぶひとつぶが見分けられるほど、きれいな水の中を、様々な魚たちがすべるように通りすぎる。
「リュウガの川とそっくりだ……あっ」
ユカルが息をのむ音が聞こえたとき、
ゆぅらり。
川の中に青い影があらわれた。
大きなコイほどもある魚は、宝石でできているような青い背中をくねらせながら、ぐんぐん流れをさかのぼってゆく。水底の石に映る影さえも、サファイアのように青いのだ。
二人は思わず顔を見合わせた。
「追いかけよう!」
「うん!」
流れにそって、むちゅうになって駆けてゆく。二人がついてくることを知っているように、魚は青い光を放ちながら、ゆぅらり、ゆぅらりと泳ぐ。
アシの葉にふちどられながら、川はどこまでも続くようだ。ずっと走りつづけているのに、少しも息がきれず、反対に体がどんどん軽くなるように感じられる。
すぐ近くを、小さな生きものたちが、す早く通りすぎた。
(トンボかしら)
でも羽の音がしなかったから、よく見るとそれは小魚の群れだった。
(ええ?)
アユは目を見ひらいた。いつのまにか地面がなくなっていて、青い水がどこまでも深くつづいている。
水面は頭のずっと上にあり、木もれ日に似た光がさしてくる。
息はすこしも苦しくない。泳いでいるというより、ゆめの中で空を自由に飛びまわっている感じに近い。これならどんな遠くへだって行けそうだ。手をつないだまま、アユ子はユカルと笑顔をかわした。
もっと速く泳げるように、二人で体をななめにかたむけたとたん、アユ子のポケットからおはじきが飛び出した。それは水の中で燃え上がると、とうめいなガラスからぬけだして、大きな赤い魚に変わる。ふたごのように形のよく似た青い魚と赤い魚は、仲よくたわむれながら、二人をみちびいてゆく。
水はしだいに深さを増すようだけど、明るい月夜ほどの光がつねに満ちている。まわりには、柱時計や古いたんすや本やぬいぐるみや電話器なんかが、生き物のようにぷかぷかとただよっている。それらの間を、大ぜいの子どものような影ぼうしが、くるくると遊びまわっている。
カンムロウたちだ。
けれどもアユは少しも怖くなかったし、かれらがよろこんで出むかえてくれているのがわかっていた。
大きな岩の角をひとつ曲がると、ちょうど空からながめるかっこうで、おもちゃの庭のように美しい村の景色があらわれた。水の底にしずんでいるのに、木々は青々と葉を茂らせている。
田んぼもある。赤いポストも見える。あぜ道で草花が揺れている。
荷台に藁をいっぱい、つんだままの三輪トラック。電柱に立てかけた自転車。身を寄せあうようにして建っている家の屋根……そうして村じゅうが満月の光に照らされたように青いのだった。
「リュウガだ……!」
ため息まじりに、そうつぶやいたユカルの口から、とうめいな泡がこぼれた。
赤い魚と青い魚は、村はずれにみえる一軒の家に、だんだん近づいてゆくようだ。
カボチャが黄色い花をたくさんつけている。枝をいっぱいに広げたエノキがある。その根もとにはヒメガミさまのほこらも見えたから、ここはオオバコさんの家にちがいない。
魚たちに続いて小窓のひとつに吸いこまれたかと思うと、アユとユカルは、きちんと片づいた畳の部屋にいるのだった。
麦わら帽子をぬぐと、髪がふわりと広がり、無数の小さな泡が浮き上がる。障子の外から青い光がさして、行き交う魚たちの影を幻燈のように映している。
やがて、さらさらと障子が開くと、白い髪をきれいに結ったおばあさんがあらわれた。コンペイトウやマシュマロの入った盆を畳の上に置きながら、オオバコさんはにっこりと二人にほほえみかけた。
「よく来てくれました。むかし話のつづきを聞かせてあげましょうね」
やがて話しはじめたおばあさんの声は、ゆめの中でアユが聞いたのとそっくり同じだった。
*
だれもかれもがお月さまのように目をまるくしてナ、このゆめのような光景をただ見守るばかりさァ。
ようやく我に返られた庄屋さまは、はかまがぬれるのもかまわず、ざぶざぶと川の中に入ってゆくと、刀をぎらりと抜いて声をはり上げた。
「おぬしがカンムロウの王子か!」
「さようでございます」
澄んだよく通る声で、若者がそう返事をした。肩をいからせて、なおも庄屋さまは言いなさる。
