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四 ユカル

 お風呂から上がると、おばあちゃんが浴衣を出してくれた。おかあさんが子どものころ着ていたものを仕立て直したのだという。鏡台の前に立ち、何度もくるくると向き直っているアユに、おばあちゃんは目を細めた。

「よしよし。よう似おうとる。そのまま着てなさいね」

 お祭の日以外にこんなかっこうをするのは、ちょっと変な感じ。でも、おかあさんも浴衣姿だし、二人でスイカを持って縁がわに腰かけた。見上げると、こずえの中でまたたく星は、まるで木に実っているよう。

「こんなに星が大きく見えると、なんだか怖いくらいだね」

 アユはそう言ってスイカをかじった。見かけはでこぼこしていたのに、街で買うより何倍も甘い。りん、と背中でガラスの風鈴が鳴ったあと、おかあさんがぽつりと言う。

「ね、お昼に会ったケンちゃんのこと、アユはどう思う?」

 じつを言うと、気どったカウボーイの顔を思い出しても、あまりいい気もちがしない。髪をくしゃくしゃにされて痛かったし、先に帰ると言ったときもわざと知らん顔をしていたじゃないか。けれど、もんくを言う理由にはならないので、

「よくわからないけど」

 そうこたえると、おかあさんは、ちょっと残念そうにまた星空へ顔を向けた。なぜ急にこんなことを言い出したのか、何となくわかる気がして、次におかあさんが口をひらくまで、はらはらしながら待っていた。

「もしも……もしもの話よ。わたしがキノハシにずっと住むことになったとして、アユはおかあさんといっしょにいてくれる?」


 ふとんに入ったあとも眠れないまま、アユはじっと目を開けていた。

 とうとう今日もおとうさんから電話がなかった。もしもずっと連絡がなければ、本当にこのままキノハシにいることになるのだろうか。学校の友だちにも、おとうさんにも、もう二度と会えないのだろうか。

 そんな不安が次から次へと胸を通りすぎる中、昼間出会った白いシャツの男の子のことを考えるときだけ、気分が少し楽になるように思えた。

「五年生だよ。だからきみより一つ上になるね」

 雨の音は聞こえなくなったものの、波紋はもんをいっぱいに浮かべた水面が、まだ降っていることを教えている。シダの葉にかこまれて、暗い口をぽっかりと開けたふちの様子は、夕立ちをまるごとのみこんで満足している怪物のよう。

「ぼくはもとからキノハシにいたんじゃない。去年の春に、リュウガというところから引っ越してきたんだ」

「リュウガ?」

 聞き覚えのある名前がユカルの口から飛びだしたので、アユは思わずたずね返した。

「そう。この川をもっと山奥へさかのぼったところにある、キノハシよりずっと小さな村だよ。郵便局もないくらいのね」

「手紙も出せないんだ」

「アハハ、ポストくらいはあるさ。週に三回、キノハシから集配に来てくれる。小包があればそのときあずかってもらえばいい」

「でもそれじゃあ何かと不便でしょう。お店はあるの?」

「一けんだけね。缶づめから自転車の空気入れまで、一応いろいろ売っているけど。空気入れなんかみんなが借りにくるものだから、売れる前からオンボロなんだ。自転車の修理屋になればよかったって、麦わらさんは笑っていたっけ」

 麦わらさんと呼ばれている店の人は、やせて背が高く、おまけにいつも麦わら帽子をかぶっているから、かかしそっくりだという。月に一度くらい、とびっきり早起きすると、何時間もトラックを運転して町に仕入れに出かけている。

 ついでに村の人たちから、いろいろ買い物をたのまれるので、じぶんの店の仕入れよりも、おつかいのほうがよほど時間がかかる。帰ってくるのはいつも夕方おそく。公民館の外灯の下で待っていた村人たちに、たのまれたものを手わたすとき、麦わらさんはサンタクロースみたいに笑っている。

