起の二 不器用な笑みを見せられて
「隣いいですか?」
社長に見せてもらった以外の彼女試合を見終わった頃、そう声をかけられて顔を上げると、見知った少女が微笑んでいた。
「ご無沙汰してます。兄さん」
「偉皆か! 調子はどうだい」
僕を兄と呼ぶのは鴨原偉皆 僕の二つ下の従妹だ。
最後に会ったのは正月だから約半年ぶりの再会になる。
「絶好調! 今はランク6位なんですよ」
そう誇らしげに言うと、自分の隣の席に座った。栗色の柔らかそうな髪が揺れる。
各学年毎に500人、全校だと1500人の生徒を持つ[兼定]。一年生は未だランキング争いに参加していないとはいえ、そこでのランクホルダーというのは、1000人のddsプレイヤー達の頂点ということになる。
「みたいだな。大したものだよ。モデルの仕事の方でもよく見るしね」
「そっちもいい感じですよ。ありがたいことに事務所は卒業後も使ってくれるそうです」
偉皆は照れくさそう頬を掻く。長身でスタイルも良く、そのうえ顔立ちも大人びて可憐な偉皆は、雑誌の表紙で良く映える。
彼女に限らず、実力とルックス共に申し分ない選手は自然と人気が高まり、その活躍の場を広げていく。ここは武専なんてお堅い名前ではあるが、ある意味芸能学校のようでもあるのだ。
「3年に進学して幾ばくも無いのに早くも就職内定か。おめでとう」
「えへへ、ありがとうございます。兄さんの方は仕事で来てるんだよね? 勧誘ですか?」
「いや、マネージャーとしての初仕事だ。顔合わせ及び打ち合わせってとこかな」
「紅色さん所属のタレント?…… 誰でしょう?」
案外当事者の学生達の方が、業界人やオタクより学内の事情に疎かったりする。武専あるあるだ。うちのような弱小事務所のことならなおの事だろう。
「明寺鏡花だ。知ってるだろ?」
その名を聞くと心なしか偉皆の表情が険しくなる。
無理もない。明寺はランク3位の副会長を破っている。公式戦ではないためランクの変動はないが、偉皆にとっては自分より上位のランクホルダーを倒した選手だ。
「目を見張る活躍だからな。警戒するのも分かるよ」
それ故に僕も荷が重いんだけど……僕が輝ける彼女の将来、延いては会社の未来までも大きく左右してしまう。
「確かに彼女自身もですけど、そんな彼女に兄さんが付くというのが、ハァ、厄介だなぁと」
「過大評価痛み入るよ」
そうこうして偉皆と世間話や情報交換をして時間を潰した後、待ち合わせの場所である第3小会議室に向かう。
会議室にはまだ彼女の姿はなく、椅子に腰を落ちつかせて待つ。
すると廊下からシャーっと軽快な車輪の音。
刹那ドアが開き、キックボードに乗った明寺鏡花が中を覗き込んできた。
こちらを見ると彼女は小さく声をあげ、直ぐドアを閉める。
場所を間違えたと思ったのだろうか?
呼び止めるために立ち上がると、再びドアが開き、短めの黒髪にくせ毛が目立つ小柄な女生徒が入ってきた。動画で見た美少女、明寺鏡花は頭を下げて言う。
「遅くなってすいません。鏡花まだ学校の施設を把握出来てなくて、だから……その」
一度閉めた時に呼吸を整えたのだろうか? 一息に喋ったかと思うと急にゴニョゴニョと口ごもる。
しかし映像で見るのとは随分印象が違う。試合中の彼女はどことなくアンニュイなイメージがあったが、今目の前に居るのはどう見ても年相応に落ち着きがない少女だ。勿論それでも十分に目を引く可憐さをたたえてはいるのだけど。
いや、この違和感は二の次だ。今はとりあえず
「まぁ 座って話そうよ」
僕は可能な限りの柔和な笑みを彼女に向け、席を勧めた。
少女は緊張した面持ちでカクカクとぎこちない仕草で椅子へ近づき、恐る恐る座った。
「じゃあ自己紹介させてもらうよ。僕は……」
「っ存じ上げてます! 浅間真翔先輩ですよね。
アサシンの愛称で呼ばれ、他校からは[兼定の仕込み刀]の通り名で恐れられたあの浅間様ですよね」
自己紹介が食い気味に乗っ取られ、僕があっけにとられている中で明寺は爛々と目を輝かせてなお続ける。
「その革新的且つ合理的な秘剣さばきは不可視故に不可避!
