結の一 マニフェスト&アクセル
特訓に次ぐ特訓の二週間は矢のように過ぎた。
晴れやかな空の色と髪を揺らす程度の爽やかな風が心地いい。
今日は日曜日。学業的には休日だが、この兼定は、特に敷地内の大アリーナは驚異的な人口密度を誇っている。
8000も備えられている席は、業界人や学生を含めた観客によってその全てが埋まっていた。
それほどまでに彼女らの、いや、奴の戦いを見たい者が多いのだ。
天野御使の人気はやはり規格外だ。
オンリートークライブだったとしてもこれくらいは呼べてしまうのかもしれない。
僕の隣で同じように大観衆を見上げる明寺。圧倒されているのだろうか? 輪郭がブレにブレて残像が見えるほどに、小刻みに震えてしまっている。
「流石に緊張するか? 前の試合の見物人はせいぜい百数十人だったもんな」
その問いに彼女は、
「いえいえまさか、これは武者震いの部類ですよ」
とこちらも身震いしそうな程の駄洒落を吐き、強張った笑顔を見せる。その強がる姿勢を僕は素直に頼もしく感じた。
「気を抜かないで下さい。天野君は強いですよ」
歩み寄り、明寺に声をかける偉皆。報酬を約束していたとはいえ、偉皆は毎日遅くまで特訓に協力してくれた。ちなみに報酬というのは、僕が一つだけ彼女の頼みをきくなんて陳腐なものだ。しかし一体どんな無理難題を押し付けられることやら。
明寺は彼女の言葉を胸に刻むように、頻りに頷いている。
でもね、と偉皆は続ける。
「あなたはもっと強くなった。胸を張りなさい」
そう言うと明寺の髪を優しく撫ぜる。褒められて喜色満面のままに、明寺は偉皆に抱き着いた。
特訓の中で二人は大分打ち解けた。今ではすっかり明寺は偉皆に懐いている。見ていて実に微笑ましい。
試合開始時刻が近づくに伴い、会場の騒めきが大きくなってくる。
頻りにこちらを窺う明寺。これから明寺一人の戦いが始まる。そんな彼女に、僕は何を言ってあげられるだろう。
うっかり目が合ってしまい、明寺がテコテコと寄って来た
偉皆に褒められたからか、表情から緊張の色は大分薄れ、その瞳には自信が覗えた。
そんな彼女を見ると、忠告や激励など必要ないことを悟る。
だから、僕は身勝手な願望を口にする。
「勝ってくれ。僕にもっと夢を見せてほしい」
「任せて下さい。あなたが鏡花に望んでくれるだけで鏡花は何だって出来そうですよ」
そう胸を張り、彼女は会場の方に体を向ける。
いよいよスタンバイかと思いきや、彼女は振り返る。忘れ物でもしたのかと思うが、それはないと直ぐ思い直す。ddsの公式試合に何かを持ち込むことは出来ない。衣類だって厳格な審査を通さないといけない程だ。そんなことに思考を巡らせていると、突然の衝撃が僕の上半身と首を襲う。
何時の間にか目の前には明寺の頭部があった。どうやら飛び込んで来たらしい。どういう事だこれ。
彼女の顔が少しずつよじ登る様にして上がってきた。そうして対面した真っ赤な顔は僕をまじまじと見て微笑み、なお登り、僕の肩に落ち着いた。
それにしても跳び付かれた時は首がへし折れると思ったが、こう首にぶら下がられていると気付く。この少女なんと軽いのだろう。何時の間にか僕は忘れていたのかもしれない。この子がか弱い少女であることを。
髪をくすぐる彼女の息がくすぐったい。というか……
「明寺、臭い嗅がないで。鼻息うるさい……」
「ハッ! 失礼ですね。そんなだったらアサシンさんだってうるさかったですよ――」
なっ。確かに少し柔らかくて、いい香りが漂ってきたけど、鼻息荒くなってなんて……
「――心臓の音」
耳元で囁かれ、ドキリとする。そのまま彼女は僕から降りて、顔を真っ赤にしながらも柔らかい笑顔で、行ってきますと言って会場へと駆けて行く。
偉皆の方から咎めるような冷たい視線を感じつつ、
僕は未だドギマギしながらも彼女の元気な背中を見送る。
その勇敢な姿に、僕の中に残留していた一抹の不安は霧散してい あっ!転んだ……
痛たぁ。あんな大胆なことしてしまった手前、つい足が縺れてしまった。
膝に付いた汚れを払いながら立ち上がり、周囲を確認する。
観客に見られてはいなさそうでホッと一息。
会場に足を踏み入れると地を揺らさんばかりの歓声が耳を突く。
思わず調子に乗ってしまいそう、鏡花は片手を上げて声援に答える
だけど、直後、声援の質が急変する。音は高く、そして桁違いに大きくなる。
何が起こったか? 勿論、[守護天使]の御降臨です。
客席に笑顔を向けながら、少しずつこちらに近づいてくる副会長。
交流戦の時とは比べものにならない程の圧を感じる。
目の前にまで来た彼は握手を求めてくる。
恐れ多く感じながらも強くその手を握る。
「頑張りますっ! 宜しくお願いします」
そう言うと彼は笑顔のまま頷く。そして耳元で
「本当に頑張って下さいよ身の程知らずさん。あんまり弱いと甚振っても気が晴れませんから」
そう囁いてきた。
そのまま彼は鏡花の横を抜け、鳴り止まぬ声援に上品に手を振って応じる。
……この人怖ぁ!
いや、まぁ副会長の黒さに多少動揺したけど、いや寧ろ都合がいいような気がしてきた。
鏡花はヒーロー見習い! 相手が悪そうな人ならその方が気分も乗る。
副会長と向かい合い、試合開始の鐘を待つ。
悪党め! 鏡花が成敗してくれます。
ゴーン 鐘の音が響く。
直後、副会長は背中から白く大きな翼を生やし、その羽ばたきが風を巻き上げ、宙に舞い上がる。
鏡花はイメージを強く心に浮かべ、足元に二週間苦楽を共にした相棒を呼び出す。
「行くよ! 愛車2号」
車輪は小気味良い音を立てて回転し、スケボーは地を駆け、鏡花は風になる。