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夜の九時過ぎ。
あちら側の草原で待ち合わせたユキリは、早速見せてくれとリリアに頼まれて軽く木刀を振っていた。
元々ここはユキリが小さい頃から剣の練習場として使っていたところであり、非常に慣れしんだ場である。
軽く剣に気を籠めて先日倒したロッククローラーを始め、ジャイアントスパイダー、サーベルウルフ、ストーントード、そしてここを餌場とする高位の魔物であるバジリスクまでも屠っていた。
ユキリが木刀を振るう度に夜の帳が落ちている草原に、一筋の光が一瞬光る。まるで魔物たちと優雅で且つテンポの早いダンスをしているように、相手の懐に入り、あるいは身体を捻り回りながら、またあるいは高く天から降りるように、次々と木刀を振って魔物たちを斬っていく。
もちろん一箇所にそれだけ大量の魔物は居ないので、移動しつつ群れを見つけては殲滅していく。
「…………凄い」
まるでそれに魅入られたかのようにリリアが声を漏らした。
今のリリアはユキリの後をついていくだけで必死だ。何せユキリの移動速度が速すぎなのだ。瞬き一つの間に百メートルを移動しているのである。そしてリリアがユキリに追いつく頃には、魔物の群れは無残な屍に変わっている。
しかし返って遠くから見れたのは良かったかもしれない。近くだと目が追いつかなかっただろう。
そして一時間も経たないうちに、周囲から魔物の気配が完全に消えた。一級危険区域とは思えないほどの静けさである。
「うーん、ま、こんなものか」
息切れ一つ起こさず、だが若干不満げにユキリが呟く。
何せ一年のブランクがある。一週間前から数日木刀を使ってはいたが、まだカンは取り戻せていない。
光王剣を使わなくても、世間一般的な強さからいえばユキリは非常に強い。それは光王剣を使わなくとも、ファテルギウスの第一皇子直属の軍を一人で倒した事からも分かる。
だが彼は、まだまだ自分は弱い部類だ、と思っている。
昔、幾度と無く剣帝グランダルと模擬試合をしたが、一度も彼に剣を当てたことはないからだ。更に言えば二百年以上昔に居た悪魔族の王という存在は、そのグランダルとグランダルに匹敵する剣士二人を相手に互角の戦いをしたとユキリは聞いている。
彼らに比べれば自分はまだまだ足元にも及ばない、と思っても仕方がない。
そんな少し不満そうなユキリに対して、リリアは驚きの表情を押さえるのに必死だった。
久しぶりに全力を出せるかもしれない、と今朝リリアは思っていた。ところがそれは間違いだった。
全力を出したところで、否、全力を出す前に一瞬で負けるだろう。
アビ学の魔力強度ランクAアッパーを超える九名、通称ナインウィッシュの一員としてリリアは密かに自分の強さに自信を持っていた。
アビ学は世界十二ヵ所にあるが、魔力強度ランクAアッパーを超える人間は百名に満たない。つまりリリアは魔力強度だけで言えば、世界でも上位百名以内に入っている。
実際に先日ここでロッククローラーの群れを一人で退治した。この世界でも一級危険区域の魔物の群れを一人で退治できるハンターは数少ない。
が、それはユキリの戦いぶりを見て粉々に砕け散った。あれに比べれば、自分など赤子のようなものだと。
……それでも戦ってみたい。
ユキリと戦えば、今の自分を超えられるかも知れない。
もっと頂点を目指せるかも知れない。
「ユキリ、私と……お手合わせしてください」
「ふひゃ? あ、ご、ごほん。と、唐突にどうしたんだ?」
「お願いします。本気を出してください」
思わず素っ頓狂な声を上げた。
しかしリリアの無表情で、それでいて目だけが何かを訴えるようにユキリを射竦めている。
これは強さを望む人の目だ、と一瞬で悟る。何せ数年前まで剣帝グランダルに対しユキリ自身がこんな目をしていたからだ。
「い、いいけど、俺そんなに強くないよ?」
「ご謙遜を」
「ほんとだって。俺より強い奴なんてたくさんいると思うし」
「少なくともアビ学にいる誰よりもあなたは強い。その強さを、私に見せてください」
そう言ってリリアは構えた。この世界にいるハンター達の服装に合わせた姿である。
魔法を使うには精神に宿る魔力と、大気中に漂う魔力を使う。これら二つの魔力源を合わせて魔法を行使するため、なるべく互いの干渉をし易くするため阻害されにくい薄手の服装が好まれる。
ただし、そのような格好だと魔物から一撃を貰っただけで致命傷となる。
このため人体の急所となるような部分に、頑丈な皮で出来た軽めのプロテクターを着ける事が多い。