しかし戦闘が高度過ぎるために世間には到底理解出来ず、不人気が理由で試合に出れなかった。
人呼んでお茶の間に殺された英傑っ」
「ストップストップッ!分かったから」
僕が制止すると、喋り続けた明寺は肩を揺らしながら息を整え、額の汗を袖で拭ってやりきった表情だ。
そんなに多くの異名があることは僕自身知らなかったが、彼女が僕を知っているのは想定内だった。
勿論僕が有名だからじゃない。仕込み刀なんて揶揄される僕に知名度なんてものは皆無だった。
そんなマイナーな僕の事をこの子が知っている思った理由。彼女が試合の中で僕のオリジナル技を使用していた事だ。
それは言うほど立派なものではないけど、偶然に一致するほど単純なものでもない技術。
「最後に一ついいでしょうか。浅間様」
息を整え終えた明寺が遠慮がちに手を挙げ、発言許可を請う発言をする。
「様付けを止めてくれたらね」
「では略してあ様」
「うん? 呼び捨てだよね。僕は君の使用人じゃないぞ。いやまぁいいんだけど」
「じゃあアサシンで」
「僕が中二病に思われないかな? それでも別にいいんだけどね」
明寺はじれったそうに頬を膨らませていたと思うと、
「とにかくっ アサシンさん! ファンですっ!」
顔を真っ赤にそう伝えて、右手を僕に差し出した。
当時の学生以外での僕のファンはこの子で5人目だった。その手を握り返した僕も彼女程ではないにせよ、顔を真っ赤にさせていた事だろう
「明寺ちゃんは相当なddsオタクだよね。しかも中二病だ。僕のファンというなら間違いない」
「酷いなぁ! それに割りと重い自虐でもありますし」
和気藹々と軽口を叩きあう。
こう打ち解けられたのは、やはり彼女が僕の技の理解者だからだろう。
自分の事に関しては謙虚でいたいけど、血道を上げて築いた技術はやはり誇りに思う。そこを十分に語れるとなればつい興も乗ってしまうというものだ。とはいえ仕事で来ている。駄弁ってばかりもいられない。
「大分横道に逸れちゃったけど そろそろ打ち合わせを始めよう」
ようやく本題に切り出すと、明寺の表情がみるみるうちに固くなる。
「方々からイメージキャラクターとして起用したいと依頼が来てるからね。厳選した後、仕事してもらうよ。
それとddsの試合が決まったら、公式じゃなくてもなるべく早く伝えてほしい。取材陣やスポンサーを誘致して可能な限り人目に触れるようにするから」
「……分かりました」
気づけば明寺は俯いていた。表情は堅いというより暗い。
「別に不安に思う事ないだろ。君は十分可愛い! タレントとしても申し分ないよ」
「! 可愛いなんてそんなっ、いやそうでなくて試合が……」
真っ赤になった後、また俯いてしまう。
「それこそ心配いらないよ。驚異的な秘剣の大火力に、歳不相応なまでに技も洗練されてる。君は本当に強いよ。ハッキリ言って世界を狙える」
彼女が試合をしたのは3度だけだが、それらを見るだけでも彼女の秘剣容量=バテリアが並外れて優れている事は疑う余地もない。バテリアに恵まれず、小手先の技術に頼った戦い方しか選べなかった僕としては羨ましい限りだ。
事実とはいえベタ褒めを受けた明寺は、試合後に見せるような硬い笑顔になる。生で見ると分かる。
恥ずかしさと罪悪感の鬩ぎ合い、これ一番困ってるときのやつだ。
「違うんです! 鏡花は別にバテリアが凄い訳じゃなくて……サクリフィーチョって知ってます?」
強烈に嫌な予感が思考を過る。
その疑念を打ち払うために慎重に言葉を紡ぐ。
「秘剣成立当初に考案された、バテリアに関係なく大出力の秘剣を行使するために、身体の機能を一部犠牲にする秘剣捻出法だよね? 使える人も相当稀だったそうだし、ハイリスクローリターンだから廃れたんだけど……君には関係ないよね?」
明寺は静かに首を横に振る。あの笑顔で。
「使ってるんです。サクリフィーチョ」
あまりの事に呼吸を忘れ、目の前は真っ白になる。増える声で彼女に問う。
「じゃあ何だ? 試合で使った大火力の秘剣はサクリフィーチョによるものって事?」
「実はそうなんですよー。アハハハハ……ハハ」
乾いた笑いが狭い部屋に空しく響く。ハハハ……駄目だ 全然笑えない。
「そういえばさっき歩き方も変だったよね。それにキックボード、もしかして君の足……」
明寺は口元に笑みを貼り付けたまま視線を右へ左へ、僕と同じく滝の様に汗を掻きながら。
「流石、鋭いですね。実は前の試合から右足の感覚がないんですよ。えへへー」
努めて明るく、絶望的な事後報告をしたのだった。