「たいせつな姫をさらうとは、にくいやつめ。今すぐ返してもらおう。さもなくば川をせきとめ、おまえたちを一匹のこらず干ぼしにしてやるつもりだが、どうじゃ?」
若者は、よりそっている姫さまに顔を向けると、
「いかがなさいますか。あなたが帰りたいとおっしゃるのなら、わたしには引き止めることはできません」
と、ささやいたのさァ。
姫さまは、悲しげに首をふったように見えた。それから庄屋さまのほうを向いて、こんなふうに語られた。
「たいせつに育てていただいたご恩にそむき、おとうさまには申しわけなく思っております。けれどもわたくしは、このお方の国でとても楽しく、しあわせにくらしております。ですから、どうか川をせきとめるなどとおっしゃらないで。娘のことをずっと好きでいてくださるのなら、どうかわたしたちのことを、そっと見守っていてください」
姫さまと若者が、笑顔でうなずきあうのが見えた。次に川をわたってきたのは、とても澄んだ王子の声でナ。
「そうすれば、わたしたちは村の守り神となり、これから先はカンムロウたちも、けっして村人にわるさをしなくなりましょう。大雨が降っても川はあふれず、日でりのときも水がたえず、村は毎年豊作にめぐまれましょう。この川が美しく流れつづけるかぎり、かならず約束はお守りいたします」
二人にそう言われては、庄屋さまも刀をおさめるしかなくてナ。
「わかった。おまえたちの好きにするがよい。だが、年に一度の川祭には、かならず元気な姿を見せるようにいたせ。そなたが楽しく暮らしていることさえわかれば、わしにはもう何も言うことはない」
「お約束いたしましょう」
若者がそうこたえると、庄屋さまは涙をながしながら、けれども笑顔をいっぱいに浮かべておっしゃった。
「すえながく、姫を幸せにしてくれよ!」
姫さまと若者は手をとりあって、深々とおじぎをした。すると、川からあふれた青い光にとけこむようにして、二人は家来たちといっしょに川の中にかくれた。
姫さまのお顔は幸せそうにかがやいておったと、あとで村人たちはうわさしあったものさァ。
約束どおり、それからカンムロウはけっしていたずらをしなくなった。このできごとを記念して、殿さまはやぐらをたてたあたりに、ヒメガミさまのほこらをお作りになった。
そうして、どんな日でりのときも川は美しく流れつづけ、村では毎年、作物が豊かに実った。今でもときどきナ、きれいな月の夜なんかに、川で遊ぶ姫さまの姿を見かける者がおって、村人たちの語りぐさになっておるのさァ。
「むかァし、むかし。たいそう川遊びの好きな姫さまがおってナ」
*
やわらかな風の中で、アシの葉がかさこそとささやいている。
アユはユカルと手をつないだまま、河原にぼんやりと立っている。
顔を見合わせると、大きくまばたきしているユカルも、たった今ゆめから覚めたようだ。けれども、その澄んだ瞳を見ているだけで、たずねなくてもわかるのだった。二人が青い魚を見たことも。そうして、魚たちにみちびかれて、リュウガまで旅したことも。
そのしょうこに、アユは青いおはじきと赤いおはじきを、しっかりとにぎりしめていたのだから。
おとうさんがキノハシにたずねてきたのは、その日の夕方だった。
おばあちゃんの家の縁がわにすわって、スイカを食べながら、おとうさんとおかあさんとアユと、三人でいろんな話をした。
「ねえおとうさん、わたし、もうしばらくここにいてもいいかな」
やわらかな風が吹いて、りん。と、ガラスの風鈴を揺らした。おとうさんは少しやせたようだ。いつもきっちりとスーツを着ているのに、シャツはよれよれで、ぶしょうひげを生やしている。けれど、笑うとそのほうがやさしそうに見えるのだ。
「いいよ。じつは夏休みをとってきたんだ。今まであまりかまってあげられなかったからね」
「ほんとう!?」
思わずさけんだのは、おかあさん。アユはひさしぶりに、思うぞんぶんおとうさんの腕にしがみついた。
「それとね、来年もその次の夏休みも、みんなでキノハシに来たいの。友だちがたくさんできたから!」
ポケットの中にしのばせていた赤と青、二つのおはじきが、カチリとふれあう音がひびいた。
青い小さな花がいっぱいに咲いたように、こずえで星がまたたき、遠くからは水の流れる音が、さらさらと聞こえていた。(おわり)