 アユはちょっと信じられない思い。どこでも何でも売られている都会とちがって、いなかはずいぶん不便そうなのに、ユカルは話しながら、生き生きと目をかがやかせている。

「だけどダムを作るために、村の人たちはみんな引っ越さなければいけなくなった。今ごろは村ごと水の底に沈んでいるだろう」

 急に声をひそめて言うと、ユカルはどこか苦しそうに空を見上げた。雲の切れ間から、澄んだ青空がのぞき始めていた。

「リュウガは本当にきれいな所でね。どう言えばいいのかな……とにかく何もかもが青いんだよ」

「青い?」

「うん。ともすると、昼間でも月の光にひたされているような気がするときがある。木々も原っぱも屋根も、麦わらさんのおんぼろトラックでさえ、光をいっぱいにためた水の底にしずんでいるように、青いんだ」

 ほっ、とアユはため息をついた。

 ひざをだいて目をとじると、本当に水の底にしずんでいるような、美しい村の景色がありありと浮かんでくる……いくつもの萱ぶき屋根。村はずれにひときわ大きく見えるお屋敷。鎮守ちんじゅの森。きらきらと、銀の粉をちりばめながら流れる川。

 その岸辺には、着物を着た人たちが大ぜい集まっている。材木で組まれたやぐらの上で、赤い火の粉が空へまいあがる。月に向かっておどりあがるようなしぐさで、一心に何かを祈っているお坊さん。

 川の中へ目をやると……

「カンムロウだ!」

 思わず声アユが声をあげると、びっくりしたように、ユカルは大きなまばたきをひとつ。

「川で見たの? よその子だとばかり思っていたけど、きみはカンムロウを知っているんだね」

 アユはどぎまぎしたけれど、おだやかな口ぶりでたずねられるまま、ここへ来るまでのできごとを話した。名前を教えたのも、このときがはじめて。

「カンムロウなら、ぼくも何度か見かけたよ。この淵にもいるみたいだね」

「ええっ」

「ハハハ、だいじょうぶ。言われているほど怖い怪物じゃないんだ。ただ、カンムロウがいる所で泳いだりするのは、本当にあぶないというだけさ。見かけによらず流れが急だったり、深みに足をとられたりするから」

「じゃあザンババという妖怪は? 子どもを食べるんだって、男の子たちが言ってたけど」

「アユちゃんも会ったんだったね。でもあの人は妖怪じゃない。本当はオオバコさんという名前で、リュウガにいたころは、とてもやさしいおばあさんだった……」

 オオバコさんという人は、リュウガの村はずれにある、川の近くの小さな家にたった一人で住んでいたという。

 その家のうらには空き地があり、カボチャ畑と呼ばれていた。ただの荒れ地なのに、毎年、カボチャがたくさん実るのだ。空き地の中に、一本の大きなエノキが立っていて、うっそうと茂ったこずえは、オオバコさんの家の屋根までとどくほど。

 そうして、エノキの根もとには、古い木のほこらがあり、いつも正面のとびらがぴったりと閉じているため、中をのぞいた人はだれもいなかった。

「ほこらの中には、ヒメガミさまという川の神さまがまつられていた。このヒメガミさまと話ができるのが、オオバコさん一人だけなのさ。だから何かこまったことがあると、村の人はオオバコさんの家をたずねてくる。ヒメガミさまに教えてもらうためにね」

 思わず身を乗り出したアユを見て、ユカルはくすりと肩をすくめた。

「たとえばね、ある人が五万円も入ったさいふをなくした。汗をふきふき相談にやって来ると、その人が腕に引っかけている上着を、オオバコさんはすぐに指さした。もう何十回引っくり返したかわからない背広の内ポケットに、お金だけそっくり入っていたんだ」

