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転の四  アンチヒーローズ・カタルシス  


「何の用なんだ。副会長?」


 彼の空気に飲まれないように、なるべくぶっきらぼうに言い放つ。


 それも意に介さない様子で、彼は人懐っこい笑みで応じる。


「役職で呼ぶのは止めて下さいよ。OBの貴方からしたら私はただの後輩なんですから」


 そして、座って話さないかと僕をベンチに誘導し、隣に座った僕を見ると満足そうに話し始める。


「私達の目指すビジョンは同じはずです。だからそれを成し遂げるための打ち合わせに来ました」


「何を言っている? 共通のビジョンなんて」


 あるわけない、その言葉を遮るように天野は、


「明寺鏡花が無理しないままに試合を終わらせる」


 そう真顔で言う。


「私の都合で交流戦を申し込み、自分から降参したくせに事務所ぐるみで報復。彼女には本当に酷い事してしまいました。せめてこれ以上彼女の将来を壊さない様に……」


 プハッ! 天野の言葉を今度は僕の笑い声が遮る。

治る余地がない負傷をした敵に対する情け。なるほどなるほど、そういうことか。


 僕の笑いに彼は初めて厳しい表情を見せた。


「先輩。何が可笑しいんです?」


「いや、すまない。でも君が悪いんだよ。笑わせるから」


 天野は何のことか分からない様子だ。


「相手に情けをかけて、その将来を慮る。まるで勝者の余裕だ。まだ戦ってもないのに、なぁ? 天野御使」


 そう言い、視線を投げると彼は一瞬怯んだ。が、すぐ呆れた様に首を振る。


「まさか勝てると思ってるんですか? 私に、あの子が?」


 彼が纏う空気が変わり、言葉に嘲る様な色が混じってくる。


「身体を切り売りするような自爆技を使っても私の驚異に成り得ない、あの凡才に勝機があると?」


 天野の整った顔が冷酷な嘲笑に歪む。その問いに僕は一切の迷いなく答える。


「あの子が勝つさ。絶対に! 君は今まで何でも思い通りに出来てきたんだろうがそれも終わりだ。覚悟しておけよ天才!」


 そう吐き捨てて、公園を後にする。


 そもそも選手とその対戦相手のマネージャーが試合前に交わすべき言葉などあるはずがなかったが、想像以上に不快な話を聞かされてしまった。

 明寺が毎日午後の授業を潰して特訓しているなんて事は、兼定の生徒であれば調べずとも耳に入って来る情報だ。


負傷した凡才が自分に勝つ気でいる。ああもプライドが高い奴からしたらこの上ない屈辱だろう。しかもそれが一度見逃してやった相手と来れば、恩を仇で返された気分かもしれない。

 だから彼女が一人で思い上がっているだけと断定したいがために、奴は僕に接触してきた。だが生憎、僕はもうとっくに彼女の夢に乗っていた。

 奴はさぞや腸煮えくっていることだろう。


 まぁこちらは今更負けたくない理由がいくつ増えても関係ない。

 端から僕たちは勝ちしか見てないのだから。 



 この二週間、明寺に僕の持ちうる限りの技術を教え込んできた。

 彼女は全て恙無くものにしたとまでは言わないが、元々僕の動きを知っていたためか、飲み込みはかなり早い。

 それに彼女には彼女なりの強みもあった。決して僕のコピーに収まってはいない。今では天野スタイルの偉皆にも拮抗出来ている。勝率は決して低くない。

 試合までのあと三日で、今の勝てるかもという希望を、勝てるという確信に変えてみせる。


 それが、僕を追いかけてきてくれた、後悔だけが滲んだ僕の足跡に意味をくれた、そんなあの子への最低限の礼で、僕が何をとしても果たしたい責任だ。






 私は人気のない夜の公園で一人ベンチに腰かけたままだ。


 先ほど、浅間先輩に言われた言葉が心をどす黒く蝕んでいく。


 よりにもよって貴方がそれを言うのか。

 ユルセナイ ユルセナイ ユルセナイ……


 全部貴方のせいじゃないか。

 ユルサナイ ユルサナイ ユルサナイ……


 地団太を踏むように地面を蹴り込み、立ち上がる。


 何が、今まで何でも思い通りなってきた、だ……


「っそんな訳ねぇだろうがぁ!」


 手近にあった桜の木を力任せに殴りつけた。


 拳は木を貫き、間もなく木はミシミシと音を立てて倒れた

 折れた箇所からは火の手が上がり、瞬く間に夜を赤く照らす。



 早くも大木を燃やし尽くさんとしているその炎を眺めていると、自然と心が落ち着いてくる。


 あと三日。 たった三日待てばこの怒りを思う存分発散できる。 何とも楽しみじゃないか。


「あの恩知らずの身の程知らず、貴方の愛弟子を壊し尽くしてあげますよ」


 何処に向けるとなく私は呟く。


「覚悟しておいて下さいね……私の元ヒーロー」




 そんな密会が行われたことなんてつゆ知らず、鏡花はハードワークの疲れを癒そうとお風呂屋の暖簾を潜る。

 出来たら蒲原先輩とご一緒になんて思ったのに、「私、プロポーションに自信がないの」なんて断られてしまった。嫌味ですか全く! 本当の所はこれからお仕事があるそうだ。きっと鏡花の特訓の手伝いのために時間を調節してくれたんだろう。

