五 冒険
朝ごはんを食べ終えるころにはもう、陽ざしがまぶしかった。今日はなるべく動きやすいような服をえらんで、その下にはしっかり水着を着ていた。これならどんな冒険をしても平気だろう。
河原まで走って行くと、ユカルはもう先に来て待っていた。きのうと同じように柄の長い網を手に、白いシャツが日の光をあびている。しぜんとこぼれる笑顔にまかせて、アユは土手の上から大きく手をふった。
「ユカルくーん!」
男の子は網をふってこたえている。土手を駆けおり、どこかはにかんでいるような顔と向き合うと、しぜんに声がはずんだ。
「いよいよ冒険開始だね!」
アシの葉のささやき声を聞きながら岸にそってあるく。
ときどき立ち止まっては、川の中をのぞきこむと、すぐ足の下を魚たちがどんどん通りすぎてゆく。銀のうろこがきらりとひるがえり、石の間にすべりこむ様子まで、はっきりと見える。遠くで魚のはねる音。向こう岸から首をのばして、じっと様子をうかがっているシラサギ。二人の足音におどろいたのか、一羽のクイナが茂みから飛び出し、さざ波のもようを水面に描きながら大あわてで飛びたった。
「きゃっ!」
ころびそうになったアユが頭から水をかぶる前に、ユカルがすばやく抱きとめた。
「だいじょうぶ?」
顔をみあわせたあと、声をそろえて笑った。何でもないことで、こんなに笑ったのはずいぶん久しぶりかもしれない。
「ここから、あの島までわたれそうだね」
アユが指さした流れの中に、いくつもの石が顔を出して、飛び飛びに中州までつづいている。ユカルはうなずくと、器用に石の上でバランスをとりながらわたる。とちゅうでふりむいて、軽くガッツポーズ。光の縞もようが描かれている白いシャツを追って、アユも中州におりた。
緑のカーテンをかき分けると、中はきれいな白い砂地だ。そこに緑のじゅうたんを広げたように、ツメクサの茂みがあり、セリやアザミやキツネノテブクロが咲きみだれている。背の高いアシがまわりをかこんでいて、揺れるたびに茂みの間から、光る水面をのぞかせた。
「少し休けいしましょう」
そう言うとアユは草の上に寝ころがって、手足をうんと伸ばした。われながらまるで別人になった気分。クラスでは「おとなしい子」でとおっているのに、川で遊ぶと、たちまちおてんばに変身するのだろうか。風がやわらかく頬をくすぐり、遠くでコロコロと水鳥が鳴いた。
うんと勢いをつけて体を起こすと、まぶしそうにユカルを見上げた。
「ここにすわって。リュウガのことをもっと聞かせて」
ちょっと肩をすくめたあと、言われるままに、ユカルはとなりに腰をおろした。
「オオバコさんのことを、もう少し話そうか。なぜか小さなころのぼくを、とても気に入ってくれてね。一人で近くで遊んでいるとよく家に招いて、おかしをくれたりしたよ」
小ざっぱりしたお座敷には、竜のかけじくや、鬼の面がかけられている。しょうじのすぐうしろから、まるですぐそこに川が流れているように、水の音が聞こえている。
でも、ユカルが本当に楽しみにしていたのは、おかしよりも、オオバコさんがいつも話してくれるむかし話だった。
急に胸がどきどきして、アユは身を乗り出さずにはいられなかった。
「どんな話なの」
「そのころは、ぼくもまだ小さかったから、今ではとちゅうまでしか覚えていないんだけど、リュウガに伝わるむかし話だったよ。本にものっていなければ、ほかの人から聞いたこともない話だったなあ」
「カンムロウが出てくるんでしょう。それと、川あそびの大好きなお姫さまも!」
おどろいた様子で、ユカルは大きく目をしばたたかせた。
「アユちゃんは、本当に何でも知っているんだなあ。できれば、続きを聞かせてくれないか」
「つづきを?」
「うん。ずっと気になってたんだ。あれから、お姫さまたちがどうなったのか……」