もちろん上級者になればプロテクターを着けず、更に水着のような露出度の高い服を着るハンターもいるが、まれである。
リリアの今の格好は学校の夏服のような服の上に、心臓を護る位置にプロテクターを着けただけである。下は膝くらいまでの長さのあるスカート、そして重そうなブーツを履いている。
翻ってユキリは、麻で出来たごわごわした素材のシャツにズボンと、こちらの世界のどこにでもある町にいる住人の格好だ。
唯一違うのはベルトに木刀を納める鞘がついているくらいである。
リリアの真剣な目にユキリは一度目を伏せ、そして木刀を正眼に構える。ゆっくりと目を開き目の前にいる少女へと意識を集中させた。
「いつでもこい」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
先に仕掛けたのはリリアだ。
彼女が構えた手をユキリへ向け、一言「波」と呟く。途端目に見えない衝撃波が大地を駆け抜け、ユキリへと襲い掛かった。
へぇ、と珍しいものを見たような感じでユキリは呟くと、手に持った木刀でそれを斬り裂いた。ぱぁん、と何かがはじけ跳んだような音が草原に響き渡る。
あっさりと霧散されたリリアは、それは想定内だ、とでも言うように更に、波、波、波、と連続で呪を唱えユキリへ音の衝撃波を放っていく。
次々と見えない衝撃波がユキリの元へ殺到するが、地面が抉れるように襲い掛かってくるため、衝撃波自身は目に見えないものの斬ったり避けたりするのは容易い。
徐々にリリアの出す衝撃波の速度が上がっていく。文字通り音速で向かってくる衝撃波が、僅かな時間差で次々と飛んでくる。
いくら地面が抉れながら向かってくるのが分かると言っても限度はある。並みのハンターでは最初の衝撃波で沈んでいたであろう。中級者でも、対処できずに押し切られる。
しかし上級者のハンターならば?
眉一つ動かさず、的確に対応していくユキリ。
最初は珍しい攻撃だな、と思ったものの、それだけだった。音の衝撃波とはいえ、大気を振動させながら飛んでくる、要は風魔法の一種である。
確かに速度は速い。だが、それだけである。
動きが単調なのだ。全ての攻撃がユキリを狙っている。
上級者ならば身体ではなく武器を狙ったり、相手の動きを予測して先に地面を破壊して足場を無くしておいたり、わざと当たらないぎりぎりのところを攻めて追い込んでいったり、強烈な一撃で爆風を狙い相手の体勢を崩したりする。
しかしリリアの攻撃はいくら速度が速かろうが、終着点が全てユキリの身体だ。これならルルの風魔法のほうがやっかいである。
知能の低い魔物相手ならばこれで無双できるが、戦いなれた人や魔物では相手にならないだろう。
そろそろ終わりにするか? とユキリが思った時、突如彼女が歌いだした。
高く綺麗な歌声である。模擬戦とはいえ戦いの場に相応しくないほど澄んだ声だ。
観客席に座っていたなら聞き惚れてスタンディングオベーションをしてしまうだろう。
まだ面白いものを見せてくれるのか、とユキリが思った時、彼女の銀色の髪が歌声と共に淡く光りだした。
魔力光。
ユキリの使う気と同様、魔力も極めれば光る。
リリアはナインウィッシュと呼ばれる日本地域のアビ学上位九名の一人だ。その序列は四位。
彼女の別名は銀の歌姫。
この状態になるまで時間がかかるのが弱点だが、こうなれば序列一位ですら凌駕するのではないか、と学内で言われている。
その彼女が牙を剥いた。
歌いながらユキリへ音速で向かってきたのだ。
掌底を繰り出す。
まるで力の篭っていない攻撃だが、彼女は手から衝撃波を出すのだ。
意表を突かれたユキリは、その掌底を腹に喰らってしまった。派手に吹き飛んでいくユキリに、追い討ちの衝撃波を放つリリア。
が、ユキリは空で身体を捻って体勢を整え、剣に乗せた気を打ち出して飛んでくる衝撃波を消し飛ばした。
まるでダメージを負っていないその動きに、リリアの足が一瞬止まった。
硬い皮膚を持つロッククローラーをも粉砕する衝撃波。人間がそれを喰らえば一撃で身体がばらばらになる。
それを腹へとまともに喰らったのだ。
正直なところ掌底が決まったとき、リリアは勝ちを確信した。
油断していたのだろう。本当であれば、今の状態になる前に負けていたはずだ。しかし彼は始終様子見で、防御しかしてこなかった。
勝てないと思っていた相手に勝てた。嬉しい反面、少し寂しさを感じたが、それが一気に霧散したのだ。
トンっと地面へ綺麗に着地するユキリ。しかしリリアは動けなかった。
