序章:別の朝(7)
あれからミチトを通して長老から色々聞いた。村には数千年前から伝わる古の鎖があり、鎖の持ち主は罪をおかした大狼をこれで縛り付け、反省を促したという神話があることを。
狼頭の一族はその神話にならい、険しい森の中でひっそりと生き、邪な考えが浮かばぬよう鎖を見つめて今日まで生きてきたということを。どうやらこの話はミチトも知らなかったらしい。鎖が反省を課すのは大狼の末裔である狼頭の一族のみだからだとかで、普通の人間であるミチトは知らなくて良いらしい。
周一は、神話に伝わる戒めの鎖に選ばれたらしいことを理解した。なるほど、そういうやつか。妙に納得がいった。などと独り合点していた。
「これを期に何か思い出さなかったかい?」
ミチトが周一に問う。周一はこの村に来るとき、「気がついたら森に居た。生前の記憶がない。」と言ってごまかしてある。この世界の常識を問われたらまずいと考えた周一は、素直に記憶がない設定でいくことにしたのだ。
しかし、それは全くの嘘ではなく、事実として周一の記憶が無い部分も存在した。前の人生において、この世界に来る数年前からの記憶がぼんやりとして思い出せないのだ。直近の記憶から昔の記憶を辿ると、昔の方がはっきり思い出せる。かなり違和感があったが、これもつい先ほど気づいた。
「いくらか思い出しました。でも言葉にするのは難しい……っすね…。」
「それは…ともかく、よかったね。」
ミチトが難しい顔をしている。周一は続けて話を切り出す。
「村の皆さんには助けていただいてありがたいと思っているのですが、僕は近々ここを発とうと思います。やりたいことを思い出しましたので。」
ミチトはやはりと言った表情をした。そして側で話を聞いていたヴォーに耳打ちをする。何かを囁いた後、周一に向き直して口を開いた。
「つい昨日何度も死にかけた君がこの森を出られるのかい?」
「それは……」
「この森には夜行性のモンスターがうようよ居る。それに木の上は昆虫型モンスターのテリトリーだ。そして極めつけに、森の木そのものがモンスターなんだ。」
「こいつらは人の目に入らないところで倒れ、転がって移動し、根を張りなおす。この森に迷い込んだ人は知らず知らずのうちに誘導され、いつまでたっても森から出られず、いずれは木の養分と成り果てる。ここは別名、迷いの森なんだ。」
無理くさい。周一は思った。
((普通、初期スポーン地点は始まりの町的なところだろ……。中盤に現れる詰みがちなダンジョンにいきなり放り込まれたのか…。))
「それでも…俺は……。」
そこに長老を連れたヴォーが現れる。長老が口を開く。相変わらず何を言っているかはわからない。
「なるほど…シューイチ君は……ですが…」
ヴォーが周一の肩をポンと叩き、いかにもな民族伝統品を手渡した。恐らく魔除けの類いだろう。丈夫な木の皮を加工してできている。彼なりの激励と言ったところか。ミチトは長老に言いくるめられ、口を開いた。
「長老が言うには、鎖の元の持ち主は伝説の旅人らしい。鎖を持っているからには旅人の加護があり、この森も抜けることができるんだそうだ。あくまで神話だけどね。
……本当に旅立つのかい?」
周一はむしろ後押しされたように頷いた。何故だか旅に出なければ行けない気がする。そんな記憶があった気がするのだ。
「歓迎の宴が送別の宴になるとはね…。」
ミチトは少し悲しそうに呟いた。
「まあ、がんばりますよ。明日の朝にでも出ます。そしてなんとか生きて森を抜けます。無事に生き残れたら、そのうち戻ってくるかもしれません。そのときはまたよろしくお願いします。」
宴の中央の焚き火は見計らったかのように最後の灯火を上げ、ぶすぶすと煙を立てて消えた。
昨日、今までとは全く違う朝を迎えた周一の新たな人生は、こうして幕を上げる。すでに世界の歯車はゆっくりと動き出していた。
これでようやくプロローグ的なものが終わりです。