色ガラスみたいにすきとおった瞳の前で、けれどもアユは、すまなさそうに首をふる。
「わたしにもよくわからないの。だれに聞いたのかさえ覚えていないくらいだし……」
「それじゃあ、お互いに知っているところまで出しあってみるのはどうだろう。そうすれば、忘れていたところも思い出すかもしれない」
大きくうなずいたアユに、ユカルは笑顔でこたえると、川の流れを見つめながら話しはじめた。
むかしむかし……
それは思ったとおり、アユが覚えているのと同じ話だった。
リュウガという美しい村に、川あそびの大好きなお姫さまがいた。
けれども、ある満月の夜、見知らぬ若者がたずねてきたあと、とつぜん姫さまはお屋敷から消えてしまう。村じゅう総出でさがしても見つからずにいるうちに、姫のぞうりが川で見つかる。きっとおぼれたにちがいないとだれもが思い、父親の庄屋もあきらめる。
ただ、月のきれいな晩なんかに、姫の姿を見かける村人が何人もいた。
一年がすぎて、ふう変わりな旅のお坊さんが村にやって来た。その人はふしぎな力をもっていて、姫はカンムロウの王子にさらわれたのだと言う。
そこでお坊さんのさしずどおり、岸辺にやぐらが組まれる。満月の夜、やぐらにのぼったお坊さんは、庄屋や村人が見守る中、いっしょうけんめい祈りはじめる。
真夜中ごろ、ついに川の中から、世にも美しい姫と若者があらわれて、
それから……
しずかにささやいていたアシの葉が、いきなりがさがさと、らんぼうな音をたてた。びっくりした二人が立ち上がると同時に、青い顔をした小さな怪物たちが、わらわらと飛び出してきた。
「見ぃーたぞ、見たぞ」
腰をかがめ、広げた手の指を顔の横で動かしながら、いくつもの真っ黒い体が、二人のまわりをぐるぐる回った。緑の顔は、けれど妖怪なんかじゃなく、大きなクズの葉の、目のところをくりぬいたお面だと、すぐに気がついた。
「ユカル、おまえ、何しよったんか」
ひときわ肩はばの広い怪物が、笑い声まじりにそう言った。きのう、アユをおどかしたのと同じ、タケノリの声だ。
「青い魚をさがすとか言うて、かっこつけてよう。ほんとうは、女子と遊びよったんじゃなかとか?」
「ちがう!」
人が変わったような大声で、ユカルがさけぶのを聞いた。
たちまち、強い力でつき飛ばされ、アユは砂の上にたおれこんだ。タケノリとユカルの取っくみあいがはじまり、まわりで男の子たちが、はやしたてた。あの細い腕からは信じられない力で、タケノリが投げ飛ばされるのを見て、アユは怖くなって顔をふせた。
砂まみれのまま、ようやく立ち上がったときには、あたりにはもう誰もいない。ただ、めちゃくちゃに踏みあらされた草の上に、まっぷたつに折れたユカルの網が転がっていた。
とぼとぼと、土手の上の道を帰るとちゅう、後ろから車の音が近づいてきて、派手にクラクションが鳴らされた。まもなく見おぼえのあるジープが横に止まり、
「よう、どうかしたとか。しょんぼりしちまって。帰るんなら乗っけてくぜ」
ひじを窓わくに引っかけたまま、カウボーイは帽子をちょっと指で持ち上げた。となりの席には見知らぬ女の人がすわっている。いなかには場違いな服を着て、まっ赤な口紅をつけている。席は二つしかないのに、どうやって乗れというのだろう。アユがことわると、カウボーイは笑いながらまたジープを走らせた。
「気分でもよくなかとね?」
晩ごはんにほとんど手をつけなかったアユに、おばあちゃんが心配顔でたずねた。
なま返事のまま、はしを置いて立ち上がると、一人、縁がわに出た。こずえの間で光る星の数が、きのうよりずっとへっているように見えるのは、雲が出はじめているせいだろう。知らぬ間にひざをぎゅっとつかんで、アユは眉をひそめた。そこにはばんそうこうが、二つはってある。
まばらな星々が、ぼっとかすんだ。
(お家に帰りたい……)