それどころか歌声も止まり、淡く光っていた銀の髪も元に戻る。
一向に動く気配を見せないリリアにユキリが尋ねる。
「どうしたんだ? もう終わりか?」
「……ユキリ、どうやって今のを防いだの?」
リリアは何とかか細い声を捻り出した。
それとは対照的に、普段どおりいつもの口調のユキリ。
「え? 普通に気で防御したんだけど?」
「…………」
唖然とするリリアにユキリが木刀を降ろして説明し始めた。
模擬戦だけど、一応気を見せてくれと頼まれていたし、これくらいの説明はしても良いだろう、と考えたからだ。
「剣士ってのは常に接近戦なんだ。当然相手の剣どころか蹴りや体当たりだって喰らうことはある。だから剣士は鎧を着る事が多い。でも、俺の戦い方は速度重視で、鎧なんか着てたら動き難くくなるんだよ。そういった速度重視の剣士は、気で身体を護っているんだ」
「じゃ、じゃあ最初から私の衝撃波を木刀で消さなくても全然平気だった、ということ?」
「いや、いくら気で防げたとしても当たったらその分、気は大きく減る。だからリリアの攻撃をぽんぽん喰らっていたら、そのうち俺も倒れるよ」
愕然となるリリア。
逆にユキリの言葉は、リリアの攻撃など少々喰らっても平気、と言っているのだ。
だめ、勝てない。次元が違いすぎる。
今の自分を超えるどころか、打ち砕かれてしまった。
そんな彼女の姿をユキリは自分と重ねた。
ユキリもグランダルと戦ってた時、どう頑張っても追いつけない、と思っていた。実際未だに追いつけていないが、それでも着実に強くなっている。
一時期は追いつくのを諦めた事も合ったが、それを乗り越えてこそ、次のステップへ繋がる。
肝心なのは諦めずに、より研鑽を積むことなのだ。そうすればいつかは追いつく。
俺が生きている間に追いつくのは無理かも知れないけどさ、と最近は思っていたりもするが。
「リリア。俺には剣の師匠とも言うべき人がいた」
唐突に話題を変えたユキリを、リリアが見つめる。
地面にぺたんと座り込んで、まるで迷子の子供のように見上げる姿に見蕩れるユキリ。
うわっ、何これめちゃ可愛いんですけど。
脳内では隣でショーコちゃんがユキリにきつい目線を送ってるが、それすら気にならないほどリリアの姿が可愛い。
「…………?」
少しだけ目を細めたリリアに慌ててユキリが言葉を続けた。
「あー、そ、その師匠というのがめちゃくちゃ強くてさ、俺の剣がかすりもしないんだよ。今まで何百回と師匠と戦ったけど一度も勝った事はないんだ。だから一度諦めたこともあったんだ」
じっとユキリを見つめるリリア。
その姿に心臓が徐々に高まってくるのが分かる。
思わずショーコちゃんのいる方向へと顔を向け、しかしそのまま話しを続ける。
「でも諦めたらそこで終わりじゃないか? リリアがもし、もっと強くなりたいんだったら、俺程度じゃなくもっと上を目指して頑張ろうぜ?」
「……私は……どうすれば……いいの?」
リリアが目を伏せる。
そんな彼女にユキリはショック療法をやる事にした。
「俺が師匠にやられた事と同じ事をしてやるよ」
そうして膨れっ面のショーコちゃんへ、手を伸ばすユキリ。だが脳内でぱしんと手を叩かれてしまう。
本当であれば大声でショーコちゃんと叫びたい。
だがここにはリリアがいるのだ。そんなところを見られでもしたら、中学時代の悪夢が蘇る。
更に脳内では、そんな女の為にユキリ君が手助けするの? とショーコちゃんに糾弾される。
俺はショーコちゃん一筋だってば! 一度だけお願い! これでリリアに恩を売れば、多分学校生活だって楽になるしさ。
リリア? へー、彼女を呼び捨てにするくせに、私はちゃん付けなんだね。
ショ、ショーコ! 俺はお前が世界で一番愛してる!!
ほんとに? でもその女に恩を売って、私を裏切るんだよね。
違う! そんな事はしないさ。現実の女なんてショーコちゃんに比べれば雲泥の差だよ。
また、ちゃん付け?
あ……。
声には出さないまでも、身振り手振りで何かをやっているユキリをリリアはコントを見ている気分になってきた。
「あの……何をしているのですか?」
「い、いや。何でもないよ。な、ショーコ」
「ショーコ??」
「あ、いや。こっちの話。じゃなくて、これから俺は一人コントするけど、悪いが黙っててくれないか?」
「あ、はい?」
そういえば彼は妄想癖がある、と資料で読んだことを思い出す。
これもそれなのだろうか。
そのまま十分ほど何やらしているユキリを、座りながらリリアは見ていた。
ふと視界に入った星を眺め、本物の星ってやはり綺麗だな、と思いながら。