 また、あるとき麦わらさんのひたいにおできができた。

 病院で薬をぬってもらったけれど、少しも治らないどころか、ますますはれ上がる一方。たずねてきた麦わらさんの顔を見たとたん、オオバコさんは何を思ったのか、よれよれの麦わら帽子をひったくると、たちまち火をつけて燃やしてしまった。その晩のうちに、おできはすっかり治っていた。

 カボチャ畑の神さまとオオバコさんが、どんな方法で話しているのかわからない。話しているところを見た人もいない。けれども、村の中でヒメガミさまに助けられたことのない人は、ほとんどいないくらいだった。

 目をぱちぱちさせているアユの前で、ユカルはちょっと唇をかみ、話を続けた。

「オオバコさんが変になってしまったのは、ダムのせいなんだ。ずっと猛反対していたし、いよいよ立ち退かなくちゃいけなくなると、じぶん一人だけでも村に残ると言い張った。ふだんはもの静かで、身なりもきちんとしたおばあさんが、鬼のように髪をふり乱してね。市役所の人たちを相手に、ヒメガミさまのほこらにしがみついたまま、泣きさけぶんだ。とうとう親戚がむりやり車に乗せてキノハシに連れてきたときには、もう、もとのやさしいおばあさんには戻らなかった。まるで、タマシイをリュウガに置いてきてしまったように」

(積んでおやり)

 河原で会ったザンババの声が、耳の中でふいによみがえった。今思い返してみると、それは怖いというより、とても悲しそうなひびきをふくんいた。

「リュウガには魚がたくさんいたのね」

「それはもう、小さな子でも手づかみできるくらいさ。あと、ちょっとほかでは見かけないようなめずらしい魚が、たくさんいたなあ。中でもふしぎなのが、青い魚なんだ」

 きのう、橋の上で聞いたタケノリのさけび声が思い出された。ほかの男の子に笑われながら、この少年がさがしていたのが青い魚だった。

 ユカルは立ち上がると、ぬれたシダをふんで大きく伸びをした。雨はすっかり上がっていて、空の色はもう夕方が近いことを教えていた。

「リュウガにいたころ、何度も川で見ているんだよ。背中からながめると、大きなコイに似ているけれど、体をひねったところはだいぶちがう。図鑑をかりて調べても、わかったのは、どの魚とも似ていないことだけ」

「つかまえるつもりなの?」

「アハハ。この網はただのかざり。つかまえるふりでもしないと、タケノリたちの手前、かっこうがつかないからね」

 ユカルは言葉をきると、小さく肩をふるわせた。

「本当は、もう一度この目で、ちゃんと見たいだけなんだ。一度だけね、その魚が水の中からジャンプしたところをはっきりと見たよ。ちょうど夕方が近いころで、こんなふうに流れが淵を作っているあたりだった。陽の光を映した水面には小魚たちがちらちらと跳ねて、無数のさざ波を作っていた」

 とても遠くを見つめるような目つきで、少年は続けた。

「とつぜん、強く水をたたく音が鳴りひびいたときには、ぼくもカンムロウが出たのかと思って、どきりとした。けれど、銀のさざ波に青い宝石細工をはめこんだように、大きな魚がおどり上がったものだから、もっとおどろいたのさ。ほんの一瞬だった。けれどあのふしぎな姿はぜったいに忘れない。魚の図鑑にのっていないのはあたりまえだった。それは恐竜の図鑑を開かないと見つからないような、大昔の魚とそっくりだったから」

 ざっ。

 と、風が通りぬけて、こずえを揺さぶった。大つぶのしずくが、草の上にばらまかれた。

「こんなことを言っても、きみは信じないよね」

 ユカルがこっちを見ていることに気づくまで時間がかかった。まるでこの目で見たように、はっきりと青い魚の姿を思い描くことができたから。

 スカートをはらってアユは立ち上がると、ユカルのとなりに立った。澄んだ瞳には、夕日が映っていた。

「信じるわ。わたしもユカルくんといっしょに、その魚をさがしてみたいの」

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