ハイキング(7)
周一はぶら下がっていた。ヨルンに怒鳴られ、洞窟の出口へ走り出したまでは良かった。ここは山の頂上から入った洞窟であり、用心すべきであった。まさかその先の地面が無いとは。咄嗟に絶壁に向けて鎖を放ち、ぶら下がることができたが、生きた心地がしなかった。
((肩外れるかと思った…。いや、それ以前に死ぬかと思った…。
あの女は結構頭に来たな。キャラよく分からんし、またこうして死にかけてるし。))
周一は鎖に掴まったまま下を見た。そして落ちたら死ぬことだけはよく理解した。慎重に降りねばならぬ。
崖壁に鎖を打ち込み、そのまま鎖に力を込めてゆっくりと下に降りる。仮に緊張を解いても、鎖は崖にしっかり入り込んでいるので落下死することは無い。だが、重力に身を任せて落ちた場合、鎖が伸びきったときの衝撃で肩が脱臼するであろう。
先程のヨルンとの戦闘で周一の体はボロボロであり、じきに体力の限界を迎えようとしていた。
((思い出せ。こういう時こそ冷静になれ。そうだな…魔法を打つときの感覚を思い出すんだ…。))
周一はこれまで独自の精神的なプロトコルに基づいて魔法を放つ訓練をしてきた。精神集中のため目を閉じる。
まず一面真っ黒な闇を思い浮かべる。そしてその闇が歪み、現実の性質を持った形になる。闇はゆらゆらと揺れ、いつしか水となった。これを形にして打ち出せば魔法となる。だが今回はそれが目的ではない。
さらに集中する。イメージの中で水はどんどんと量を増し、闇を埋め尽くす。
((そうか。こうだな…。))
周一は目を開け、全身にたぎる力を感じ取った。水の魔力による身体強化だ。この間周一の邪魔にならぬよう、じっとしていたオリオンが、不安定な周一の頭の上で手を叩いた。
((なるほど。今までこれを無意識にうっすらとやっていたのか。だから何日間も歩き通しで過ごせたし、食料も少なくて済んだ。
まあ、まずはここを降りよう。今なら行きよりずっと早く降りられそうだ。))
約2時間後、周一は後一歩で地面というところまで差し掛かっていた。だが、そこで身体強化を含めた体力の限界を迎え、どさりと地べたに落ちた。オリオンは空中で周一から離れ、ぺたりと着地した。
オリオンは周一の頭に水魔法をぶちまけた。この場合は水でも被って汗を流せという意味なのか、よくも落としやがってこの野郎という意味なのか。もはや疲れ果てた周一には分からなかった。彼らはそのまま急な斜面を転がるように下山し、傾斜が緩やかになったところで動きを止めた。
周一は近場に生えている低木に這うように身を寄せる。ちょっと山に登ろう。などというハイキング気分で出掛けた周一は、ほろ苦い後悔と共に眠りに落ちた。
周一の去った洞窟の大広間では、1匹の巨大な龍がとぐろを巻いていた。龍は銀の髭とたてがみを持ち、鱗は艶かしく黒紫に照り返す。コウモリのような小さな羽が一定の距離間隔で生えており、それが時折はたはたと動いた。
((鎖の勇者か……。いつぶりだろうか……。
かなり変な奴だったが、そういう奴こそがあの神器に相応しいのかもしれない。
何しろこの私の対になる鎖だからねぇ…。))
龍は満足そうに微笑んだように見えた。