今更ながら三日後の試合は多くの策謀や祈りを孕んだものになると理解し、貧弱な我が身にのしかかっている重責を意識して、身が固くなる。


「全く! 肩が凝ってしまいますね」


 脱衣をペペッと済ませ、お湯に浸かる。


「ヴェ~」


 筋肉が一気に弛緩し、体から溢れ出る空気が喉を震わして、およそ少女らしくない野太い息が漏れる。


「お疲れだね」


 声の方に目をやると鏡花よりも小柄な女性が湯の中で伸びをする。愛らしい容姿ながらも、一見して人生の先輩と判断できる程立派に育った胸部の膨らみにホウッと声が漏れる。


「頑張っているみたいね。明寺ちゃん」


「えっ! 鏡花の事?」


「知ってるわよ。これでも業界人の端くれでね」


 ウインクを寄越してくる彼女に対する警戒を強める。


「鏡花は何も吐きませんよ!」


 そう強く断言し、睨み付けると彼女は小さく噴き出す。


「フフッ、安心して。スパイでもマスコミでもないから」


「ケッ、どうだか! そう言うなら自己紹介でもお願い出来ますぅ?」


 挑発的な鏡花の態度に嫌な顔一つせず、彼女は名乗る。


「私は(たちばな)空夢(そらむ)


「っ!……苗字を変えられたようですね」


 空夢。それは聞き覚えのある珍しい名、鏡花が許せない人の名。


「まぁね。親と縁を切ったのよ。それにしても随分な睨み方をしてくれるじゃない。マネージャーの元マネージャーがそんなに憎いかね?」


「それはもう! もし鏡花に自爆機能が搭載されてたら、あなたを葬る為に起動してたかもです」


「どんな無理心中よ! 普通はブン殴りたいとかじゃないの? いや、要求はしてないわよ!」


軽快に突っ込みを入れつつも、鏡花が構えた拳を見て直ぐに釘を刺してくる。抜け目ない(ヒト)、そのはずだ。アサシンさんが在学中に残したインタビューでの発言、そのどれもで彼は、この女への感謝を口にしていた。彼にとって大切なアドバイザーだったのは確かだろう。だからこそ許せない、解せない。


「何であなたがマネージャーとして付いていながら、彼はプロになれなかったんですか!」


 脈絡なんてあったものではなかったが、鏡花は強く糾弾する。それを受け、彼女は心なしか辛そうな顔で、


「寧ろ私が彼のマネージャーをしちゃったから……かな。その罪悪感に耐えられず、私は姿を消したの」


彼女はそう答える。幼顔(ロリフェイス)が浮かべる憂いの表情に一瞬たじろげど、鏡花は攻めの手を緩めない。


「反省してるのは結構ですが……それがどうして恥ずかしげもなくこんな所にいるんです?」


「それは……あの子の弟子がどんなものか、直接見てみたくて」


 憂いから一転、ケロッと無邪気に答えられる。


「勘当した息子に孫が出来たからって、急に仲直りを迫る婆ですかあなたは? 最低ですね!」


「どっちかっていうと……昔の男が逆玉に乗って癪に触るから、言い寄って今の女への罪悪感を抱かせてやろうって感じ?」


「まさかの下限突破! 最低の概念を更新する程のゲスっぷりでした。それに何より、アサシンさんを昔の男ポジションに置いたことが許せません」


 唸る鏡花に対して、熱い湯に浸かりつつ、涼しい顔の橘氏。また何時の間にか彼女のペースだ。


「いや、今の例えは流石に冗談だから。私のようなゲスが彼にまた関わるのが嫌なのは分かるけど、これはケジメっていうかゲスなりの矜持なの。見逃して欲しいでゲス」


「はっ? 人としての矜持が無いからゲスなんでしょうが。二度とその面見せないで下さい。もちろん、あの人にも」


 可能な限りの冷たい言葉で切り付けるも、彼女は肩をすくめただけだった。


「手厳しいわね。まぁいいわ。それじゃまたね!」


そう言って、湯から上がり、脱衣所に消えていく橘氏。鏡花も急いで湯から上がり、サウナに常設の塩を一握り、脱衣所の扉の方にぶちまけたのだった。

そしておばちゃん達にもの凄く怒られた末、一緒に掃除をし、夕食を奢って頂いたのだった。



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